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社長ブログ

2022年5月の記事一覧

#憲法記念日

2022年05月03日

5月3日『憲法記念日』は国民の祝日に関する法律に「日本国憲法の施行を記念し国の成長を期する」とあります。国際状況や日本のことを知らない日本人が増えている現状を考えると遅きに失した感はありますが憲法について皆で考えることが必要でしょう。改めて書きますが私は専門家や学者ではないので事実の確認や考察は其々で行ってください。ここに書いてあるのは私の史観(私感)です。

 

大日本帝国憲法の時代が全否定されていること。その時代の歴史や民族教育が行われていない。一種タブー視されていることが現代日本人の一つの罪であるとさえ思っています。形だけの日本は残っていますが中身が問題です。法務省のHPには「日本国憲法とは、自由で公正な社会を築き、支えていく上で重要な国家と個人、あるいは個人相互の基本的な在り方を、国民自身が定めたものであり、本来、私たちにとって身近でなければならないものです」とあります。さて、現在私たちが戴いている日本国憲法はその趣旨に準じているのでしょうか。成立のいきさつはどうだったのでしょうか。現在の憲法は1946年11月3日に公布され翌年5月3日に施行されたものです。

 

連合国の指導の下策定された憲法であり占領下におかれ自主権が制限されている状態でのものですので文脈や文法がおかしいなど基本的な問題はあるものの当時の国家国民が選択した結果と言えないこともないですし受け入れなければならない立場だったのですから無効だと否定する主張も無理があると私も思います。ただもっといけないのは独立を果たして自主権が与えられ自由民主党という改憲を党是とした政党が与党を担っているにもかかわらず1度も改正どころかまともな議論も70年近くしてこなかったことです。WW2の日本・ドイツ・イタリアの同盟敗戦国でさえイタリアが15回、ドイツが58回の憲法改正をしています。日本は一言一句変えていません。「完全無欠だから変えない」「変える必要がないから変えない」「変えたら戦争を起こす」といろいろ考えはあるのでしょうが、議論さえしないというのはどういうことですか。

 

そうかと思うと平成24年 4月に自民党が出した「憲法改正草案」あれはショック療法的な考えがあるのか少々強引な感が否めません。それを党として出すことで論議を始めるきっかけにしようとする意図があったのかもしれませんが内容が強くて抵抗を感じる部分もありました。しかし為政者が国民の生命と財産を守るとすることが使命の第一義であるなら憲法という国の在り方について理想を語ったり変更について議論をしたりしてこなかったことは無責任の極みです。現にウクライナはロシアによる侵攻を受けています。ロシアは迫害された国民を守る平和維持活動と言い。日本は侵攻と言いい諸外国は侵略戦争と言っています。立場によってとらえ方が様々だということを学びました。そうすると日本がシナ事変から大東亜戦争に至った経緯も当事者であっても正確なところは検証不能なのだろうと察せられます。現在進行形でも何が真実かわかりませんから。とにかく戦争は勝った側の理論が正しいということになります。歴史さえ上書きされる可能性もあります。そのことは敗戦国民として知っておいたほうが良いでしょう。

 

ウクライナでの戦争行為が行われる前は憲法について日本の理想的な姿や国の在り方について書くべきだと思っていましたがどうやらそんな悠長なことも言っていられないようです。見れば見るほど日本というのは難しい位置にあるものです。この地図に国名を入れていってごらんなさい。問題のある国ばかりです。

 

4月1日ロシアの野党「公正ロシア」の党首セルゲイ・ミロノフが「一部の専門家によると、北海道の全権はロシアにある」という発言したことを脅威に感じた人も少なくないはずです。この発言の伏線は「ロシア人開拓者が交易のために開発、植民地化を行い利用していた。そこ(北海道)にはアイヌ民族が住んでいた。サハリンやウラジオストク近郊、カムチャッカの南部に住んでいるのと同じ民族で、ロシアの民族のひとつだ」「ロシアがどう対応しなければならないかは不透明だ」

そう、ロシアのクリミア併合と今回のウクライナ東部侵攻は彼らにとっては自国系民族の解放という名の平和活動です。同じ動機が日本に対してもあって決断さえすれば実行する用意があるということを言っているのです。もう一つ警鐘を鳴らしておきます。北海道の先住民がアイヌであるという刷り込みです。政府も認めたこの史実。歴史書の95%もそうなっていますが、これはロシアの主張を肯定するものになっています。北海道は確かにアイヌ民族が住んでいますが、それ以前に住んでいた日系人がいたのも事実です。しかし一方の主張が強く反映されて補助金や施設建設が政府の後押しでできていて何れも「アイヌが迫害された歴史」というストーリーになっています。(そういった事実を否定するものではありません)同じく沖縄でも琉球王朝が日本により併合されたという歴史観があります。どっちもどっち論というのは良くないことですが、アメリカ、オーストラリア、カナダなどもその理屈からいうと民族の正当性を失ってしまいます。このような刷り込みが政治レベルや知性の高い人たちの中で起こっていることを知れば、いかに今危機であるかがわかります。北と南の端で民族解放と叫べば平衡な軍事力を持たない日本に対して強硬に侵攻する国があっても不思議ではない流れ。それに加担しているのも日本人という矛盾と理不尽。私はこういう事柄こそ多くの人に議論してほしいと思います。

北方領土に関してどれほどの人が関心をもっていてどの程度の知識があるのでしょうか。国の端ほど危ないのです。日本の場合は北海道と沖縄。対馬あたりでしょうか。今回は北方領土について私がお伝えしたいことを書いてみたいと思います。というのも私の父は北海道紋別郡湧別町の生まれです。オホーツク海に面しサロマ湖に挟まれた場所。東京へは就学当時36時間かかったとか。最果ての地です。今回の悲しい知床の海難事故で国後島の近さを改めて感じた方も多いと思います。日本領ですが実効支配されているために許可なく入ることができません。実に理不尽ですが力による現状変更は許されてしまうわけです。

