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2021年3月の記事一覧

モノ作り日本の崩壊(電子立国日本の自叙伝 放送30年)

2021年03月13日

NHK「電子立国日本の自叙伝」が放送されたのは30年前の1991年です。当時私は半導体業界向けの商社に入社し子会社で洗浄装置を担当したばかりでした。30年後の今、当時の私に声をかけるとすれば「あなたの観たその誇らしい放送は既に崩壊の序章だったよ」ということです。放送により今でも日本が電子立国であるかのように錯覚している人もいるかもしれません。

しかし今、正しい日本の姿を描くならばそのタイトルは「電子立国日本の遺書」「モノづくり日本産業の崩壊」というものではないでしょうか。少なくとも私の立ち位置からはそう見えます。しかし気が付いていない人があまりに多い。社員さえ読まないこのブログにたどり着いて拙文に触れていただいた方に考えるヒントになれば幸いとこの記事を書きます。毎回申しますように私は学者ではありませんし専門知識もありません。正しくはご自分でファクトチェックした上でご判断ください。

 

私は根本的に「明治人最強」を説きます。これは渡辺京二著「逝きし世の面影」にもある幕末から明治に日本に訪れた又は居住した多くの西洋人によって滅亡した江戸の文明を上書きした富国強兵の明治という視点からです。文明は滅びても文化は残ったが「古い日本は死んで去ってしまった、そしてその代わりに若い日本の世の中になった」(チェンバレン1873-1911年の間日本に居住)「明日の日本が外面的な物質的進歩と革新の分野において、今日の日本よりはるかに富んだ、おそらくある点でより良い国になるのは確かなことだろう。しかし昨日の日本がそうであったように昔のように素朴で絵のように美しい国になることはけっしてあるまい」(ウェストン1925年著書より)素朴で絵のように美しい国というのは著者の渡辺京二氏もいうように景色だけのことではなく民族の心性も含んだ意味だと思いますがこれはあくまで100年前のことです。しかしヒントになります。

 

なぜこの話なのかというと日本の産業構造を考えたときに以下のような流れがありました。

  • ①「江戸時代から明治維新を経て明治時代になった」富国強兵産業期(鉄鋼・造船・紡績・軍事)
  • ②「戦後昭和の経済復興」勤勉と安価な人件費による復興貿易期(鉄鋼・造船・紡績・内需)
  • ③「昭和の技術立国化」外国からの技術を深化させて自国技術として確立(自動車・電子・内需)
  • ④「平成の失われた30年」グローバル化戦略の誤り
  • ⑤「現在の国内産業の衰退」将来への備えを怠った付けを払う時代の始まり

これらの流れの間には都度、過去の文明を変えるほどの変化があり明治維新や敗戦、バブル崩壊などの大きな事が起こった時には人々は実感しますが④⑤(コロナ問題は進行中ですが)に関してはその変化に気づいていない人が多いようです。文明が変わっても残った日本人の文化や心性までも廃れてしまう懸念をもっています。

 

明治維新の志士は大国清が列強に翻弄されるのをみて国家構造を変えて対応しました。その手法が正しかったかどうかは分かりませんが、変化しなかったならば日本は列強に取り込まれていたでしょう。独立を保ったのです。Chinaは常に世界をリードしていましたがアヘン戦争以降ほんの200年、蓋をされていたにすぎません。今は共産党の国。自称「中華人民共和国」建国100年です。新しい国ですがかつての大国としての復興を目指しており、いよいよ実現が目の前になってきました。

 

日本に目を移しましょう。多くの人が何故気づかないのか。冷戦時にスイス全国民に配布された「民間防衛」という書にヒントがあります。兵器を使わずに他国を支配することが近代の戦争なのです。紛争を作ってしまって相手に警戒されたら侵攻がうまく進みません。相手に気づかれないように考えないように徐々に入り込んで支配国に依存しないと生きられないようにした時点で戦争完了です。

 

日本人の多くが気付いていないこと。先に挙げたように「今でも先進国であるかのような錯覚」Chinaや韓国をはじめとするアジアの国々が「日本より遅れている国であるという錯覚」「今までの生活水準が将来も保てるという錯覚」私の立場から目を覚ます皆さんのよく知っている簡単な事例をいくつか記します。専門家はそんな事十分承知というでしょう。間違った見解と言われるかもしれません。しかしこれが今の私の社会人としての肌感覚です。

【内需では経済が成り立たない】

よく言われるように日本には資源がありませんからモノ作りに支えられています。自国で持っているのは「製造技術」と「労働力」でした。(過去形)原材料は輸入です。人口増加が一定規模で保たれれば内需の期待もあります。しかし少子化人口減で革新的な商品が日本から生まれないと国内循環でビジネスが成り立ちません。輸出するしかないのです。

 

【完成品で輸出できるものが少ない】

メイドインジャパンの信用力はわずかに残っています。かつてはテレビ、冷蔵庫、洗濯機をはじめ

家電は日本で作っていましたが今ほとんど海外生産です。パソコンや携帯電話やLED照明器具も日本製がありましたが瞬く間に衰退しました。私がいる半導体業界もDRAMやCPUなどの高価な半導体の国内メーカーは消滅しました。高価格商品で世界をリードし伸びているのは自動車メーカー位ではないでしょうか。

 

【目を背けたくなる現実】

半導体業界に身を置いて30年、嘗て世界シェア70%を誇った日本のお家芸DRAMは数年のうちに駆逐され台湾と韓国にポジションを奪われました。日本の技術者と製造装置メーカーが立ち上げたのですから日本の苦労が水の泡になっただけでなく後の失われた30年の一因にもなりました。それを許したのは政府や行政でもあるのですが今でもそれは変わっていません。次はもっと大きな半導体ショックが訪れます。現在、棲み分けができている半導体産業で装置や素材のメーカーは日本が優位性を保ってきましたが我々を含めそれも過去のものとなりそうです。日本は産業保護や育成については非常に冷たい国です。もしかすると政治家は日本を衰退させるために敢えて施策を行っているのかもしれません。半導体投資には大きな費用が掛かります。他国では数千億、数兆円を掛けて国家主導で投資を行いました。日本にはそんなお金はないのだと思ってきましたがコロナ禍で投じられる数十兆円の予算をみたとき資金を使う方向を産業に向けていれば、これから訪れるであろう未来を変えることができたと残念に思います。現在、半導体の基板であるシリコンウエハーは日本メーカー2社が世界シェアの60%を占めています。上位5社にChinaの会社は一社もありません。これから自動車のEV化やIoT社会への変化により半導体基板の需要も増加します。Chinaでは現在の日本メーカーの総数を上回る数を供給できる会社が立ち上がっています。数年内に品質も同等になるでしょう。また台湾韓国と異なり自国で原材料を既に持っており製造装置も他の素材も国産化をすると宣言しています。彼らが宣言したことは必ず実現します。ウエハーの次はファウンドリーを中心としたデバイス生産が本格化するでしょう。日本の消極的な電子デバイスメーカーのサラリーマン経営者は投資をせず製造を委託するでしょう。半導体の素材もデバイスもChinaが覇権を握るでしょう。安全保障上のリスクはレアメタルの比ではありません。政治家はもちろんそんなことは承知で法整備をしません。

【頼みの綱が】

それでも私は自動車産業が残るのだろうと漠然と考えていました。しかし2030年の新車販売でのEV化を宣言したことで目が覚めました。脱炭素、カーボンフリーはどこから来たのでしょうか。気候変動が本当の理由ですか。脱炭素は単にエンジンを作ってはいけないということではありません。製品を作る際に発生する炭素量も問題にされるでしょう。全産業に影響し化石燃料で発電している日本では工場の稼働はできないことにもなりかねません。結局原子力を持つ国、核兵器を持つ国、人権を制限できる国が勝つ社会になっているのではないですか。

自動車の技術=エンジンの技術です。欧州メーカーはクリーンディーゼル不正の発覚によってエンジンを捨てることにしました。彼らのレギュレーション変更にまた日本は巻き込まれたのではないですか。かつての戦争が安全保障上の理由で起こったとマッカーサーも上院の軍事外交合同委員会で証言しています。それほどの大事件が今起きているのに。毎日のように「自動車産業は550万人の雇用を支えています」のCMが流れています。自動車産業に携わる人々の危機感のあらわれでしょう。エンジンを捨てた自動車メーカーはどうなるでしょう。すべての有意性がリセットされて20年後はgoogleやappleだけでなく聞いたこともないmade in Chinaの自動車が自動運転で走っているでしょう。日本は何が残っているでしょうか、安い賃金を背景にした労働力の提供しかありません。格差は開く一方になります。

 

【知っていますか】

ある大手のインターネットサイトで総売り上げの過半数はオーナーが外国人になったそうです。皆さんが日本の会社だと思ってネットで購入しているその商品の販売元は日本人のお店かもしれませんがお店のオーナーは日本人ではありません。すべての国内産業においてそれが起きます。コロナ前から倒産より廃業が増えました。M&Aなどという言葉を知らなかった人たちにも企業の吸収合併は普通のことになりました。但し買う側の会社が日本の会社であってもオーナーが日本人とは限りません。積極的な投資で日本企業を買う外国人は沢山います。日本人の消極的思想の根源は安全保障を他国に預けるような敗北主義であることにあると私は思いますが負け惜しみを言ってももう間に合いません。

 

【これからの日本】

現代の日本人の本音は「飢えない程度に最低限の生活ができるのなら誰に食べさせてもらっても拘らない」ということでしょう。国柄が変わっても皇統が断絶しても楽に最低限の生活が提供されるなら受けるという考えが大勢なのではないでしょうか。そういう意味では日本は地政学上利用価値がありますから不満分子が扇動を起こさない程度の生活は保障され存続すると思います。

 

私が感じる日本人の位置が御理解いただけたでしょうか、私の接するChinaのエリートは礼儀正しく勤勉で情熱を持っています。かつての滅んだ日本人をみるようです。50年前、三島由紀夫が予言した「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済的大国が極東の一角に残るのであろう」は間違っていました。経済的大国、それは日本の位置にある他国籍国になっているかもしれません。どうすれば回避できるでしょうか。残念ながら間に合いません。一度は地に落ちたほうが残った日本人の覚醒に繋がると思います。幕末の志士は危機感から先手を打って日本を救いました百数十年経って憂国の志士は現れません。一旦地に落ちても起き上がる日本人はいないかもしれません。飼いならされた、かつては勤勉だった日本人の子孫がどのような未来を獲得するのかは予想できません。ただ祈るだけです。

 

現在の日本人は一生子供でいようとし親も子供でいさせようとします。親の遺産や年金で暮らしている人。親にお金の援助を受けて生きている人がやがて親になって同じように子供の面倒を見る循環が起きないと、不足した部分を誰かが補わなければならなくなります。簡単で当たり前の理屈ですが自分で立つということ。一人で立たせるということを国家ができていないのに個人ができるわけがありません。逆もまた真で国民が自立できないのだから国家が自立していないのもうなずけるというものです。本当の歴史と伝統を知らない日本人が日本を繋ぐことはできないでしょう。荒れた寺院や社を各地で見ます。BrokenWindow(割れ窓)理論が叫ばれた1980年代。ある意味日本の黄金期でした。あれから30年以上が経ってこれが日本で起こっているのが実態です。

 