 

国後も歯舞群島も歴史の正当性などどうでも不法占拠だろうとなんだろうとロシアの実効支配のほうが正当ということになるのです。Koreaに不法占拠されている竹島も同じです。

 

2006年8月16日、歯舞群島付近でカニかご漁船をロシア警備艇が追跡のうえ銃撃により漁師さんが死亡する事件がありました。あのニュースで私は目が覚めました。同じく不法占拠されている竹島でも過去に8人殺されているのです。日本領で日本国民が拿捕されて殺され。何もやり返せないのが日本です。それでよいのですか。

カムチャッカ半島から択捉島の隣の得撫島(ウルップ)まで伸びる列島を

日本名で千島列島。ロシア側(英語も)ではクリル諸島と呼びます。

 

千島列島は25程度の島からなります。50Km2以上は以下の13島です。

 

北千島=①占守(しむしゅ)島②阿頼度(あらいと)島③幌筵(ほろもしり)島

中千島=④温禰古丹(おねこたん)島⑤春牟古丹(はるむこたん)島

    ⑥捨子古丹(しゃすこたん)島⑦松輪(まつわ)島

    ⑧羅処和(らしょわ)島⑨計吐夷(けとい)島

    ⑩新知(しんしる)島⑪得撫(うるっぷ)島

南千島(日本)=⑫択捉(えとろふ)島⑬国後(くなしり)島

色丹島(しこたんとう)と歯舞群島(はぼまいぐんとう) は50Km2以下

 

歯舞群島=貝殻(かいがら)島/水晶(すいしょう)島/秋勇留(あきゆり)島/勇留(ゆり)島

志発(しぼつ)島/多楽(たらく)島他

 

カムチャッカ半島に一番近い=①占守(しむしゅ)島と日本との国境⑪得撫(うるっぷ)島は覚えましょう。

 

日本はサンフランシスコ講和条約で千島列島の領有権を放棄しましたがソ連は条約に非加盟であり国後/択捉/色丹/歯舞群島等の南千島はロシア(ソ連含む)領になったことは一度もないというのが正史です。(何度も書きますが正史は力の前に無意味です)

千島列島に樺太(サハリン)を含めロシアと日本は国境を接しており幾度となく境界が変更されてきました。その明確な歴史の初発はともかくロシアが樺太、カムチャッカの南部と同じ民族が北海道に住んでいると言っていることからこれまでの国境の概念は意味をなさないでしょう。ウクライナを見ていればわかりますね。ロシアが勝てばすべての歴史は上書きされて正当なものとなるでしょう。ここで今回私が述べるのは日本人にしか通じない理屈ということになってしまいます。

 

万が一ロシアが自国民保護のもと平和維持活動といって北海道を併合したら今の北方4島と同じ運命になる可能性があるのです。憲法に何か書いておけば大丈夫などということはあり得ないのです。アメリカが助けてくれるかもわかりません。ウクライナに誰か助けに行ってあげないのだろうか。と日本人は思うでしょう。現実は助けてはくれません。あくまでも自国は自国民が戦って守るしかないのです。

意味のない理論を書いておきましょう。国境は幾度となく変更されてきました。上の地図が4枚並んでいる図は近代史で学ぶものです。

 

1855年 日露親和条約は米国(ペリー)に先を越されたロシアが最初の国境協定として締結したものですが樺太は雑居地して棚上げし、北方領土(択捉/国後/色丹/歯舞諸島)は日本が実効支配していたので得撫島と択捉島の間に国境を定めたのです。

 

1875年 樺太千島交換条約。これはちょっと重要です。なんで交換という言葉を使ったのでしょうか。樺太が自分のものだったら交換する必要はありません。樺太をロシアにしてください。占守島(シムシュ)からすべてのクリル半島は日本でよいです。ということになりました。

 

1905年 ポーツマス条約。日露戦争での多大な犠牲の下。戦勝国となった日本は当時代の常識としてロシアから南樺太(北緯50度以南)を割譲します。大東亜敗戦で当条約が元に戻ったなら理解できますが後に侵攻されました。

 

1951年 サンフランシスコ平和条約。北海道の割譲要求はアメリカの反対で通りません。終戦(1945年8月15日)の日前後に起こったことを日本人は忘れてはいけません。以下に記します。

 

1945年8月9日、日本の劣勢を見た当時のソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し満州に侵攻。11日、南樺太でも日本領へ侵攻。樺太の「真岡郵便電信局事件」は映画にもなりました涙なしには語れません。(調べてみてください)スターリンはヤルタ会談でルーズベルトとチャーチルとの秘密協定を結んでいたと主張します。(従軍した祖父が火事場泥棒と呼んでいたソ連。崩壊したのに国連常任理事国に居座る傲慢)当時日本軍にはポツダム宣言受諾のための武装解除(武器の放棄)の指令が出ていました。

8月18日、占守島の樋口季一郎中将は独断で自衛権を行使。すでに統帥権を失った軍隊。彼らは独断(自己判断)で日本を守ろうとしました。この戦いで日本人600~1000人の死傷者を出しましたが結果的に北海道は守られました。日本人の多くは8月15日で戦争が終わったと思っているでしょう。しかし北の果てで日本を守るために命を懸けていた者がいたことを忘れてはいけません。8月23日占守島の日本軍降伏(兵士はシベリア送りになりました

8月25日ソ連が全樺太占領、同日択捉島、9月1日色丹島を占領。2日に国後3日に歯舞群島に上陸5日全島を支配下に置き戦闘を停止。スターリンは北海道を占領しようとしました日本軍(すでに軍ではなかったが)の抵抗とアメリカの反対により4島でとどまった形になりました。しかし4島は侵略されたのです。行われていることが今のウクライナの状況と同じですね。ソ連の言い分は「日本に不法に侵略されたサハリン(樺太)とクリル諸島(千島列島)を解放した」といものでした。戦後もシベリアに抑留された日本兵や満州居留民の惨状を見ればウクライナからロシアに送られる人々の先行きが心配されます。

(樋口中将が同盟国ドイツに抗ってユダヤ人を助けた話も調べてみてください)

ロシア(旧ソ連)の言い分は侵略そのもので過去のいきさつからの合理性もないということは図からもわかります。上の図(旧ソ連の教科書にあった記載 水津満著 北方領土奪還への道)からは昔からその野心があったこともわかります。教科書というのは国民を洗脳するにも使われるもので水津満氏の著書の中では様々な根拠が述べられていますが1940年を除く地図すべては1953年のソ連初等学校の歴史教科書を書き写したもので100年以上前には国後島まで自国領のように書いているものがあります。ただし歴史的根拠は全くありません。逆説的にも彼らが近代においては特に4島に関して日本領だと認識していたのは確実なのですが、そんな事実はのどうでもよいというのが残念ながら世界共通の概念なのです。日本の周辺国家が今起こしていることを見ればわかります。「話し合えば」とか「外交努力」などというものは軍事力が対等であることが最低条件として必要なのです。

実感はないかもしれませんが日本が正しく立ち振る舞っていれば日本の形はこうだったのでしょう。

 

さあ国の在り方。特に防衛と外交についてはエネルギーや食料自給力が低く、産業力も労働生産人口も低下気味の日本の死活問題です。

 

そういったことへの準備を怠ってきたツケを若い人に払わせるのでしょうか。私は忍びない。少なくとも戦後を生きてきた団塊世代以降の責任として国民の生命財産を守り発展していくための憲法改正をお願いしたいと思いますし、我々も無関心でいてはいけないでしょう。

 

最後にもし本気で憲法を改正してみたら今と一言一句違わないものになったというならそれはそれでよいのです。「自分たちのことは自分たちで決める」という心の持ち方が「自分たちのことは自分たちで守る」という当然の大人の国家になる道だと信じます。

 

 

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紀元節 皇紀2682年 日本国のお誕生日

2022年02月11日

今日は日本国の誕生日。多くの祝祭日が改名させられて元来の意味が分からなくなっています。本当は『紀元節』ですね。橿原の宮で初代神武天皇が即位して今年で建国2682歳になりました。おめでたいですがただ長ければよいというものではありません。そこに住む国を構成する国民が成り立ちを知らない誕生日に意味はないですから。皆で祝ってこそのの誕生日です。外出していませんがきっと近隣で日章旗を掲揚している家は少ないでしょう。もちろん我が家は掲げています。本当はみんなでお祝いしたい、そのための祝日ですからね。

大東亜戦争前のすべての歴史の自己否定が未来の日本に何の意味があるのでしょうか。戦前の日本の否定が戦争しない国になることにつながるという人もいますが私は自分の脚で立つことができない依存性の高い人間が量産されて結果的に国力が落ちていくと思っています。

 

このことは多くの先人が懸念していました。三島由紀夫・西部邁・最近では石原慎太郎各氏が知られていますが皆、自立できない日本の将来を憂いて鬼籍に入られました。自主独立をしないままの国と国民性が関係していないわけがありません。このままでは国が精神から失われるという危機を私も感じています。

そんな中、行われている北京の冬季オリンピックで考えさせられたことがありました。一つは数日前に初めて行われたスキージャンプの男女混合団体。高梨選手が失格になったこと。選手には大変気の毒なことでした。この規格検査は全員ではなく抜き打ちで今回に関しては計測の仕方も普段と違っていたそうです。5か国失格なんて異例なことですから検査側に問題があった可能性もあります。今回は事後抗議の意見書の提出がありそうですがこういったとき日本は堂々と意義を主張すべきだと思います。波風立てずに自重するのが日本人の美徳みたいな考えは国民性かもしれませんが「いつか必ず言える立場になる」という強気が昔の日本人「そのうちみんな忘れるだろう」という弱気が今の日本人のように思えます。行動は同じでも意味は全く違います。

モヤモヤしている中で今日のスノーボードハーフパイプの平野歩夢選手の事件です。2回目に人類最高難度のルーティンを成功させるも採点がトップの92.50点に届かず91.75の2位。誰もがこの採点に疑問を持ったはず。普通ならここで心が折れたり腐ったりしてしまい3回目にも影響が出ると思ったところが平野歩夢選手はこの採点への怒りをバネにして3回目は2回目と同じ構成で96点を得て金メダルを獲得しました。

 

その間、彼は感情に表さず淡々としていて結果で周囲をうならせました。日本の若者も捨てたものじゃないと希望を持たせてもらい自からの行いも反省させられる思いでした。建国記念の日(紀元節)と、この若者の立ち振る舞いを結び付けた人は少ないと思いますが、これも何か因縁を感じないわけにはいきません。若者は日本の希望の源泉です。若者に希望が持てるうちは国は大丈夫。会社や家族も同じことです。

 

追記  (ハーフパイプ採点)

審判員                   1回目→2回目

スウェーデン     96→98

フランス                92→95

カナダ                   90→96

アメリカ                89→96

日本                       95→97

スイス                   90→95

カナダ/アメリカ/スイスがブレすぎですね。先のスキージャンプでもジャッジと対象国の関係を見ると思惑を感じないでもありません。採点競技特有の何かがありますね。それを行動で誰にも文句を言わせない結果を出すというところが今回、私が感動した点であります。これで誰も文句言えないだろうというクールな中に燃えたものがあったのでしょう。実に日本を感じる出来事でした。

 

 

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日本神話 悲運の皇子 倭建命(ヤマトタケルノミコト)日本武尊