化石燃料をフルに使って産業を維持している日本でモノ作りはできません。生産時にどれだけ炭素を使うかによって工場を稼働することが許されない世界がそこまで来ています。エンジンを捨てた自動車産業の未来は暗いです。大卒初任給ランキング日本は20番目アメリカの半分以下です。実質賃金指数が20年間でマイナスになっているのは先進国で日本だけです。日本は物価も賃金も安いので外国人観光客が来るのです。日本が好きだからじゃありません。(安いのにサービスがいいから好きというのはあると思いますが)格差は大きく広がります。格差のどちら側にいるかは気づきの差だと思います。

この記事が刺激になり、このままじゃいけないかもしれないと思う若者が出現してくれることを祈ります。

 

 

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日清日露大東亜(6)日露開戦の背景

2021年02月28日

時間が空きましたので再確認です。第2次大戦までは帝国主義の時代です。欧米列強が武力でアジア/アフリカを

植民地支配していましたが正当な権利とされていました。これを現代の感覚で非難することは間違っています。

また、当記事は私の主観で書いていますので疑問や大事だと思うところはファクトチェックをお願いします。

帝政ロシアはバルカン半島の南下政策で

イギリスと対立しアジア方面へ進出し日本にとっての脅威となっていました。

 

1860年にはアロー戦争(第2次アヘン戦争)で英仏と清の仲介に乗じ清との国境線を変更しウラジオストクを手にします。

 

地図をみると日本海に不自然に伸びた国境。ロシアの不凍港はこうして生まれました。

(シベリア鉄道はモスクワとウラジオストクを結ぶ長大な鉄道です)

 

ウラジオストクの語源はいくつがありますが概ねウラジ=「治める」「占領」+ボストークvostok「東」で「東方を支配せよ」という解釈になります。この重要な位置と意味(日本の隣の不凍港)は現代に繋がっています。

日清戦争後でも日本は三国干渉によりロシアに権益の一部を放棄(遼東半島はロシアのものに)させられました。有色人種初の帝国主義国日本でしたが白人列強の傲慢に日本国民の不満も積もっていました。

 

ここでイギリスと日本の利害が一致します。お互いのChina・Koreaの権益を認めてロシアの膨張に対抗する目的で「日英同盟」が締結(1902年)されます。日本にとって最初の軍事同盟でした。(この同盟が長く続けば日本の運命も違ったものになったはずですが20年後第一次大戦の戦勝国(米・英・仏・日)の4カ国条約により失効しました。後々のことを考えると残念です。)

 

余談ですが本当は支那としたいのですがChinaと書きます。支那は決して侮蔑する言葉ではありません。満州に派兵された私の祖父は愛をこめて支那/支那人と言っていました。しかし、不快な思いをする(そう思わされている)人がいるというのでChinaと書きます。ただChinaは地域の名前で当時の国名は「清」です。Chinaは易姓革命の国ですから王朝が変わると違う国になるのです。清は漢民族の明に代わり1616年に建国した満洲民族主導の国です。

1900年、列強うごめく清朝Chinaで義和団事件が起こります。アヘン戦争以降Chinaにはイギリス・アメリカ・フランス・ドイツ・オーストリア・イタリア・ロシア・ベルギー・日本などが租界と呼ばれる外国人居留地を持っていて清の国力は低下していました。反キリスト教の宗教団体が義和団という組織を作り排外(外国排除)武力活動を起こします。清朝末期の西太后は初め鎮圧しようとしますが反転し義和団を支持し外国に宣戦布告します。

 

日本を含む8カ国が連合軍として2か月で鎮圧しました。連合国の兵力7万、清側20万、日本兵の犠牲者757人。外国人教会関係で約240人、China人のキリスト教信者は2万3千人が犠牲になったと言われています。日本兵に犠牲者が多いのは、地理上Chinaに近い日本とロシアの派兵数が多かったことも要因です。

 

義和団事件の結果、勝者である列強の意向やそれに伴う賠償金により清国の衰退と植民地化が一層進むことになります。また、日本が日露戦争に踏み切る原因にもなりました。

満州還付条約調印で出兵したロシアはChina東北部の満州を一時的に占領し1年半のうちに3度に分けて完全撤兵する約束をしたのですが姑息な手を使って実質的に約束を守らず居座ります。地図を見ていただくとわかる通り満州地方はウラジオストクとKoreaに接し、ここを抑えられると地理的に日本にとってKoreaが最後の砦となります。ロシアはKoreaにも触手を伸ばします。

 

1903年、満洲還付条約が帝政ロシアにより破棄されます。満州に兵を置き旅順に総督府を設置し奉天を占領。日本の最後の望みは「満韓交換論」日本はロシアの満州での権益を認めるがKoreaでの日本の権益は認めさせることを図りました。最後の防波堤を守りたいという日本の願いが込められたものでしたが望みは絶たれます。ロシアはこれを拒否し日本は「窮鼠猫を噛まざるを得ない」状況になってしまいました。

 日本はロシアとの戦争は避けたかった。何しろ勝ち目がありません。日本とロシアとの国力、兵力差があまりにも大きいことを政府も軍も分かっていたからです。

 

負けるつもりで戦ってはいけませんが勝ち目がないとわかっていても戦わなければならないときがある。今の私たちには理解はできても実行できません。平和の祭典と戦争を比較してはいけませんがコロナ禍でのオリンピックを迎えた日本人の弱気発言が気になります。軍人勅諭には「命は鴻毛より軽し」などと人権軽視の部分もありますが一旦国家が決定したことはやり抜くという力があったことは羨ましく思います。現代の日本人が当時の人々より精神的に脆弱になったとすれば、それも問題だと思います。

 

その点はChinaの為政者を尊敬します。彼らは一旦口にしたことは何十何百年かかっても必ず成し遂げます。そのChinaと今の日本人が対等に交渉できるとは思えません。China数千年の歴史の中で一つの国が続いていた事実はありませんが常に大国でした。たまたまアヘン戦争以降の列強によって狂わされた統治によって一時停止していただけです。これから必ず復権します。そうしたとき我が日本が腑抜けの国になっているこの事実を為政者や若者は自覚して備え改善しなければなりません。

 

日露戦争で勝ち目のない相手にどう臨んだか次回以降に記します。(既に明治天皇の回線の詔勅は紹介済みですが)過去に学びせめて気持ちだけでも先人に続きたいものです。

 

 

 

 

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建国記念の日 (紀元節 日本国の誕生日 国の成り立ち)

2021年02月11日

神話ブログにも書きましたが、記紀によるところ紀元前の660年に神武天皇が奈良の橿原の宮で「即位」されたのが旧暦1月1日で明治の御代で新暦2月11日を「紀元節」と定められたのが元です。日本国2621歳(皇紀2621年)ですね。なんでこんな基本的なことを日本人が知らないかというと知らせないようにされているからです。日本がアメリカ(連合軍)と戦争して戦後7年間GHQ(連合国最高司令官総司令部)に占領されました。連合国といっても実質アメリカです。日本が2度とアメリカの脅威にならないように様々な毒を盛った(敢えて悪い表現を使っています)のです。

系譜:天地初発から神武天皇即位まで

その結果が今の日本であり歴史を知らされない日本人の増産であり日本が衰退していく原因と私は思っています。国の誕生日にふさわしくない内容ですが日本国はしばらく衰退(停滞している事実)するでしょう。しかし希望は持っています。いつか若者が気付くのではないか?気づいてほしいと。間に合わなければ日本は日本ではないものになるでしょう。いろいろな形でそうなります。

 

昭和42年「建国をしのび、国を愛する心を養う」休日として建国記念日となって復活します。よく復活できましたね。現代だったらどうだと思いますかGHQが盛った毒が蔓延した現代。「神話に基づく国を愛する心を養う日として紀元節を復活しましょう」などと保守の政治家が発言したら毒に侵された国民が反対するのではないでしょうか。国を分断するため「家族制度を解体」「大規模農家を農地解放により解体」「財閥を解体し企業を小規模化」「家族型経営の会社で労働者と経営者を分断」「11宮家を臣籍降下させ皇統を不安定化」「教育・文化・報道関係者をはじめとする公職追放で思想を偏よらせる」「自立放棄の憲法押しつけ日本を立てなくする」等々、弱体化の毒はありとあらゆる分野に撒かれ発芽し根付いています。

そういうベースの下に今の自分があることを自覚しましょう。軽々と「女系天皇でも良いのでは」などと言うべきではありません。男女平等とこの問題は違うのです。世界の混乱を見ていると「戦前の日本統治は間違っていなかったのではないか」(私の戦前は明治ですが)と思います。間違っていたのは民主主義を植え付けると言って思想侵略したアメリカのほうだったのではないでしょうか。何と言っても歴史は日本のほうがはるか長いですから。アメリカは250年の歴史しかありません、China4000年の歴史と言っても易姓革命の国です。建国からは100年です。日本は2621年です。日本を超える国はないのです。超えられる可能性としては日本の皇統を断絶させるしかありません。男系継承が止まれば断絶です。

 

さて、別の神話の頁にも貼りますが神倭伊波礼琵古命(カムヤマトイワレビコノミコト)「神武天皇」までの系譜を書いてみました。神々の相当数記載していません。実際はこの何倍何十倍もの神々や物が生まれたのです。興味があれば調べてみると良いでしょう。また私の系譜が間違っていてもお許しください。学者じゃないもので。

 

私のブログの神話の項も建速須佐之男命の神逐(かむやらひ)まできていますので、これからは終盤です。須佐之男命と大国主の「国造り」国津神から天津神への「国譲り」神武東征と御即位、歴代天皇のうちの応神天皇までと決めていますから登場する神から肉体を持った天皇や皇族へと話が移っていきます。建国記念の日に系譜をみて、これまでの当ブログ(文書が長くまとまらずすみません)を読んで国の成り立ちについて考えてみてください。特に若い人よろしくお願いしますよ。「日本のこと頼んだぞ」少なくても大東亜戦争で散華した人たちをはじめ多くの愛国者はそう思っているに違いありません。私もそういう気持ちです。

 

 

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日本神話 補足 神蚕

2021年01月10日

神産巣日命から授けられた稲・粟・小豆・大豆の五穀(古事記による)のほかに唯一の動物である蚕について書いておきます。きっかけは、ある印刷物に載っていた記事を読んだことです。記事によると小学校で蚕の体験飼育をしたのですが幼虫が全てが死んでしまい教師がゴミとして捨てたという記事でした。これがなぜ記事になったのかというと神社で配った印刷物だったからです。起ったことは「飼っていた芋虫が死んだから捨てた」それがどうしたということかもしれませんが、日本人にとっては大事件なのです。

私が子供のころ家の周りは桑畑だらけでした。今は桑の木などなくなりましたが養蚕の盛んな土地柄だったのです。日本人は神話とともに養蚕も捨てました五穀もどこまで守れるかわかりません。日本以外でも養蚕は行われますが日本では神話で神に授けられたとされるほど大切なものであり昆虫で唯一家畜化された生き物です。ヤママユ蛾科ですのでもともと成虫は羽化してからは食べることをせず繁殖のための1週間程度の命です。

千年以上、家畜化されたことで幼虫では桑の葉につかまる力がなくなりました。よって養蚕農家では広く桑の葉を寝かせて置きます。小学校で死なせてしまったのは桑の葉を立てておいたためのようです野生では生きられない昆虫なのです。

 

蚕は繭を作って羽化してしまうと糸を紡ぐことができないので生きたまま茹(ゆ)でられます。糸を紡ぎ死んだ蛹(さなぎ)は食用か他の動物のえさにします。繁殖のために成虫にしても殆ど飛ぶことも出来ません。人間に命を捧げるために生まれてくるのです。

 

養蚕農家では「お蚕様」「お蚕さん」と呼び大切に育て各地で供養もしています。学校の教育目的は何だったのでしょう。蚕と日本人の関係と性質も教えず、ただ飼うなら命の無駄です。「一寸の虫にも五分の魂」という言葉を日本人は忘れてしまったのでしょうか。日本という島国に生まれたから日本人なのではないのです。日本人を育てないと日本人にはならないのです。日本が心配、DNAだけの日本人ではだめです日本文化が大好きで文化や伝統を守っていこうとする外国人に住んでいただいたほうが良いと思うくらいです。

飛躍しますが皇族も生まれながらにして皇統を継ぐにふさわしい資格をもって生まれてくるのではないことが秋篠宮家をはじめわかってきました。教育が大切です。少しでも日本の神話を知ってもらいたいと思って書く身にとって、日本の祭司の皇大神宮の本家があの状態では心もとない限りです。誰を信じればよいのですか。上皇陛下の教育係はGHQに派遣されたエリザベスヴァイニングです。以降宮内庁の方針も戦前のものと明らかに違います。戦前の日本が間違っていたと言っていたアメリカを見てください間違っていたのは彼らかもしれないし後追いの現代日本も危険です。

 

 

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謹賀新年

2021年01月02日

あけましておめでとうございます。

予想もしなかったことが起きた一年でした。年初めに明るいご挨拶をしたいところですが令和三年も世界的な変化が起こるでしょう。個の人生というものは人類の長い歴史の1ページにも満たぬものですが大きな節目になると思います。「あと9年働かせてください」と今年もお祈りしてきました。

 

元日は氏神様に伺いました。いつもの年は零時前に並んで参拝するのですが今年は1日の午前中に誰もいない我が家だけのお参りでした。神棚は例年通り30日に皇大神宮様、氏神様のお札をお納めし人形(ひとかた)に邪気を移して晦日祓い大祓いをいたしました。

 

厄除大師で方位除けのお札をうけ、聖天山でだるまと破魔矢を買い早々に帰宅しました。例年の三分の一程度の人出で少ないですが露店も少ないながら出ていました。

本年は予想もしない大変化の一年になるでしょう。旧年は不本意な一年でした。企業の理念を果たせず悩んだ一年でした。この変化の大きななかで本来私たちの目指したモノづくりの具現化ができるでしょうか。私どもにとっても勝負の一年になると思います。従業員諸君はどうぞ自らに厳しく実りある一年にして、お客様の付託に応える力を持ってください。善人が必ずしも善行しないことを私は知っています。善行を行う者が善人であって、結果的に悪行となったらそれを行ったものは悪人です。私たちは善人にならなければならないのです。悪人でも生きていければよいという考えは少なくとも私にはありません。

今年は本当に厳しい年になります。それは私たちに必要な試練です。某話題の奥様が「艱難は自らを磨く砥石」と言いましたが「艱難を甘んじて受けよ」ということではありません。「艱難と戯れて乗り越えたときに魂が磨かれる」という意味です。逃げても恐れてもいけません。それは艱難をより強いものにしてしまいます。自分に与えられた艱難は自分のレベルに合わせて与えられているものですから乗り越えられないものはないのです。

 

その先に明るい未来が待っています。この世の中の変化は一年二年で片付くものではないかもしれません。しかしきっと明るい未来のために必要な時期なのだと信じて明るく前向きに参りましょう。このメッセージは私共の従業員に向かってのみではなく拙文に触れていただいた皆様に申し上げます。艱難に戯れて克服し心より笑いあえる日がきっと来ることを信じています。その時にはまた皆様にお目にかかりたいと思っております。それまでお身体にお気を付けください。皆様とご家族のご多幸をお祈り申し上げます。

 

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日清日露大東亜(番外)日露戦争 どう書くか

2020年12月06日

前回 畏れ多くも明治天皇のお気持ちを書かせていただきましたが、明治人最強説を公言している私としても日本の近代史としても日露戦争は壮大なテーマであって素人の私程度の知識で総括できるものではありません。もう一つの側面として日本として勝った最後の戦争です。勝ち方にもいろいろありますが、この勝利がもたらした日本国内の変化及び世界の変化というものはその後の世界の形を変えてしまったといっても過言ではないくらいの歴史的分岐点です。でも学校ではそのことはサラッと数ページ歴史の教科書に書いてあるくらいです。何故ですか?後に起こる大東亜戦争は太平洋戦争と呼ばれています。当時日本人は皆が大東亜戦争を戦ったのですが「その呼び方は使ってはいけません」と言われて「太平洋戦争」になったのです。戦死した日本人と話す機会があったら太平洋戦争なんて言っても伝わりません。戦争が終わって75年経ちました。大東亜戦争を使ってはいけないと現在言っているのは日本人です。何故ですか? 戦争後連合国が「おすわり」と日本人に言いました。言った側も忘れ気がついてみたら今でも日本人は未だ座っていた。何故か立たない否、自分の脚で立つことができなくなっていました。ある意味それが連合国側の目的で、そのために働いた日本人がいた、そして今もいるのです。

アメリカをみてください。彼等の云うところの太平洋戦争時、ルーズベルト政権中に300人のコミンテルン社会主義スパイがいたことが公開された公式文書(ベノナ文書)に記載されています。このスパイ工作が日米開戦の大きな一因でした。75年後の今、米の選挙で変なことが起きています。米の甘い選挙は投票する個人の特定と集計のシステムにスキがあります。共和党と民主党の票を合計すると不自然に多い投票数になってしまう。今の米政権の中にいる反政府勢力も仕事が雑です。今も目に見えぬもう一つの政府が存在し彼らの影響力は世界を動かすのです。

米も日本も性善説が強すぎます。民主主義の危うさ。その民主主義は本当の民意を反映しているのでしょうか。本当は絶対に間違わない人徳による治世が良いのだと思います。そういう意味で明治天皇の御代は日本が最も輝いた(一瞬でしたが)時代だったのかもしれません。

その明治に日本が行った日露戦争は国運を賭けた総力戦。国運を賭けない戦争なんてないと思いますが、スイッチ一つで他国を爆撃する現代の戦争と違って、歩兵が武器を持って前線で殺しあう戦争。そんなものを傍観もしていない後世の我々が軽く書いてはいけないという思いがある一方で、これは主観を交えて書いておきたいとも思います。

なにしろ日本の教育はこの時代について深く触れません。私が書く間違いも興味を持って調べる人が出てくれば無駄ではないと思います。

その後の日本の、アジアの運命を変えた日露戦争をどう書くか。戦争の史実はサラッといきましょう。史実はネットですぐに調べられますから。私は入り口までの案内人として、ここまでどういう流れで戦争に向かったか書いてきましたので、ここからは乃木希典(陸)と東郷平八郎(海)とそれに纏(まつ)わる人々にフォーカスしていきます。特に乃木大将については長くなります。私個人の思い入れが明治天皇-乃木希典-昭和天皇で繋がっていますから。

身内は長い文書に辟易して私のブログを読んでくれないのですが。私の遺書として亡くなってからでも良いから読んでみてください。そして日本のことを大切にしてください。

 

人物にエピソードを加えて書いていきます。迷信に近い話や噂話も書きますので真偽は自分なりに調べてみてください。誤解を受けそうですが兎も角、日露戦争を戦った明治人の正しく殺しあう姿勢は残念ながら大東亜戦争ではだいぶ劣化します。

 

偶然、三島由紀夫没後50年ですが三島先生が自衛隊に求めた「天皇の軍隊」所謂「皇軍」というものは日露戦争で終わっていたのかもしれません。先ほど書いた「武士道に通じる正しく殺し合う」ルールに基づく戦は大東亜戦争に於いて兵を動かす謳い文句として有効に使われましたが言葉を発した当人は腐敗堕落して多くの将兵を見殺しにした結果になってのではないでしょうか。

 

今後、日本人は何処を目指して生きていくのでしょうか?人任せにしてはいけません自分の事として考えましょう。人口減少・格差の拡大・社会インフラの劣化・外国との関わり等問題山積です。特に日本人の人心の劣化が著しいことが原因で社会的経済的に国威が下がっていくでしょう。どのレベルまで下がるか予想できません。或いは亡国にまで至る可能性もゼロとは言えません。下がるところまで下がってから気づくと思います。その頃もう我々は居ませんが、もう一度上昇するためには復古が必要だと気づくでしょう。さてどこを目指すのでしょうか。私のお勧めは明治です。誤解してはいけません。物質的なものを目指すということではありません。人心道徳からやり直すことを目指すなら日本人なら明治です。それだけ祖先には地球上で真剣に生存を賭け戦った時期があったということを知っていただきたいと思います。

 

 

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三島由紀夫没後50年

2020年11月25日

本日は三島由紀夫先生の50回目のご命日です。恥ずかしくも浅学の身ながら近代日本に全く興味なく本件を知らなぬ誰かの目に触れることを祈り、浅い切り口により三島由紀夫(本名:平岡公威)先生について語らせていただきます。この記事が誰かの興味を広げ深めるきっかけになれば幸いです。

自決から40年 今よみがえる三島由紀夫の表紙 「盾の会」の制服の剣は銃刀法により模型で 長さも制限されたものだった。

「かくすれば かくなるものと 知りながら 已むに已まれぬ 大和魂」

「身はたとい 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」

共に吉田松陰先生の句で後者は辞世(世を去る時に読む歌)です。松陰先生がどのようなかたであったかも知らなければ調べてください。幕末に国を憂(うれ)い、自らを犠牲にしても国を守らん。若者を導かんとしたかたです。そういう意味で三島由紀夫先生も同じような思いだったことでしょう。

 

三島先生が亡くなったのは昭和45年11月25日、松陰先生は安政6年11月21日(新暦)に処刑されました。近い日を選んだのでしょうか。二人の共通点は「大和魂」です。50年前の日本は学生運動が最も激しい時代。大正14年(昭和元年)生まれの三島先生は45歳でした。

 

平岡公威少年は良い家柄に生まれ祖母に育てられます。幼少期身体が弱く室内で文学に触れる機会が多かったこともあり学習院在学中の10代半ばではやくも才能を認められ三島由紀夫を名乗るようになります。

三島先生の肉体的に小柄で虚弱であったというコンプレックスは後に出会う美輪明宏氏の回想からもうかがわれ30歳を過ぎボディビルに傾倒し半年で外見上強健な肉体を持つようになりました。作家としては古典を徹底的に学んだ基礎の上に圧倒的な語彙と日本語力を基にノーベル文学賞候補になります。(ノーベル賞は仲人の川端康生が受賞)

 

天才故、一般人には行動の意図が謎とされることが多いです。私が三島先生を初めて意識したのは命日の市谷駐屯地バルコニーでの演説をする姿。テレビで見ましたが意味は分かりませんでした。当時母が神道保守系の宗教団体に入会していた関係で総裁、谷口雅春先生と共通の思想があった三島先生のことは子供ながらに聞かされていました。

 

三島先生は事件の3日前11月22日、谷口先生に面会を求めたのですが当日は谷口先生の誕生日で様々な催しがあり取り次がれず面会が叶いませんでした。「ただ一人、谷口先生だけは自分達の行為の意義を知ってくれると思う」と遺した三島先生。ここでお会いになっていたらと連絡があったことを知らされなかった谷口先生も残念がっておられました。