2022年02月06日

もっと後に書こうと思っていましたが敢えて日本武尊(ヤマトタケルノミコト)のお話しです。日本武尊と郷土の物語の2本立てです。まず初めに本稿は記紀(古事記/日本書紀)の中で皇子の御名も地名も場所も年代も若干のズレがあって説が定まっていないこともあることをご理解ください。

以前も書きましたが古事記は日本人用、日本書紀は海外主にChina向けであること。ともに40代 天武天皇の時代に編纂が始まったこと。私は学者でも研究者でもないこと。真実と事実は異なり私は真実のほうを大切にしたいと思っていることを記しておきます。

 

ここからは日本書記の日本武尊という字を用いていきます。知らないことをいつ気づいても問題はありません。今知ったって昔から知っていたって価値は同じです。知らないまま知ろうとしないことを恥ずるべきです。私は高校生の時オートバイ大好きで教室にポスターを貼っていました。壁3面がオートバイのポスターで埋まるというすごい環境でした。オートバイで主に埼玉/群馬/長野を走っていました。武尊(ホダカ)山//吾妻郡嬬恋村/旧碓氷(ウスイ)峠/秩父/長瀞等のルートはよく行きました。これも以前書きましたが熊谷に住んでいて何故航空自衛隊が熊谷にあってその近くに御稜威ケ原なる地名があるのか高校生の時には深く考えませんでしたがオートバイで走っていたルートの地名にも何か引っかかるものがありながらも深く考えることはありませんでした。

さて、日本武尊のお話です。(日本書記は天皇を海外に紹介する面があるので書かれ方が古事記と違います)

日本武尊は12代 景行天皇の数多く(80人といわれる)の子の第2子。大碓(オオウス)命の弟である小碓(ヲウス)命(後の日本武尊)に命に従わない兄を諭すように言われるのですが小碓命は兄を殺害してしまいます。景行天皇は小碓命に危険を感じて自分から遠ざけようと九州南部の討伐を命じます(この過程で熊曾健から倭建命(日本武尊)の名を受ける)難なく出雲まで平定して大和(やまと奈良県)に帰ります。これが日本武尊の征西です。しかし今度は直ちに東十二国の征伐(東征)を命ぜられます。きっと父(景行天皇)は自分に死んでほしいのだなと感じた日本武尊は悲しみますが叔母の倭比売命(ヤマトヒメノミコト)に励まされ天叢雲剣(アマノムラクモノツルギ(須佐之男命がヤマタノオロチの尾から取り出した剣)と小さな袋を授かって旅立ちます。駿河の国(静岡)で国造に焼き殺されそうになった時。天叢雲剣で草を焼き払い逆に袋に入っていた火打石で相手に火を放ち返討ちにします。これよりこの地を焼津とよび剣も草薙剣(くさなぎのつるぎ)と呼ばれるようになります。

この東征に同行していたのが后の弟橘比売命(オトタチバナヒメノミコト)です。走水海(浦賀水道)を渡るとき海が荒れ船が転覆しそうになります。

弟橘比売命は皇子が天皇の務めを果たすため自らが入水して海の神を鎮めます。無事に船が渡った7日後に弟橘比売命の櫛が浜で見つかります。

『さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の火中に立ちて 問ひし君はも』  弟橘比売命が入水時に詠んだ辞世の歌

(相模野で火に囲まれたとき火中に立って私を気遣ってくださったあなたがどうかご無事でありますように

この危機を乗り切った日本武尊は東夷十二国を平定した帰路の碓氷峠で霧で道に迷った際に八咫烏が現れ紀州熊野の梛木(ナギ)の葉をくわ先案内し山頂に着きました。日本武尊は碓氷峠の山頂から相模灘で荒波を静める為に海中に身を投じた弟橘比売命を偲び「吾嬬者耶(アヅマハヤ)」(ああ、いとしき我が妻よ)と三度繰り返し叫びます。この由来により碓氷峠には群馬長野にまたがる珍しい県境鎮座の熊野神社があります。また群馬の嬬恋・吾妻(あずま)・霧積 ・武尊(ほたか)山等の地名も古事に縁のあるものなのです。

更に地元埼玉秩父の三峰神社の由来は碓氷峠に向かう途中三峯山に登り山川の美しい様子から国生み二神(伊邪那岐命/伊邪那美命)を偲んでお祀りしたのです。この時道案内したのが狼(山犬)であったとされ神様の使いとして一緒にお祀りされています。(絶滅したニホンオオカミは秩父で生きているという伝説もあります)

もっと会社に近い長瀞の宝登山でも山火事にあった際、巨犬に助けられたという伝説から巨犬(山犬=おおかみ)を大口真神として祀っています。山名もこの逸話から「火止山」=「宝登山」となったといわれ三峰神社とともに狛犬は犬の形をしています(獅子形ではない)。後に景行天皇も日本武尊が平定した東国を巡幸されたということです。

日本武尊は東征から大和を目指す途中、美夜受比売と結ばれますが古(いにしえ)の習慣ですから弟橘比売命への愛には変わりはないのです。近江の伊服岐山の神に受けた傷がもとで日本武尊は命を落とします。あともう少しで大和に帰れるのに。故郷に愛されなかった日本武尊の気持ちはどんなものだったでしょうか。

 

『倭(やまと)は国のまほろば 

      たたづなく青垣山隠(ごも)れる 倭しうるはし』

(やまとのくには最もよい国である重なり合った青い山々が前後するやまとは美しい)

日本武尊 辞世の歌です。

(辞世の歌とは最期の歌であり出征死したたくさんの人も残しています日本人の習慣みたいなものですね)

日本武尊の魂は大きな白鳥となって能褒野(のぼの)を飛び立ち河内の国の志幾に地に降りたので御陵(みはか)を造り魂を鎮めました。その御陵は「白鳥(しらとり)の御陵(みささぎ)」といいます。