谷口雅春先生の著「占領憲法下の日本」に三島先生が寄せた序文。「生命体としての日本国家」という言葉に共感されている。

「今に日本はとんでもない時代になるよ。親が子を殺し、子が親を殺し、行きずりの人を刺し殺してみたり、そういう時代になるよ」

美輪明宏氏が三島先生から聞いた言葉です。当時はそんな事件は殆どありませんでしたが本当に三島先生の予言通りの国になってしまいました。皇国日本を大切に考えていた三島先生は日本の将来を憂いていました。学生運動で荒れる大学。憲法上治安維持に自衛隊の出動ができません。機動隊では手に負えなくなってきて、学生や機動隊から死者が出ます。交戦権のない憲法は軍隊を否定しながら自衛隊が存在します。皇国日本のあるべき姿は日本の国体は天皇でありその天皇を守る軍隊が自衛隊でなければならないというものです。

 

市谷駐屯地で総監を人質にとってバルコニーで最後の訴えをします。自衛隊に決起を、憲法改正を求めて。しかし自衛隊員の野次とマスコミのヘリコプターの音で聞こえません。「人の心を動かすには地声で」ということでマイクは使いませんでした。自衛隊員の耳にも心にも先生の言葉は伝わらなかった。どんな気持ちだったでしょう。絶望したでしょう。三島先生は武士の作法に則って総監室で自害します。介錯は25歳の森田必勝ですが森田氏も後を追い。(先生は止めたのですが)介錯は荒地浩靖(旧姓:古賀)氏がつとめます。

  

「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」

昭和45年7月に掲載された「果たし得ていない約束-私の中の二十五年」という記事です。

「生かせてもらえるなら主(あるじ)は誰でもいいや」「アメリカでもChinaでも恩恵を受けられればいいや」いま日本はそんな雰囲気に満たされていませんか。三島由紀夫先生、谷口雅春先生。お二人の共通点は天皇を中心とした国家観です。日本の中心には天皇がなければならないという点で一致しています。そのほかは異なる部分も多いですが私もこの考え方の影響を受けています。日本の皇統が途切れたら、天皇というものが残ってもそれは日本ではないと思っています。

両先生の悲願。自主憲法制定。

50年前の学生運動、私の立ち位置からはあの方向は間違っていたと思いますが、世の中を良くしなければならないという熱意はあったのでしょう。しかし50年後の今、若者にその熱気はありません。「からっぽな、ニュートラルな、中間色で抜け目がない日本」ただ先生。裕福な経済大国ではもうなくなっています。ここから下降線をたどることを日本人は選びました。そして先生方は信じられないかもしれませんが未だ憲法も改正されていません。自衛隊は違憲のまま法解釈で存在する公務員です。天皇を守る軍隊でもなければ、そう考える隊員の割合も非常に少なくなっているのではないでしょうか。

三島先生は、自衛隊の決起を促す目的で「祖国防衛隊」組織しようとしますが、その前段階として「盾の会」を作ります。「盾の会」で幹部を養成し「祖国防衛隊」の指揮を執る。これは自衛隊が直接治安維持出動できない隙を埋める間接侵略に備える民間防衛組織です。

 

先生の情熱は素晴らしいですが、当時の保守系の学生でさえそこまでの組織は作れませんでした。傍から見れば大変失礼ながら(私は決してそう思っていませんが)防衛隊ごっこで終わってしまったのかもしれません。50年後、我々は完全に骨抜きになって裕福な経済大国の地位さえ放棄して安楽を選択してしまいました。

三島先生が命を賭けて訴えたかったのは自衛隊の蜂起と言われていますが私はそうではないと思います。後世の我々に真剣に生きろ(考えろ)というメッセージを残したのだと思います。

 

三島由紀夫先生没後50年。谷口雅春先生没後35年の今、先生たちの想像をはるかに超えて日本は日本であることを捨てようとしています。それでもいいやといふ雰囲気に満ちています。否、そこまで考えていません。先生方に大変申し訳なく思います。私には何ができるのでしょうか。せめてブログなどという誰の目に留まるかわからないものを書いて、一人でも「それじゃいけないかもしれない」という若者に気づいてもらうことくらいでしょうか。憲法を改正し間接侵略への備えと民間防衛が、これからの日本には必要なのです。

 

合掌再拝。

 

 

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我が家のブヒ。くるみちゃんのおやつ。

2020年11月21日

久々にプライベートネタですが、我が家の「ブヒ」フレンチブルドッグの「くるみ」はヨーロピアン系の胴長脚長体形です。フレブルには大きく2系統あってアメリカ系は首・胴体・足が短く愛嬌がある体形。うちの子みたいなのがヨーロッパ系のようです。いずれにしろ人間によって改良された体形で。我が家のかかりつけの獣医さんは診察に行くたびに「人間がこんな体にしたからいろいろな病気になって可哀そう」と言います。動物愛護の観点から「短頭犬を飼ってはいけない」という運動まであるくらいですから犬に血統があるということはそういうことですね。短頭種の問題は呼吸が苦しい。胴が短く内蔵や関節の負担が大きい。特にフレブルはアレルギー性皮膚炎の子が多いです。我が家も定期的に医者通いですが、その度に犬好きの獣医さんのため息を聞いてしまいます。うちは体重を軽く維持して毎日ブラシングを怠らず皮膚をケアしています。

 

そんな彼女の食の楽しみは「チューイングボーン」と「かき氷」毎晩これをあげないと納得してくれません。今日はチューイングボーンについて書きます。我が家では、あるメーカーさんのものを食べさせていますが、初めの頃そのまま開封して食べさせていました。しかし途中で飲み込んでしまいます。ちょっと怖いなと思っていたころ、やはり喉につかえてしまいました。慌てて喉の奥に手を突っ込んでもとどかないので、首の付け根のほうから押しながら同時に指を突っ込んで抜き取りました。塊でのどがふさがるというより長さのあるものが突っかかったようでした。この製品は牛脂を丸めて作っていますが複数枚或いは小さい牛脂を包み込むなどして厚みを出しています。(特に中央)そこでワンコが食べている途中でその部分が抜け、丸呑みして引っかかるようでした。それ以来ボーンを解体して与えるようにしたのですが、①のような状態のものもありました。中身が硬化して変色しています。内側が先に劣化するとも考えにくいので、古い牛脂を内側へ詰めたのか?保存状態が悪いのかと色々考えてしまいましたが購入先を変更しました。

以来、我が家では品質チェックもかねて以下のような方法でボーンを与えています。参考にするときは自己責任でお願いします。

 

②まず袋に水を満たします。お湯でもいいのですが均一に柔らかくならないので水で30分くらい戻します。長すぎると形が崩れまとまりにくくなります。

③むずび目をほどきます。手でほどける場合もありますが添加物?でくっついていることがあるのでラジオペンチを使っています。(けがに気を付けて)

④まっすぐ伸ばします。

⑤形を保ちやすいように複数本 まとめて縛り、その後室内で数日から10日程かけて乾燥します。

⑥我が家の場合中央でカットします。枝切ばさみで危ないので一気にではなく外側から少しずつ切りましょう。

(⑦のカット面①と違いきれいですね。時々少し黄色いのもありますが この部分を飲み込んでしまうので注意です。この部分を取ってしまって小さく切っておやつでも良いですが我が家では、細いほうだけあげでこの部分は持ち手にしています)

⑧我が家では半分にした1本を2日に分けて与えます。与えるといっても面倒ですが怖くて放っておけないので⑨のように手で持って大きな塊にならないようにあげています。

 

いつも妻が与えるのですが、喉につかえたときの苦しそうな姿がトラウマで私がいる時しかボーンを与えません。初めの頃は、お行儀が悪く、とにかく引っ張るので妻は肩を壊し接骨院通いになりました。注意が必要です。食べ物と言えばドッグフードとボーンだけなのですから、人間から見たら少しかわいそうですけれど短頭種は寿命が短いので少しでも幸せに長生きして貰うためにお世話しています。

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日清日露大東亜(5)日露戦争序

2020年09月22日

『よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ』(明治天皇御製 明治37年)

古事記と和歌が理解できないと日本人になれないといわれます。御製とは天皇が詠んだ和歌や詩文のことです。

明治天皇の御製は九万三千首を超えています。

明治政府を簡単に言えば1867年の王政復古によってできた日本の政府ですが「薩長政府」をいわれるように維新を遂げた人たちによる政府です。ここから立憲政治へと変えていきますがそれを進めるのも当然の成り行きから「薩長」中心でした。あまり薩長が目立ちすぎても国民から不満が出るので内閣制導入も気を使ったと思いますが結果的に今でも長州の総理大臣が一番多いのです。

 

日本帝国憲法発布により憲法の条文の下で天皇は陸海軍を統帥する権限を持つことになります。

明治天皇の御心を私ごときが量るのは畏れ多いことですが近代国家になろうとしていた日本の軍隊は皇軍(天皇の軍隊)でした。新政府が初めに行ったのは、天皇を中心とする政権体制を固める事であったのです。

 

天皇の生まれ年を西暦で書くのは憚れますが分かりやすいので敢えて記すと1852年11月3日。11月3日が明治節を経て「文化の日」と呼ばれるのは明治天皇が和歌を始め文化に造詣が深かったことによります

1868年(明治元年)は御年16歳です。

1881年 ハワイカラカウア王訪問時 陛下は29歳。日本国も未熟でした。

1894年 日清戦争42歳。

1904年 日露戦争52歳。列強には遥か及びませんがようやく先進国家に近づいた時期でした。

 

ハワイの占領を傍観するしかなかったこと。欧米列強が亜細亜で我が物顔のふるまいを見せていたこと。これらを明治天皇はどんなお気持ちでみて居られたのかと思います。

そこで冒頭の有名な御製です。日露戦争開戦が決定した直後に詠まれたという説がありますが正確には わかっていません。ただし、明治天皇記にかかれた御前会議前後の天皇のご様子から決定後に詠まれたものと私は思います。意味は「四海(日本の周り近隣諸国)は皆同胞だと思うのに何故ゆえ波風が騒ぎ立つのであろうか」ということです。30余年後、昭和天皇が大東亜戦争開戦の御前会議でこの歌を2度引用されます。同じお気持ちだったということだと理解します。

日露戦争を語る前に明治天皇の開戦の詔勅(開戦に当たってのお気持ちを表した文)を現代語訳版で記します。偽らざる天皇のお気持ちが書いてあると思います。開戦の詔勅、終戦の詔勅をよく読むことが日本人としてその戦争を理解することにつながるのです。疑う人もいるかもしれませんが私は真の御心だと信じます。明治天皇や昭和天皇を好戦的な人物とみるような考えを私は強く否定します。世界一平和を愛する天皇でさえ止められないうねりが、この世の中には起こるということです。

 

-----日露戦争開戦の詔勅現代語訳-----国立公文書館 アジア歴史資料センター 引用)

「天の助けによって先祖代々皇位を継承してきた家系に属する大日本国の皇帝は、忠実にして勇敢な汝ら国民に以下のことを知らせる。

 朕はこの文書で、ロシアに対する戦争を行うことを布告する。朕の陸軍と海軍は、ぜひとも全力をつくしてロシアと戦ってほしい。また朕のすべての部下らは、それぞれの職務や権限に応じて国家の目的が達成されるように努力してほしい。国際的な条約や規範の範囲で、あらゆる手段をつくして誤ちのないように心がけよ。

朕の考えは、文明を平和的なやりかたで発展させ、諸外国との友好関係を促進することによって、アジアの安定を永遠に維持し、また、各国の権利や利益を損なわないようにしながら、末永く日本帝国の将来の安全が保障されるような状況を確立することにある。これは朕が他国と交渉する際に最も重視していることがらで、常にこうした考えに違反しないよう心がけてきた。朕の部下らも、こうした朕の意思に従ってさまざまな事柄を処理してきたので、外国との関係は年がたつにつれてますます厚い親交を結ぶに至っている。今、不幸なことにロシアと戦う事になったが、これは決して朕の意志ではない。

 日本帝国が韓国の保全を重視してきたのは、昨日今日の話ではない。我が国と韓国は何世代にもわたって関わりをもっていたというだけでなく、韓国の存亡は日本帝国の安全保障に直接関係するからでもある。ところが、ロシアは、清国と締結した条約や諸外国に対して何度も行ってきた宣言に反して、今だに満州を占拠しており、満州におけるロシアの権力を着実に強化し、最終的にはこの土地を領有しようとしている。

 仮に満州がロシア領になってしまえば、我が国が韓国の保全を支援したとしても意味がなくなるばかりか、東アジアにおける平和はそもそも期待できなくなってしまう。従って、朕はこうした事態に際して、何とか妥協しながら時勢のなりゆきを解決し、平和を末永く維持したいとの決意から、部下をおくってロシアと協議させ、半年の間くりかえし交渉を重ねてきた。ところが、ロシアの交渉の態度には譲り合いの精神はまったくなかった。

 ただいたずらに時間を空費して問題の解決を先延ばしにし、表で平和を唱えながら、陰では陸海の軍備を増強して、我が国を屈服させようとした。そもそもロシアには、始めから平和を愛する誠意が少しもみられない。ロシアはこの時点になっても日本帝国の提案に応じず、韓国の安全は今まさに危険にさらされ、日本帝国の国益は脅かされようとしている。

 事態は、既にここまで悪化しているのである。日本帝国は平和的な交渉によって将来の安全保障を得ようしたが、今となっては軍事によってこれを確保するしかない。朕は、汝ら国民が忠実にして勇敢であることを頼みとして、速やかに永久的な平和を回復し、日本帝国の栄光を確たるものとすることを期待する。」
≪御名御璽≫

 

御名御璽とは天皇のお名前のと押印のある正式な文書であることです。

皆さんは100年以上前の日露戦争開戦の詔勅を読んでどう感じましたか。日本を取り巻く環境が今も当時もそれほど変わっていないと思いませんでしたか。今世界は帝国主義の時代ではありません。しかし戦争も侵略もなくなっていません。(表立ってドンパチやらないだけです)日本は日米同盟がありアメリカに守ってもらうことになっていますが、日本のためにアメリカの若者の血が流れることをその家族が許すでしょうか。大国の思惑で小国が翻弄されるということは今も昔も変わっていません。

戦うくらいなら占領されることを選ぶという人もいます。そういう人だけが占領されてくれれば良いのですがそうもいきません。温故知新、歴史を知って未来に備えましょう。私たちの日本国と子孫のために。

 

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藤井一中尉のご縁で

2020年09月13日

藤井一中尉に ご縁をいただきお笑いコンビ、アップダウンの竹森巧さんと知り合うことができました。知り合って日も浅く、お会いしたことも数度しかありません。相方の阿部さんともお会いしたことはないのですが竹森さんの表現者としての才能はお笑いの部分だけでなくシンガーソングライターとしてもなかなかのものです。

 

そんなお二人が共鳴して伝えていかなければならないと思ったのが陸軍の特攻機地であった知覧から昭和廿年五月二十八日に出撃された藤井一中尉と小川晃少尉のこと。二人芝居音楽劇『桜の下で君と』という作品です。劇はフィクションですから関根一郎中尉と久保玄七少年飛行兵になっています。

 コロナ禍で講演活動ができずYoutubeで無料配信(9月22日までですが)されています。

https://www.updown-sakura.com/

私に発信力がないため拡散できず申し訳ないですが皆さんに一度見ていただきたい作品です。(無料配信ずっとやったらいかがですか?費用はクラウドファンディングで)

 

発信力と行動力もちろん才能も、すごく羨ましいです。たくさんの人にいろいろなことを知ってもらいたいと思っても、知っていただければきっと意義のある情報なのにということも一般人ではなかなか伝えることはできません。お二人の活動を通じて、このお話が世に広まることを望みます。どうか今後もいろいろなテーマがあると思いますが『桜の木の下で君と』が演じ続けられますように。

 

私の意見も一つ述べさせていただきます。

大東亜戦争にまつわる記録や伝聞が多くの映画やドラマ、教育者や語り部によって現代を生きる多くの戦争を知らない世代に伝えられています。しかしその多くは2度と日本が戦争を起こしてはならないという方向に偏るあまり、当時の為政者であった軍の上層部をはじめ政治家や天皇の責任と、それに乗せられて被害を受けた一般人や赤紙で募られた軍人軍属のような対立の構図になっていないでしょうか。皆さんの心の中に無意識のうちに植え付けられていないでしょうか。

 

私は公教育を受けて社会に出、二十代後半に韓国に10回ほど仕事で行く機会があったのですが、韓国人と普通の会話をするときでも何か壁を感じたし何となく罪悪感のようなものが自分の中にあることに気づきました。私だけかもしれませんが、これが戦後教育の負の成果だと思います。

 

回りくどくなってしまいましたが、日清日露大東亜の記事が完成したら理解していただける人が増えるかもしれません。大東亜戦争だけを戦後教育史観でみれば無謀な戦争に突っ走った日本が亜細亜にも自国民にも取り返しのつかない迷惑をかけたということになるでしょう。しかし我々はそろそろその史観から卒業したらどうでしょう。

 

ものの見方には一方から見たのでは真実は見えてきません。戦中に生きた人は、起きていた事実は見たのでしょう。焼夷弾が降る中防空壕に逃げた話は私の母さえします。ただそういう人が真実を理解しているとは言えないのです。戦後、教科書を黒く塗った世代(一般の人)はむしろ戦争の真実を知らない人が多いのです。今我々は当時を生きた人より真実に近い情報を得ることが出来る立場にいます。それを皆が知るべき時期が来ています。

 

劇中にも出てきましたが、多くの人の死を無駄にしないことが現代を生きる我々の使命です。無駄にしないとは単純な反戦に走ることではありません。『後の日本をたのんだぞ』託されたのは誰ですか、私たちには責任があります。無抵抗に蹂躙されろと言われたのではありません。日本の国体を護ってくれと言われたのです。

 

 

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日清日露大東亜(番外太平洋)ハワイ申し訳ない。

2020年08月29日

アヘン戦争(1840年)アロー戦争(1856年)日清戦争(1894年)と清が戦っていた頃 太平洋で起こっていた事。

 

ハワイやグアムは何故アメリカなのでしょうか。アングロサクソンの強欲には重ね重ね恐れ入ります。ハワイにカメハメハ大王がいらっしゃったことを知らない人はいないと思いますが、大王はアメリカ人じゃありません。周辺の諸島を統一して1810年にハワイ王国を建国した元ハワイ島の酋長です。1800年代初めハワイにはキリスト教布教と捕鯨目的で列強が出入りするようになります。

白人はハワイの内政に干渉し選挙権を得て1850年頃には土地の私有化が合法になり全土の75%が白人の土地になりました。たった12年の間に。(いま日本も危ないですが)ようやくハワイの王がこの問題に気付いたのですが時遅し。1881年当時のカラカウア王は通訳一人だけを伴い人目を盗んで事前連絡なく明治天皇に拝謁します。目的は同じ亜細亜人として一致して欧米列強に対峙しようという提案をするためです。

 

当時日本はアジアで唯一列強に対抗できる準備をしていた国。切実な王は姪であり皇位の資格があるカイウラニ王女を皇族に嫁がせてでも。と願い出ます。

日本の返事は、明治維新から15年そこそこの日本には列強を敵にハワイを助ける力はないというつれないものでした。ここでも、自らを頼ってきた亜細亜人に無力だった若き明治天皇の御心が偲ばれます。

 

「さようならうるわしき日本」と日記に残して王は帰国。1887年、白人がカラカウア王宮を占拠してクーデターを起こし王は権力を失います。3割の白人のみに選挙権が与えられたハワイ。アメリカに送られた王は日本訪問から10年後に亡くなります。

 

1891年8代目リリウオカラニリ女王(涙ものの歌詞アロハオエを作られたかた)が即位しますが彼女がハワイ最後の王となります。(歌詞を読んでみてください)

 

亜細亜人と白人との摩擦によりアメリカは戦艦ボストンを派遣しホノルルは占領されました。この横暴を聞いた日本はハワイの日系人保護のため浪速、金剛の2隻の巡洋艦を真珠湾に送りボストンを挟むように投錨し抗議の意を示しました。

力をつけた軍事力でしたが遅かったのです。1994年アメリカの後ろ盾で臨時政府が独立を宣言しハワイ王国は84年の歴史を閉じます。

 

1年後、浪速は再びホノルルに寄港。新政府は浪速に

1周年の祝砲を撃つことを要請しますが東郷平八郎艦長は「その理由を認めず」として断りました。

明治の軍人として最低限の矜持を示したのです。

もちろん人それぞれ自由ですが私は米領ハワイやグアムで無邪気にはしゃぐ気にはなりません。列強に翻弄された亜細亜を想うとき、異民族の前に滅んだ国家を想うとき取り返しのつかない悲しい気持ちになります。

 

日本はまだ滅んでいませんが内部から分断しています。日本の保守の政治家からも女系天皇容認の発言が出て参ります。日本の皇統断絶(女系天皇が誕生)の時、皇室も日本人も日本列島も残るかもしれませんが、それはすでに日本ではありません。日本国は、大和の国は滅亡したのです。

 

観光で踊られるフラダンスの映像を見るとき国を失って形だけが残る虚しさ感じる人は少ないでしょう。しかし私は感じてしまうのです。おそらく私が生きているうちは大丈夫だと信じますが、そんな日本は見たくないのです。残った人たちは日本人の矜持を取り戻してほしいです。竹槍で最後の一人になっても抵抗するなんてナンセンスではありますが、気持ちだけでも持っていただきたいと思います。自分の家族、親族、地域社会を守ることが国家を護ということとつながるのです。

 

日本の皇統は神から続いています。神話を知らずして日本人を騙るなかれ。神話を忘れてはいけません。

 

 

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日清日露大東亜(4)三国干渉 臥薪嘗胆

2020年08月29日

一万人を超える死者を出し日清戦争に勝利した日本。相手にも犠牲があることを忘れてはなりませんが帝国主義のこの時代、戦勝国は敗戦国に対して賠償と戦果に見合う要求ができたのです。

日清戦争の講和会議は山口県下関市(安倍総理の選挙区ですね)の料亭で行われます。この会議で結ばれた馬関(下関の旧称)条約が現代でいう「下関条約」です。全権、伊藤博文(総理)陸奥宗光(外相)清側は李鴻章(総督)李警報(大臣)との間で結ばれました。

骨子は主に以下の4点でした。

・朝鮮の独立を認める事

・遼東半島と台湾及び澎湖諸島の割譲

・賠償金2億テールの支払い

・日新通商航海条約の締結に伴う租界地での治外法権の承認

 

亜細亜の大国清が破れたことで清を見る世界の目が変わっていきます。列強が清への干渉を更に強くしていきます。特にロシアは日本の進出を好ましく思いません。下関条約が結ばれてすぐ(6日後)ドイツやフランスと共に日本にロシアにとっての要衝でもある遼東半島を返還するように迫ります。戦争も理不尽ですが当時は帝国主義時代力のあるものが弱いものをねじ伏せる時代だったのです。新興国の日本はこれらの大国に抵抗する力がまだなかったため理不尽な要求を跳ね返すことができませんでした。遼東半島は清に返還され後にロシアが租借することになり他の列強も弱体化した清国内に次々に租借地を拡大していきます。大国に翻弄される清。アングロサクソンの露骨さには恐れ入ります。