日本武尊の物語は大和朝廷の真実の記録です。これからは事実現実の世界のお話に入ってまいります。

 

10代から21代の天皇の系譜を貼りました。大事なのは直系の嫡子で継承しているわけではないということです。男系男子の継承が例外なく行われており

 

これは初代神武天皇から126代 今上天皇まで2682年間一度も原則を外れたことはありません

さて景行天皇の悲劇の皇子である日本武尊。13代 成務天皇は景行天皇の第4子ですが日本武尊とはお母様が違います。14代 仲哀天皇は日本武尊の皇子、更にその御子は私がそこまでは書こうと思っている15代 応神天皇、諱(いみな)は譽田天皇(ほむたのすめらみこと)八幡神社の御祭神です。お母様は最も有名な皇后、神功皇后です。16代 仁徳天皇以降は風土記などの史実との一致が多くなっていきます。21代の雄略天皇のころ大和の勢力範囲は日本武尊の治めた東北から九州までに拡大していることが証明されるようになってきました。

私たちに縁の深い埼玉県行田市に埼玉(崎玉サキタマ)という地名があり埼玉の地名の基と言われています。埼玉古墳群という関東最大の古墳群9基の古墳が残っています。おそらく古代はもっと多くの古墳が同時期に存在していたでしょう。丸墓山古墳は円墳、それ以外の8基は前方後円墳であることから大和朝廷との関係は昔からあるといわれてきました。その中の稲荷山古墳から1968年に出土した副葬品 金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)は出土10年後X線検査をしたところ剣身に表面57文字、裏面58文字の計115文字の銘文が金象嵌で刻まれていることがわかりました。年号は西暦で書いてありませんから辛亥年の解釈は西暦471か531年かですが、書かれている獲加多支鹵大王(ワカタケルオオキミ)が日本書記から雄略天皇のことだと推察されています。いろいろなことがつながってきたので仕上げに入りますが私の若いころからの郷土の由来が少しずつ繋がってきました。12代 景行天皇の御代で東北から九州までを平定した大和朝廷は21代 雄略天皇の時代に古墳時代のピークを迎えたのだと思います。

銀象嵌銘大刀(ぎんぞうがんめいたち)という剣も明治期に発掘されて国宝指定されています。こちらには銀75文字の銘文が刻まれています。一部判読不明な部分がありますが後に発見された金錯銘鉄剣の読み方からやはりワカタケルと書いてあることがわかりました。雄略天皇のことですね。双方の剣に雄略天皇の朝廷に仕えたことが書いてあるということはそういうことです。銀象嵌銘大刀が出土したのは熊本県玉名郡和水町江田船山古墳です。

 

埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土した    金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)

熊本県玉名郡和水町江田船山古墳から出土した 銀象嵌銘大刀(ぎんぞうがんめいたち)

 

埼玉県と熊本県が繋がったでしょう。私は古のご縁を感じざるを得ません。もう1800年以上前には同じ文化文明で結ばれていたわけです。私たちと同じ暮らしをあなたたちもしていたんですね。こんなに離れていても。そして郷土地域にはそれぞれに神話とつながった地があります。神話と歴史が一つにつながっていているということが他国に類を見ないことであるという事実。日本人として大事にしなければなりませんね。

 

 

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必要です。日本の成り立ちを知ること。

2021年12月31日

御幣やお札を授かりに神社を回りましたが何処も準備をしているのは年配の方ばかりです。文化の崩壊とはこのようにやってくるのだと思います。日本は神道と仏教が共存する国家ですが神棚も仏壇もない家が多くなっていると思います。新築で神棚を設置する割合はどのくらいでしょう。旗日に日章旗が並んだ昔が懐かしい。昔はお祭りも盆踊りも盛大でしが除夜の鐘さえ騒音にされる現代で日本文化は日本人が守れるのでしょうか。

 

新渡戸稲造の「武士道」は日本文化を外国人に紹介するものでした。新渡戸が英語で書いたものを日本語に翻訳してあるのです。今では日本人が過去を知る手段として読むものになりました。武士道を書くきっかけはベルギーの法学者ラブレー氏との宗教に関する会話(新渡戸はキリスト教徒)で「あなたがた(日本)の学校では宗教教育がない、とおっしゃるのですか?」と聞かれ「ありません」という返事をします。ラブレー氏は驚き容易に忘れがたい声で、「宗教がないとは。いったいあなたがたはどのようにして子供に道徳教育を授けるのですか」と繰り返し言ったそうです新渡戸は答えられません。新渡戸は幼いころ学んだ人の倫(みち)たる教訓は、学校で受けたものではなくそのような観念を吹き込んだものは武士道だという思いに至り外国人向けに武士道を書いたのです。

明治期の日本人には武士道が道徳の基だったかもしれませんが神仏が私の道徳の柱です。やはり学校で教わったものではありません。祖父母から神仏が必ず存在するという教育を受け神仏の存在を基準として人生を歩んできたのです。おかげで道を踏み外しませんでした。放火で多くの人を巻き添えにした犯人が死にました。世間はこれで原因がわからなくなったといいます。原因はともかくいじめにせよ巻き添え殺人にせよ同じ方法で減ると思います。しかし多くの世論のように原因を掘り下げ対処療法での解決方法を採るならば更に深刻な事態になっていくとも思います。

自宅の神棚 お正月様準備完了

コロナ禍で無償配布のお札

新渡戸稲造はキリスト教徒であり日本人の道徳感の源泉を武士道にみましたが私は日本に千年以上根差している神仏の教えを基にして人間教育をすべきだと思います。教育とは大げさですが日本国の成り立ちを皆が知るだけで充分です。今、家庭でも学校でも日本の神話を教えません。神話から現実が連続して存在している国は日本しかないのに故意に教育から外し学ぶには自分で調べるしかなくなりました。今では一部の人しか自分の国の成り立ちを知らないのです。神仏を基にした教育が行われれば「親殺し子殺し」「無差別の殺人」「いじめ問題」などは減少すると思います。そんな未来が日本に訪れますように。