 

日本は第一義の目的である朝鮮半島の独立は果たしました。(勝手にやったことではあるが一万人の犠牲をだして独立させる必要があったのか少なくとも当時の人はそう信じたのでしょう)

 

この列強の状況を飲まざるを得なかったのが三国干渉と呼ばれる歴史的屈辱ですが、御前会議での明治天皇のお気持ちはどういうものだったのでしょうか。力のあるものに屈する時代が令和の時代にも繰り替えされようとしていると感じるのは私だけでしょうか。これを機に日本国民の中には怒りと同時に「臥薪嘗胆」が合言葉になります。苦境に耐え忍び力を蓄えるということです。「今に見ておれ」という気持ちが国民全体にいきわたり、政府は更なる軍備増強を進めます。

ちなみに下関条約で台湾は文字通り日本の植民地になります。朝鮮は併合ですので植民地とは少し違います。日本は台湾ではじめは軍政を敷き抵抗を鎮圧し、その後民政に切り替えます。列強の植民地「支配」とは違う統治をしていきます。民政局長 後藤新平のことは自分で調べてください。嘉南大圳の八田 與一もお忘れなく。

 

一万人の犠牲を出して朝鮮を独立させた日本でしたが彼らには「事大主義」という考え方があり、それが陸続きの大国間で生きていく術だったのかもしれませんが常に強いものに迎合するのです。三国干渉に屈した日本を見て朝鮮王朝はロシアと近づきます。王朝は親ロシア、親日派は排除されるようになります。さあ、日本はまた勝手に朝鮮をめぐって日露戦争への道を歩んでしまうのでした。

 

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安倍総理辞任に想う

2020年08月29日

昨日、安倍晋三総理が辞任の意を表明されました。いくつかの点で大変ショックでした。第一に潰瘍性大腸炎という難病を持ちながら総理大臣という要職を続けられたという点。第2次安倍政権発足直後、2つの難病を持つことになった私。難病の定義は「原因不明」「完治療法がない」「進行性である」こと、社会的な死をイメージしてしまう病気を持ちながら総理大臣の職務にあたる姿に励まされてきました。総理と私の立場では相当の乖離がありますが私の一つの希望であったことは確かです。その総理が任期を残して病を理由に自らの判断でお辞めになる。命に係わる難病2個持ちの私が医師に「あと10年は働かせてください」とお願いし、同様に毎日神仏に祈っても避けられない宿命の訪れを感じないわけにはいきませんでした。自由民主党の後任はいずれ決まるのでしょうが、私の後任はどうなるのでしょう。考えてしまいます。

 

次に自民党の総理候補についてです。明治維新の影響で明治政府の初代伊藤博文から7代目まで(同じく伊藤博文)の総理は旧長州藩、旧薩摩藩が交互に勤めたのは周知のとおりです。また、最近安倍総理が更新した総理の在任期間の上位4人はすべて旧長州藩(山口県)出身者です。当然、総理大臣在任期間の県別合計では圧倒的に山口県、2位の群馬県から6位の広島までの在任期間をすべて足してようやく山口一県に並ぶ程度です。(令和2年8月)

維新が何故起きたのかは別記事に書きましたが、「日本を取り戻す」と宣言して発足した安倍政権は日本をどの程度取り戻したでしょうか、もともと安倍総理は裏方が向いていらしたのかもしれません。私には朋友の故中川昭一先生との約束を一生懸命自分なりに果たそうとされていたように見えました。「日本をたのんだぞ」の声に応えようと頑張りましたね。安倍総理は元々穏健派です。マスコミや世間がタカ派(右派)、中には極右などと言っていますがとんでもありません、逆に小泉路線を引きずった解放協調政策でした。靖国参拝も1回、拉致問題も北方領土問題も尽力に見合う成果は上がりませんでした。(効果はあったはず)

これら施策の実行には、もの言う政治家、中川昭一のような人物が必要なのです。安倍晋三総理は性格が優しすぎます。やさしさと弱さの境界は曖昧です。中川昭一先生を失ったことは大きいしいしもう戻ってきません。今後の日本の国益に適う先生のような物言えるリーダーが生まれることを祈ります。

 

明治維新は「幕府にはもう国を一つにまとめる力がない。国を強くするには一つにまとめるのだ。」という運動でした。結果、薩長をリーダーとして一つに纏まる国家づくりに一旦は成功しました。しかし日清日露大東亜を経て解体されました。日本は精神が分断されて人心を纏めることができなくなりました。外国勢力とそれに乗った敗戦利得者が作った分断社会。明治維新の志士、薩長の為政者が目指した日本では既になくなったのです。山口県出身の吉田松陰先生の志を継ぐ安倍晋三総理さえそうでしたので今後の日本の政治に期待できないのは私だけではないでしょう。私の子供、未来を担う青年に私たちは何を渡せるのか、生き残るためなら強いものに跪くような国にはなってほしくありません私たち大人が、そんな未来に道を開いてしまってはいけないのです。

 

正しいことを正しい。誤ったことを違うと言えない社会が健全であるはずがありません。日本人はたとえ事実は違っていても謝り続けろなどという理不尽な事にこれ以上、子孫を巻き込んではいけない。ましてや歴史や価値観、文化の違う国の支配を受けるような状況は避けなければなりません。次世代のリーダーには先人の目指した正しい理念に基づく正しい施策を実行できる人物を望みます。

 

最後に安倍総理 今後の政治活動にも期待しています。お身体をいたわりながら少しでも長く国家国民のためにご尽力頂きますようお願い申し上げます。ありがとうございました。

 

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令和2年 敗戦の日に想う

2020年08月15日

今年の8月15日は75回目の敗戦の日です。テレビ報道で私の住む熊谷が14日に最後の空襲を受け266人が亡くなったと紹介されていました。「日本の一番長い日」のように熊谷が空襲を受けた時点で既にポツダム宣言受諾が決定しており、被災された方の無念を思い心が痛みます。

 

「戦争は2度と起こしてはいけない。」当たり前です。

戦争は誰も幸にしません。全家族を不幸にする争を文明人が許せるはずがありません。私たちはそう教えられ、自らもそう考えます。しかし、理不尽な暴力に対してどう対処してよいのかも学ばなりません。

別考でも書いていますように、日本が過去の戦争にどのようにして巻き込まれたのか、何故侵攻したのかを学ばずして自虐史観ばかり刷り込んでいけば現在進行形のウイグル、チベット、香港、台湾、沖縄その他の紛争地同様、世界から見放されて強者に跪くしか術はなくなるでしょう。

 

少なくとも私たちのお盆で帰ってきている先祖の御霊は、その道に坑(あらが)ったのです。

その後祖先の全てを否定して次の紛争の時に甘んじて侵攻を受け入れるというのは、少なくとも私にはできません。他国は絶対に助けてくれません。自国の利益にならないことはしません。見返りを求めない正義の味方などいないのです。いるとしたら少なくとも旧日本人にはそのような気持ちもあったかもしれません。先に挙げた国や地域の人々の現状を見てください。

 

話せばわかる世界ではないこと、少しずつ分かってきたでしょう。外交力も経済力も低下している日本、話し合いでは解決できない侵攻が既に始まっています。抗わなければ飲み込まれるのです。特に日本を助けることに外国がメリットを見出さなければ見て見ぬふりをされるのです。これが現実なのです。米国人が日本のためになぜ血を流さなければならないのですか。日本人が後方で支援して米国人を前線に送って日本のために防御させるなぞ米国の家族が許しません。日本が守り切れなかったとき米国の国益のために彼らは戦うのです。

自国が血を流してでも守るのか、戦わずして白旗を上げるのか。日本人も考えておかなければならない時期に来ています。

 

大東亜戦争敗戦75年。一番いけないことは戦争に負けたこと。戦争を起こさなければ負けもなかったのですが、ハルノートを受け入れていたらどうなっていたか。今の亜細亜がこの形で存在したでしょうか、日本はどうなっていたでしょうか。それを分析せずに、一番大切な今の国際状況から日本の将来を予見せずに、コロナで人が死ぬことで大騒ぎしているのが大変不謹慎ですが可笑しく思えてしまいます。

 

そんなことよりもっと大きな人権蹂躙や政治的殺人が起こっているのにそれを知っている人たち、政治家やマスコミが無視し続けるのは何故でしょう。ジョヨボヨ王の予言の「白い衣をつけた黄色い人」の力が今の日本人にはありません、いつか日本人の正義感に再び火が付くことを願います。

 

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近づく敗戦の日に思う。

2020年08月11日

8月15日が迫ってくると年齢のせいでしょうか涙もろくなります。地方にもよりますが、お盆と敗戦の日が重なるのは因縁でしょうか。私はいつも思うのです。大東亜戦争を始めたのも敗れたのも当時の為政者に原因がありますが、それに至った日本の実態を知る人があまりにも少ないと。

 

現在、ここ数百年間の国際的な近代化の中で日本が、世界が、どのように動いたために我が国が大東亜戦争に踏み切らなければならなかったか正確に言いえる人はどのくらいいるでしょうか。それを知るのは書物によるしかありませんが人はそれぞれの立ち位置によって書物を選びます。歴史学者と呼ばれる人は学問として研究しているはずですが、同じ書物を読んでも認知バイアスによって感じかたは様々です。

 

この認知バイアスは時々の為政者も持っていたはずです。歴史は認知バイアスによって形成されたと言っても良いのです。かくいう私も普通の会社員でありますが以前告白しましたように中高生の頃は左傾偏向教育を受けて育ったので、かなりの左思考でした。その反動で今は強い保守意識を持っています。

 

論語に『子曰わく、過ちて改めざる、是を過ちと謂う』『過ちては則ち改むるに憚ること勿れ』とありますが、過ちとは何か改める方向は何処か決めるのも自身の価値観ということになります。この点も認知バイアスを無視できません。せめて自分には何らかのバイアスがかかっていると自覚して悔い改める必要があります。私のように一瞬で真左から真ん中に戻ることもできるのです。

仕事柄、計測器には校正という工業規格に準拠する誤差を調整しなければならない決まりがあります。これを行わないと誤差が蓄積していき計測結果の正確性が担保できません。基準器にてどれだけ誤差が出ているかを判定し調整し校正証明を行います。

 

機械なら基準器に合わせればよいのですが人間の思考はどうでしょう。校正して一律に調整するというのは何だか怖いですが、その基準器が間違っていたらどうなるか。基準器が人間なのですから誰が調整してくれるのですか。我々は為政者を選ぶとき余程このことに注意しないと大変なことになります。

ちなみに私の校正器は「広く社会の公益にかなうこと」「我欲から出た発想ではないこと」の2点です。

75年前の敗戦も79年前の開戦も長い歴史の流れの中で為政者が決めたことであり背景には国際情勢に翻弄される近代国家になりたての黄色人種国家日本の世論があった訳です。今は人種差別がいけないことは当然ですが当時、人種差別はあって当たり前の時代でした。これに異論を唱える者こそ異端者だったのです。時代で価値観は変わります。当時の人を責める権利は現代人にはないのです。

 

様々な偏見と認知バイアスによる人間の思惑が地球のプレートのように動き、蓄積した歪みは大地震という形で解放されます。歪みの蓄積が大きければ戦争になりますが、歪みが小さいうちに開放していけば小さな地震(紛争)程度で修正されます。ただしプレートは動いていますから世の中の状況は知らず知らずのうちに変わっていきます。

 

現在の戦争は歪みを大きくためて敵基地を攻撃し兵隊さんを運んで白兵戦を行うものではありません。政治や経済、マスコミを侵食しソフトパワーで相手を屈服させることで歪みを解消し、気づいてみたら陸海の地図の色が変わっているというものです。そういう意味では今はすでに戦時中なのです。

 

昨日、香港の民主活動家 周庭氏が逮捕されました。大変お気の毒ですがChinaの内政問題なので口出しできません。そもそも未だにアヘン戦争やアロー号戦争などで欧米がChinaに租借地を持っていたことが正当化されるのは何故でしょう。日本がこれをやっていたら絶対に許されないのに。

 

香港はChinaに返還され条件に50年間の一国二制度が入っていたのです。強引な感じは否めませんが、いずれChinaの体制に組込まれる運命でした。欧米とChinaの間で翻弄された地域。台湾も否、日本だってまた大国に翻弄されるコマになる可能性が大きいのです。

大東亜戦争前と何ら変わっていません。大国の間に揺れる日本乙女。当時より深刻なのは政治も経済もマスコミも教育もどちらの大国に対しても声を上げられないのは何故か。特にChinaに対して行動を起こすことはできません。それだけ各分野が侵食されているのです。そういう意味で当時より厳しい状況なのです。自国を守ることを他国に依存したら、他国の言うことに従わなければならない。経済を握られて教育と言論に制限をかけられたら反論さえできないのです。

 

大東亜戦争で戦死した将兵の7割以上が戦闘ではなく飢えや病気で亡くなったこと。沖縄や広島、長崎、東京をはじめ日本中で無辜の女性や子供たち一般市民が何十万人も殺されたこと。このことで誰かを責めるのではなく、この犠牲の上に今の我々の生活があるのだと考えましょう。私たちはこの尊い命と引き換えに何を学んだのでしょう。日本は独立を保つために戦いました。おかげさまで何とか形だけ独立を保っています。しかし命を懸けて独立を護ることが今の日本人にできるでしょうか。できなければ日本列島は波に翻弄され流れ着く小舟と同じです。

 

先人が守った自由と独立。現代の日本人は、その礎の上に立っているのです。75年前の戦争で犠牲になった数百万人の日本人が様々な思いで支えてくださっている、私たちもその想いを引き継ぐのだということを考える夏にしたいものです。

 

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「海の日」と「スポーツの日」に想う

2020年07月24日

令和2年は東京オリンピック開催のため例外的に、7月23日(東京五輪開会式前日)が「海の日」7月24日(開会式当日)が「スポーツの日」になりました。

 

「海の日」は雨だったので久々の国旗掲揚です。

 

以前も書き、最近Twitterというものをやっているのでそこでも書いたのですが、全く反響のない #海の日 について再度お話しておきたいと思います。

Twitterの仕組みがよくわかっていませんが コメントが何処に挙がっているのか理解していないし読まれた形跡もないので、「こんなのコメントして意味があるのか」と思い始めた今日この頃です

「海の日」は平成8年施行された比較的新しい祝日で「海洋国家日本」にとっては重要な日です。元は明治天皇が明治丸で東北巡幸の航海をした「海の記念日」です。日本には6,852の島があるのです。人口が減っても島は減りません。この島もその周辺も国土領海なのです。それを守るっていうことがどれだけ大変なのかわかりますよね。

旧文部省唱歌に「われは海の子」という、とってもいい歌があります。7番まで歌詞があるのですが殆どの人が知りません。何故でしょう。7番の歌詞は「いで大船を乘出して 我は拾はん海の富。いで軍艦に乘組みて我は護らん海の國」です。軍艦で海を護るという決意が書かれていますが日本を占領したGHQに禁止され復活した時は3番までになっていました。占領が解かれても憲法同様、この歌の扱いも現在に至るまで占領期のままです。China海警の接続水域航行が100日を超えました。日本人は国土や領海が守れるのでしょうか甚だ疑問です。

「紫陽花」の記事で咲き誇っていた花(実は紫陽花は花ではなく「がく」ですが)も終わって、

来年を期待せずに刈り込みました。鉢植えですから狭い庭では可哀そうですが2年に一度リセットします。今年は雨が多くキアゲハの姿もほとんど見られませんが、柑橘の枝も育ち待っています。

鬼百合.百日紅.沈丁花も元気です。

こんなに狭い庭にもヤモリやカナヘビの他、いろいろな生き物がいます。今日は小さなアマガエルがいました。どこから来るのか不思議です。この小さな生命も領土領海を守りたいという気持ちの中に含まれます。小さな命をも紡いでいくことに関わっているという 人間としての自覚。

国防を他人任せにしてきた75年。今の日本人には誰かが助けてくれると思っています。

コロナ対策でも同じ。誰かに指令をもらわないと防げない他人任せで他人のせいにする。自他を守る行動ができない理由は国防や自分の命を他人に預けた75年の結果なのです。日本人は幼い。守られる子供のままで良いと思っているから。国難に遭うとき教育の大切さがわかります。自らどう行動するか、国語・数学・歴史・地理・科学全ての要素が絡んできます。義務教育の基礎の知識があれば一致した正しい方向性の選択は個人でも可能なはずですが、日本の公教育は一致させることを嫌ってきました。だから一致できません。多様性を尊重するのは他の時にやってほしいのです。ここは多様でなく一致する場面です。「人類の歴史は感染症との歴史」こんなことは判っていたことです。国民一致で国難に臨まないとアフターコロナに対応できません。

 

 

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日清日露大東亜(3)日清戦争(勝手に代理戦争)

2020年07月23日

だいぶ記事があいてしまいました。カメの失踪や身体の調子で少々落ち込み気味でした。果たしてこのブログを読んでくれているかたはいるのか。とも思いつつまた書き始めたいと思います。日本神話も空いてしまいました。応神天皇(誉田別命(ほむたわけのみこと))まではまだだいぶあるますが、こちらも復活したいと思います。

 

今回は日清戦争ですね。明治維新→日清→日ロ→大東亜、延いては現代までの歴史は関連しているのですから日本人として無関心ではいけません。ここに書いてあるのは私見です。興味や疑問を持ったら自らから調べましょう。受け売りだけではいけません。

昔から言われるように、地勢的に朝鮮半島は日本列島に突き付けられた匕首(あいくち)です。この地にどのような勢力が生まれるかは日本国にとってとても重要なことでした。明治維新で近代国家に舵を切った日本でしたが、この時の朝鮮半島が不幸にも非常に不安定な空白が生じかねなない状態にあったわけです。不安定な状態というのは野心を持った者に狙われやすいということです。また、国内にも様々な思惑が交錯していた時代でした。

日清戦争までの朝鮮は中国の年号を使う清に従属する半独立国でした。清の属国であったのか冊封体制下にあったかは諸説ありますが、重大な影響を受けていたことは確かです。日本にとって大国清は鎌倉時代からの脅威であり、元寇や白村江で実際に戦った相手です。その大国清がアヘン戦争で英国に蹂躙され香港の割譲(南京条約)同様に米仏にも条約を締結させられました。これにロシアが加わります。

ロシアにとっては隣国清が欧米に占領されてしまうことは脅威でした。海上経由での通商権を狙いますが失敗。ロシアはターゲットを清に絞ります。列強に翻弄される極東という手に汗を握る状況に日本は決断を迫られます。俗にいうロシアの南下が始まりました。激しく国境を恫喝侵犯する外国対し清は有効な処置を取るだけの武力も意思も失いかけてゆきます。

 

維新を遂げた日本の次なるテーマは朝鮮半島の扱いです。清を舞台とした列強との接点。朝鮮半島が落ちれば脅威は直接日本のものになります。カギを握る朝鮮半島は揺れていました。

 

「華夷秩序」という言葉があります。私がChinaを中国と呼ばない理由。中華思想とはChinaが世界の中心の華でありChinaに従属が深い国ほど上位、関係が薄いのは下劣な国という考え方です。この華夷秩序で最も強く結びついている国が清と朝鮮だったのです。(今でも朝鮮半島の人たちが日本を見下すのは華夷秩序に属さなかった日本が野蛮で下等な国としてみえるからです)

 

アジアで唯一の近代国家となろうとした日本にとって、朝鮮半島へのロシアや列強の南下を止めるには朝鮮半島に自立してもらうしかないと考えます。清から切り離す工作もしますが、朝鮮王朝も清との関係を重視する保守派(事大党及び王妃閔妃と閔氏一族)と、日本に倣い改革を実現しようとする改革派(独立党)ができて対立してしまいます。(1884甲申事変で保守派が有利な状態)

 

1894年1月、甲午農民戦争(東学党の乱(不正役人対農民戦争))が起きます。閔氏政権は清に出兵を要請。日本は天津条約(1885年 伊藤博文・李鴻章)に基づき出兵したことで日清戦争に発展します。1886年

日本の派兵は天津条約に基づく合法なものであるとは思いますが日本中心に考えると1886年の清国北洋艦隊水兵が起こした長崎事件による国民感情も含め、朝鮮半島を安定させるためには清を排除して独立させるしかないと考えていた日本政府が仕掛けたといわれても言い訳できません。現に明治天皇は「今回の戦争は朕素より不本意なり、閣臣等戦争の已むべからざるを奏するに依り之をゆるしたるのみ,之を神官及び先帝陵に奉告するは朕甚だくるしむ」と仰せられたと明治天皇記にあります。

大東亜戦争でもそうでしたが天皇でさえ止められないのです。いわば天皇にそれだけの権限があれば、日清戦争も大東亜戦争も起こらなかったのかもしれません。日本政府として清との戦争を決意しました。もちろん日本の国益を考えての事でしたが朝鮮半島を独立させるための代理戦争と言えなくもないと思います。(朝鮮が一致して望んだわけではないので勝手な考えであることは重々承知しています)

 

1894年7月、ロシアの南下の脅威で利害の一致する日英の間で日英通商航海条約が調印され3日後の7月19日、清国に最後通牒を送ります。日本の戦争目的は清の朝鮮への影響力を削ぐものでしたので、朝鮮内の軍事拠点平壌占領と黄海の制海権を確保した段階で目的は遂げたのですが、結果的には国境を越え清国内に入り遼東半島に上陸、旅順や大連まで占領し清国と講和します。日本の勝利です。

 

日本の直接戦闘での傷病者2,647名(うち死者736名)でしたが戦後の死者は10,841名。戦争後に疫病で亡くなった人が圧倒的に多かった。大東亜戦争でもそうでした。外国で戦うことは疫病との闘いでもあるのです。

 

清と戦争したのですから越境とは言わないかもしれませんが、朝鮮から清に越境して占領地を広げたのは

ある意味、列強の真似をしてしまいまったのです。当時はそういう時代だったのですから、現代人がそのことを責めてはいけません。ちょっと奥まで入ったのですが、欧米人には許されても有色人種には許されないということを日本人は知ることになります。それが次回、三国干渉・臥薪嘗胆のお話に続きます。

 

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日清日露大東亜(2)先ずは「明治維新」

2020年06月20日

当然歴史とは自らの立ち位置によって異なります。結果は一つですが現実に至った背景や経緯は一人一人の解釈によって異なるでしょうし、時間が経てば経つほど当時の情勢がわからぬものが評価するということになります。背景や経緯ばかりではありません歴史的事実についても評価は変わるのです。

 

初めに申しておきますが、いい国(1192)つくろうと憶えた鎌倉幕府の創建が、幕府の基本的な機能は1185年に完成していたということから今では教科書で1185年になっているそうです。

 