 

 

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大晦日 恒例行事

2021年12月31日

大晦日です。2年前の大晦日も全く同じ記事を書いてました。毎年同じということが年末年始は良いことなのかもしれませんね。もっと余裕をもって掃除をしないといけないですが、家の中で一番きれいにしておかなければならない場所は一番汚れやすい場所である御不浄です。日頃の働きに感謝してお掃除しましょう。

洗浄便座は機能的には清潔に見せるようになっているんですが外してみるとかえって汚いんですね。この辺りはメーカーさんの見えなきゃよいのではないか的なものを感じてしまいます。もっと清潔にしておける工夫はないものでしょうか。私ならこうするのにというのがないわけではないのです。

さて暦は現在太陽暦ですが個人的には今でも日本の風土には二十四節気をベースとした太陽太陰暦が一番しっくりくると思っています。私の誕生日の冬至が暦の一つの基準となるのですが様々な行事が季節と密接にかかわっているので旧暦でなければ意味のない祝祭日もあるのですよね。

 

太陰暦では15日が満月で三十日は晦日でした。三十一日のことを大晦日といいます。晦という字は「月隠れ」(つきごもり)から「つごもり」と読みますので大晦日の別名は「おおつごもり」です。今夜我が家の儀式は神社で授かった道具を使った「お祓い」ですね「晦日祓い」から「ミソカッパライ」と呼ぶ地域というかそういう人もいるらしいですがそれは聞き間違いでしょう。

 

「祓え給い、清め給え、 神(かむ)ながら守り給い、 幸きはえ(さきわえ)給え」

「一年間の罪汚れをはらい神力によりお導きください」という意味の言葉を唱えながら各部屋を回って最後に家族、そのお祓いに使った道具を鬼門の地面に挿しておきます。お正月様のお食事ももう一本のお祓いでお供えするごとにお祓いしお正月明けに同じところに挿します。ところどころで割りばしの先に白いひらひらのついたようなものが地面に挿してあるの都会では見ないでしょうけれど残ってほしい風習ですね。

神力無礙(じんりきむげ)無礙の神力にお願いする。共に生きているということです。

 

 

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His master’s voice   =Nipper= 2

2021年12月08日

おかえりなさい。

2021年12月8日は巷では大東亜開戦80年ということで話題ですが我が社にはNipperが来た日です。

ビクターオンラインストア https://victor-store.jp/ で限定版Nipperを大人買いしました。

しっかり梱包されたNipper君。会社の玄関では寂し気なので明るいところに置きました。

100体限定品 シリアルナンバーは045/100でした。

いつから販売しているのかはわかりませんが、まだ50体は買えるのですね。個人的に高価なものですがスワロフスキーのNipper君は50万円以上のプライスですから大きさからいうとお買い得かもしれません。

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https://www.tdd-sanei.com/blog/his-masters-voice-%ef%bc%9dnipper%ef%bc%9d/

にもあるように、我が社の建物はJVCケンウッド様から譲渡されたものです。だからある意味『Nipper君おかえりなさい』なのです。

私たちには懐かしい昭和の夢や希望にあふれていた時代の一つの象徴です。物質的に恵まれているはずの今なぜ幸福感が乏しいのでしょうか。

 

80年前の今日対米戦争が始まり日本の歴史を振り返ると幸せって何だろうと考えてしまいます。JVC(日本ビクター)様が謳う「時代をつくるブランドである」「音楽で幸せにすることを私達の使命としてチャレンジを続けていく」という精神が現代の日本人に感じられないのは私だけでしょうか。

「時代を作る」とか「チャレンジ」とかがなんとなくスローガンとして言いにくい時代。その原因は多くの人に自信がないのです。自信を持つことに自信がないのです。

 

「昔は」というフレーズは使いたくないのですが昔は根拠のない自信があったのです。やれるという感じ、失敗してもいいからやってみようというチャレンジ精神。いつの間にか失敗が許されない不寛容な社会になったのかもしれません。大企業も失敗してもよいから開発優先という時代ではないようです。

確実に利益を上げられることが重要視されるようになった気がします。確かに人が悲しむような失敗はいけないと思います。しかし前向きに将来の糧になるような失敗なら我が社では歓迎します。特に若い人は失敗を恐れずにチャレンジしてほしいです。未来は作るものですから待っていて誰かほかの人に期待しても何も起こりはしません。Nipperも生まれて100年以上愛され続けるなんて思ってもいなかったでしょう。私たちも人の心に残るモノづくりがしたいものです。個人に与えられた時間は有限でも正しい「理念」は無限に継承されると信じています。理念のあるモノづくりをしなくてはいけません。

 

 

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若者に現実を知り考えてほしいこと「失われた30年」

2021年09月19日

本日は私の体験した「失われた30年」について若者へのメッセージとして記したいと思います。

 

「晴天を衝け」で地元の澁澤榮一翁が取り上げられていますが渋澤財閥は存在しません。一介の農家に生まれ千を超える株式会社や公益法人を立ち上げながらその動機は「将来のため・私欲を超えて・公共のため」であったと思います。明治人最高を説く私にとって榮一翁はまさに明治人の鑑です。現代は残念なことに「今だけ・金だけ・自分だけ」という日本人の旧来の価値観とは全く真逆の思考が浸透しています。

親ガチャという厭世的な言葉もきかれます。どこに生まれるかで人生が決まってしまうというものです。人間は生まれる国や時代に翻弄されるだけの存在なのでしょうか。我々も大東亜戦争の時代に生まれれば否応なしに戦地に赴いてその後、戦後の復興に尽くすことになったかもしれないですがそれでも前向きに生きなければならないのです。スタートはどうでも与えられた材料の中でどれだけ自分が成長したかが人生の価値だと思います。

 

私の30余年見聞きした狭い範囲のことを述べたいと思います。ちょうどバブルから失われた30年の期間です。なぜこうなったのかを自分なりに記します。毎度申し上げますように専門家でも研究者でもありませんので分析があっているかわかりませんが肌感覚で語ります。過去を知って未来に活かすことが大切です。同じ失敗を繰り返さないようにしなければなりません。

日本がアジア初の5大国入りをしてパリ平和会議で人種差別撤廃を提案したのが1919年。大変立派なことでしたが当然受け入れられませんでした。それが外交の分岐点だったと思います。皆さんには世界の何らかの世界的なルールが変更されるとき日本側に不利になることが多いと知りましょう。

 

私が社会人になったのは1985年(昭和60年)バブル期でした。丁度この年、先進国のルール変更がありました。当時の 円/ドルは 250円/ドル(円安)でした。ドル高貿易赤字に苦しむアメリカはG5(アメリカ・フランス・イギリス・ドイツ・日本)をニューヨークのプラザホテルでドル高是正合意を達成します。(プラザ合意)あっという間に円高になりました。日銀は慌てて公定歩合を下げて円を市場に流して価値を下げようとします。土地は下がらないという思い込みから金融機関から簡単に調達した資金は土地や株に流れ込んで東京の地価は3年で3倍に、借りたお金は転売で返して利益が残る。実体のないバブルが始まりました。価値のないものは上がり続けるわけがありません。政府と日銀は公定歩合を上げ資金の総量規制や土地への課税をします。「土地が下がるかもしれない」と思った企業や投資家は一斉に売りに出ますが全員が売ろうとするのですから売れません。たたき売りでも売れません。企業や投資家、証券会社は破綻しましが銀行は税金で救われました。バブルに踊って破綻したのは日本人でしたがきっかけはあのルール変更です。

傷んだ金融機関をはじめとする日本経済。ものは安くしないと売れなくなりました。物が売れないと給料も上がりません。さらにモノの金額を下げます。デフレスパイラルに落ちました。ビックマック指数というものがあります。現在日本は最低レベル390円でビックマックが買えます。韓国440円イギリス522円アメリカ621円スイス774円。「アメリカやスイスは物価が高くて大変そう」そう思ったあなたは既に敗北主義に冒されています。ビックマックが高いのは給料がそれ以上に高いことを示しているからです。自動車のようなグローバル商品が高くなったな。と思うのは日本人の給料が上がっていないからなのです。

ドル/円 相場の推移

ドル/円 相場の推移

名目GDPは1995年頃やがて日本がアメリカを抜くのではないかと言われていました。事実グラフもそんな曲線を描いています。しかしバブル崩壊(裏にルール変更)によって日本は墜落します。変わって出てきたのはChina。いつか見た光景です。大東亜戦争で日本が戦っていたのは蒋介石の中華民国でしたが気付いたらChina共産党が戦勝国になっていました。連合国は日本が押さえていたフタを開けて極東を赤化してしまいます。アメリカは日本を叩いてから朝鮮戦争が始まって気づきました。「日本に軍隊が必要だ」しかしもう軍隊は持たせないといってしまった。警察予備隊(自衛隊)を作ります。もう遅いのです。

 

貿易で伸びた日本が怖くなって日本を叩きました。日本はバブル崩壊して失われた30年に苦しみます。(日本の若者が苦しみを感じていないのが問題ですもっと不満を表現しましょう)気づいたらChinaがアメリカのGDPに迫っています。Chinaは日本のように甘い国ではありません。もっとしたたかで有言実行の国です。何十年何百年かかっても必ず中華を復興するでしょう。常に世界をリードしてきた自尊心を持っています。

名目(物価変動含)米ドル換算推移 2010年日本は3位へ

出典 IMF ニッセイ基礎研究所作成

GDPが日本の10倍になったとき恐らく防衛費は数十倍になっています。お隣にそんな国があって抗せますか。既に経済や食料でも競合し危険な状態です。いずれChinaの経済圏に吸収されます。良いのですか。

軍事防衛は別にして経済安全保障上も日本の産業で他国と伍していくには武器が必要です。半導体や自動車は日本の強く大切な武器でした。しかし現実を見てください。ファンドリーを除く半導体の世界シェアは1990年の50%をピークに失われた30年をなぞるように右肩下がりし現在では5%を切っており経済産業省は公式に「0」になる可能性もあるといっています。

皆さんは半導体を日本が強い分野だという幻想を抱いていませんか。そう思わされていませんか。実際はそうではありません。業界にいる私が申しあげるので間違いはありません。今のところ半導体装置とシリコンウエハを含む材料系のアドバンテージはあります。しかし近いうちにシリコンウエハの世界シェアはかつてのIC同様下降します。パワー半導体の新基板でもリードを守れるか不透明です。ここには政治が必要ですが自民党の半導体議連も経産省も対策が故意にポイントを外しているようにみえます。日本をミスリードしている目的は何でしょう。

半導体ICの世界シェア1990-2020

半導体ICの世界シェア1990-2020

出典 IC Insights ファンドリ含まず

このような状況で賃金が上がる要素がありません。30年の賃金の推移を見てください。暗い気持ちになります。OECD先進38カ国のデータですが日本・韓国・アメリカだけに色を付けました。

10年刻みのほうがわかりやすいと思います。ここでの数値は 購買力平価(PPP)purchasing power parity(商品が他国ならいくらか)というものです。単に為替変動を含む名目値だともっと差がついています。この30年日本の数値は止まっていますね。これは資本主義の社会では異常なことなんです。日本以外の国はほぼすべて購買力平価(給料)が上がっています。