しかし これを「歴史修正主義」という人は

いないでしょう。後から解った事実、経緯や背景から見方は変わるのです。歴史を修正したのではなく、より当時の状況に寄り添って正しいだろうという方向に合わせたということです。現代の尺度で見るべきか、当時の状況から許容すべきかを現代そして未来の人が選ぶということです。

 

しかしここに嘘があってはいけません。嘘や噂話で当時の歴史を語るならば、先人に対する冒涜ということになってしまいます。

 

また私の回りくどい説明から入りました。明治維新の評価も思想信条からも違えば、歴史観からも異なります。判断は読む人に委ねられるので、より正確だと思うこと、より真実と信ずるほうを選択してください。教科書検定しないと選択する教科書で書かれている内容が異ってしまうのです。教科書だってそうなのです。

 

 前置きがなくなりました。明治維新はなぜ起きたのか、私は前項の連続性から地政学的な理由で極浅く説明したいと思います。関心を得た人は自分で調べましょう。知らねばならない歴史です。

江戸幕府は260年間「幕藩体制」を基に統治されてきました。鎖国も現代教科書から消えて言葉になっているそうで、国を一部限定的に開いて、大名に藩を納めさせて監視することで内戦のない260年を築いたわけです。

その前後アジアはどうだったかというと

 

 ・1571年スペインがフィリピンを

  (後にアメリカに代わる)

 ・1602年にオランダは東インド会社を設立し

   香料とコーヒーの輸出を独占、300年支配

 ・1863年にカンボジア1885年にベトナムを

   フランスが

 ・1765年インド1886年ビルマ

   1895年マレーシアをイギリスが

 

次々に植民地にされていたのです。

 

香辛料や石油など天然資源を得て本国を繁栄させていたわけです。東南アジアで植民地にならなかったのはタイくらいだったのです。清もアヘン戦争の不平等条約をきっかけに割譲や租借地として分割されていきます。

 

幕府の統治能力が低下する中、長州藩士、薩摩藩士を中心とする「尊皇攘夷」派の志士が出てきます。反政府の活動家ですから、見方によっては反逆者ですが、天皇を尊び外国を打ち払うという尊王攘夷派の存在の反対側には弱腰で外国を招き入れる危険な幕府という構図があったわけです。

 

1839年アジアの大国清と英国の間にアヘン戦争が起こります。ヨーロッパの対清の権益を実質握っていたのはイギリス。アヘン貿易を禁止する清に対してイギリスは清をアヘン漬けにしていきます。取り締まりを強化する清に砲撃を浴びせて不条理に打ち負かしました。この時割譲されたのが香港。以後香港はイギリスの植民地を経て1997年にChinaに移譲されますが特別行政区となります。(2047年まで社会主義にならない約束が今反故にされようとしていますが)西洋の軍事力との圧倒的な差は日本に伝わり幕府はこれを恐れ増々弱腰になっていき逆に攘夷派は危惧を抱き攘夷を行う意を強くしていきます。

 

日本は資源がなかった故に植民地としての魅力がなかったという説もあります。確かに天然資源も農産物も特に魅力的なものはないけれど地図を見ると地政学的には、よい場所にある島ではあります。

1853年1回目のペリーの来航で尊皇攘夷派の憂いていたことが現実になります。帆船で海運していた程度の社会に蒸気機関に大砲を付けた軍艦が黙々と煙を吐いてやってきて空砲を撃つのですからアジア人は見ただけで降参です。開国を迫るペリーに1回目は検討するということで帰ってもらいましたが約束の1年を待たずにやってきます。

幕府は結局圧力に屈し1854年に「日米和親条約」を締結。イギリス・ロシア・オランダとも同様の条約を結ぶのですが外交経験が乏しい上に外法権や関税自主権の放棄等が含まれる不平等条約であったわけです。今でも日米安保条約で不平等な内容が問題になっていますが、そういう点では日本外交は変わっていないのかもしれません。しかし攘夷派の志士は違ったのです。

 

彼らに軍艦が作れるのだから我々も作ろうとなります。1873年(明治6年)に横須賀の造船所にてフランス人の指導の下、日本初の軍艦「清輝」が起工され1875年に竣工。この辺の気概が現代人には受け継がれていないのが残念です。

薩英戦争を御存じでしょうか。1863年の生麦事件(現神奈川県横浜市鶴見区生麦で薩摩藩国父島津久光の行列を馬で横切ったイギリス人を藩士が殺傷した事件、日本では当然でもイギリス人にはわからない)の解決と補償を艦隊の力を背景に迫るイギリスと、主権統治権のもとに兵制の近代化で培った実力でこれを排除し防衛しようとする薩摩藩兵が、鹿児島湾で戦うのですよ。街はだいぶ焼かれたけれど、世界最強のイギリス海軍も横浜に逃げて行ったのだから善戦ですね。今の日本で一地方自治体が他国相手に戦争するなんて考えられませんが。

 

下関戦争を御存じでしょうか。長州藩は下関海峡を通る外国船を無差別に砲撃する攘夷を仕掛けます。1863年と1864年にイギリス・フランス・オランダ・アメリカの列強連合四国との間に武力衝突を起こします。一地方自治体がまた思い切ったことをします。道州制導入ではこんなことも起きるのでしょうか。勝ち目はありませんでしたが、これを戦ってやろうじゃないかっていう気概が現代人としては理解できないながら羨ましくもあります。

 

これらの戦争で幕政下では攘夷が不可能だということを攘夷派は悟り、倒幕運動に拍車がかかります。大政奉還(政(まつりごと)を朝廷にお返ししますという意味の王政復古です)翌年の1868年、鳥羽伏見で衝突した幕府軍は薩英戦争によりイギリスと近くなった薩摩との薩長連合軍の圧倒的兵力の前に勝負にはりませんでした。そのうえ薩長軍に錦の御旗(朝廷軍旗)が揚がり幕府側が朝敵となって明治維新の方向性が決定するのです。明治維新とはある一つの現象ではなくてこれら尊王攘夷運動の主に1953年(ペリー来航)から1867(大政奉還)の約15年間に起きた改革のことをいうのです。政権を力で転覆させた一面も持っていて現代に於いては個人的に肯定できませんが進んだ道は間違っていなかったと思っています。

 

次回は日清戦争です。

 

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追悼 横田 滋 様

2020年06月14日

ここでしか発言できない私。この記事が会社のブログに載せることが相応しいのかはご容赦いただきたい。

 

いつかこの日が来るとは思っていたが6月5日に横田めぐみさんの父、滋さんが亡くなった。

心よりご冥福をお祈りします。全く無縁の身だが申し訳ない気持ちになるのはなぜだろうか。

 

横田めぐみさんと私は同じ歳、中学一年生の部活帰りに北朝鮮によって拉致された。

昭和52年(1977年)11月15日の事だ。

 

他にも拉致被害者は多く存在するが当時13歳の少女は他の被害者の証言から同じように袋に入れられて小型船で異国に運ばれ、2度と肉親に逢えぬ身となった。

13歳の自分が同じ状況だったら、どれほどの恐怖と絶望に陥るか。想像するだけで恐ろしい。そして申し訳ない。

 

当時日本国内では単なる行方不明の扱いだった。必死に探しても見つかるはずはない。北朝鮮に拉致されていたのだから。

拉致の可能性を初めてスクープしたのは昭和53年(1978年)の産経新聞だ。 この年は田口八重子さん地村さん夫妻、蓮池さん夫妻、増本恵子さん、曽我ひとみさん、他が拉致された年でもある。

 

産経の記事は日本海で男女が相次いで失踪する事件を報道したものだ。めぐみさんの拉致から1年しかたっていない。お母さんの早紀江さんが新聞社に問い合わせるものの少女単独の失踪は条件に合わないと言われてしまう。実際には拉致されていたのだが世間的に見過ごされてしまったのだ。

 

昭和55年(1980年)には同じく産経新聞が外国諜報機関関与の疑いとして北朝鮮を意識した報道をする。昭和62年(1987年)には大韓航空機爆破事件が起こり金賢姫は日本の偽造パスポートを用い、教育を受けたのは日本から拉致された李恩恵(田口八重子さんといわれている)だと証言している。

 

平成9年(1997年)同じく産経新聞が横田めぐみさんの拉致の記事を報道する。この時点で拉致から20年。拉致を疑っていたご家族の心中はいかばかりだったか。20年前に予想していた通りだったのだ。拉致被害者家族連絡会が発足し平成14年(2002年)首脳会談にて北朝鮮は日本人拉致を認めた。

 

この間の出来事を私はテレビでリアルタイムにみていた。多くのジャーナリストや政治家は、国家が他国民を拉致するはずがないと言っていた。調査も追及もしなかった。私を含め世の中も所詮他人事だった。私も今は娘がいる。同じ境遇にならなければ想像できないようでは人間ではない。恥ずかしながら自分の娘が、めぐみさんと同じ境遇だったらどうだろうと思うと、ご家族の戦いの40年はあまりに長い、しかも未だ続行中ある。

記者会見で息子さんが言った。「安倍政権が問題なのではなく、40年以上も何もしてこなかった政治家や『北朝鮮が拉致なんかしているはずない』と言ってきたメディアがあったから安倍政権が苦しんでいる」「安倍首相は動いてくださっている。何もやっていない方が政権批判するのは卑怯(ひきょう)だ。的を射ていない発言をするのは、やめてほしい」という言葉。安倍首相を攻める気持ちがあった私も反省することにした。

 

他国でこんな状況が起きたらどうだとよく言わる。

アメリカは本土で自国民が他国の侵入者に拉致され他事がわかったら「遺憾です」で済ませるはずがない。一人の命は地球より重いと言ってテロリストを釈放した政治家が日本にいた。本当に命が地球より重いなら。殺人よりも残酷なこの拉致問題に対して「遺憾です」とは何なのか。

 

他国は見ている。日本国は、日本国民は何をしても「遺憾です」で済ませるのだと。そんな人に国民の命と領土を預けたくはない。

幕末の西郷南洲のように命を捨てる覚悟で訪朝する政治家はいないのか。死んでもいいじゃないか。実を結ばなくても殺されても国内で負け惜しみを言っているより立派だ。個人的な意見だが、そんな政治家が一人くらい出てきてもよさそうなものだが、日本人は情けなくなったものだ。政治が機能しない以上せめて国民の総意は拉致被害者奪還で一致したいものだ。

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紫陽花

2020年06月07日

昨夜、埼玉県熊谷地方は1時間に70mm近い雨が降りました。昔からある夕立といえばそうですが、風が強くて植木が折れそうなほど揺れていました。せっかくいい色に変化してきた紫陽花も、風雨に打たれ花が うな垂れてしまっています。(写真は時系列になっています)

 

一番きれいな時期だったのですが、鉢植えなので根がしっかりしていないのです。

 

ここのところ神話ブログはお休みです。亀が行方不明になってから何故か書けなくなっています。言い訳ですが。

見にくいですが紫陽花は4つの鉢に植えられています。

妻の実家が建て替えで解体するときに庭にあった紫陽花を挿し木しました。当時は葉っぱ2~3枚だったのに、生命力の強い木です。たった4年で植木鉢を貫通して動かせません。

強い風雨で心配していたアゲハのサナギも、天候や天敵から逃れるようにプランターでサナギになっています。ここなら安心です。

メダカの水槽には蓮の花が咲き、この前まで亀の本宅だった水槽にはメダカの赤ちゃんが育っています。小さくても自然のものはたくましいものです。人間の力を借りなくても毎年咲くし、毎年生まれて自然に数が調整されます。

 

草花や小動物を見ると人間が思い上がっているように感じられ反省させられます。いろいろなことを教えられます。

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