この低賃金、給料が上昇しない賃金のシステムを作った人たちが今、一番年金をもらっていてそれを払っているのが被害者である若者だという事実。やり切れません。

購買力平価(PPP) ベースの平均年収推移

購買力平価(PPP) ベースの平均年収推移

出典 OECDーDATA

購買力平価(PPP) ベースの平均年収 10年刻み

出典 OECD-DATAを加工

しかし一方で若者にも原因があります。今の境遇で自分は満足かもしれませんが次の世代への責任を果たさないという姿勢は正しくないのです。貴方たちの行動は次の世代に繋がっていますよ。私はたまたま大東亜戦争での特攻で散華された英霊の事を調べる中で多くの死に赴く若者の言葉を知っています。彼らは戦争に勝とうなどと思って散ったのではありません。自分たちの行動は戦争が終わったときの講和の条件に影響を与える。後世を担う若者にメッセージを与えることができると信じて逝ったのです。私たちは彼らの遺志に応える義務があるのです。だから敗北主義は捨てましょう。今からでも私たちの後の世代に何を残せるか考えて行動しようではないですか。

大学ランキング世界・アジア/論文数

出典 高校生新聞2022 進研アド2021 毎日新聞

大学のランキングで日本の大学が順位を下げています。英米が相変わらずトップ20を占めていますが20位付近に香港大学・北京大学・精華大学のChina系大学が入っています。つまりChinaの優秀な頭脳はトップの大学に進み日本の東京大学に来て院生になっているような人材はその次の人たち、さらに日本の私学の院生はその下、日本人はというとさらにその下というのが現実なのです。論文数もアメリカを抜いてChinaが一位になりました。数十年後もう日本からはノーベル賞受賞者が出ない可能性があります。

つい先日、光触媒の発見者である藤井東大特別栄誉教授が研究員ごとChinaの大学に移籍するニュースが話題になりましたが日本で研究をすることは2重の意味で困難があります。研究費用が国から拠出できません。未来への投資より年寄り政策です。もう一つは全ての研究は軍事につながるというアレルギー。日本人の自虐的思想。日本人は富んではいけない軍事的に力を持ってはいけないという潜在的に刷り込まれた意識があることです。Chinaに行けば豊富な予算や環境で研究開発ができる。頭脳が流出してもそれは日本のせいですね。Chinaの仰る通りです。

 

それでは日本に残った皆さんどうしますか。私は零細企業のトップとして皆さんに申し訳ありません。安い給料で一生懸命働いてもらっていますからね。経営者の責任を感じていますよ。しかし同時に物足りなさも感じています。皆さん今の自分に満足してしまっていますよね。それは皆さんだけじゃない。欲を出すことは悪いことではないのですが、もっと金銭的に豊かになりたい。もっと技術や知識を高めたい。もっともっと・・・という欲がないと思います。

 

皆さんの前に今、とても大きなルール変更が起ころうとしています。「脱炭素」社会です。「カーボンフリー」です。大変な矛盾がありますが世界的な流れに抗うことはできません。日本もそのルールに従わなければならないでしょう。日本の自動車産業は世界誇る産業でしたが自動車の歴史は内燃機関(エンジン)の歴史でもあります。優れた内燃機関を作り続けること。それを効率よく伝達する技術を日本は100年かけて作ってきました。しかし今回のルールは100年のアドバンテージをゼロにするものです。「電化した自動車以外は作れないようになる」ことは多くなアドバンテージを日本が失うことになるのです。欧州は何でこんなことを言い出したのか。クリーンディーゼルの排気ガス不正問題が無関係ではないでしょう。欧州が達成できなかった技術を日本はクリアしました。ルール変更です。現段階でハイブリットはChinaと日本では電化に含むとしていますが、やがて全ての内燃機関がNGになるかもしれませんし輸出ができないだけで大打撃です。日本で500万人の雇用が失われる可能性があると危機感を持つトップが言っているではないですか。

 

もう一つ「グリーンエネルギーで生産した製品しか輸出できない」という動きも進むでしょう。電源構成が火力中心の日本で作った製品は輸出できなくなります。太陽光発電は稼働率14%です。平均すると1日で3時間しか発電していません。日本中をパネルにしても賄えない。地熱や風力を使ってもバックアップ電源がないとブラックアウトの危険性がある。八方ふさがりですね。どう打開していきましょう。日本に知恵と力が残っているでしょうか。若者に期待するのは無責任でしょうか。でも生きていかなければならないのは若者です。

各国 電源別発電量構成

出典 資源エネルギー庁

自動車 EVショック 脱エンジン

出典 東洋経済オンライン 毎日新聞

欲を出すことをためらう若い人に言いたい。欲を出すことは恥ずかしいことですか。悪いことですか。とんでもないことです。「希望は活きる力の源泉」私はいつも言っています。希望を実現するためには絶対に欲が必要なのですつまり生きるためには意欲が必要なのです。「自分だけ」をまず捨てましょう。次に「今だけ」も捨てましょう。「金だけ」は自分のためのお金の事じゃありません。人のためみんなのために必要な「お金」です。

 

パラリンピック水泳で銀メダル2つを獲得した山田美幸さん14歳。重度の障害S2。両腕がない脚は曲がり長さが異なる。そんな美幸さんにお風呂で溺れぬようお父さんが水泳を習わせたそうです。今はそのお父さんも亡くしました。でもニコニコ心からの素敵な笑顔で他人に接しています。私は今回のオリンピックパラリンピックで最も感動(言葉では表せない)と勇気をもらったのは美幸さんでした。「おめでとうございますそして有難うございます」

 

私はこの世に完璧な人間はいないという意味で(逆説的に)「どんな人も全員が健常者」だという持論を持っていますが、それぞれが自分を成長させるための負荷を色々設定して人生にチャレンジしている。思い負荷をかけて人生にチャレンジしている美幸さんの座右の銘は澁澤榮一翁の「無欲は怠惰の基である」 だそうです。14歳の彼女のこの言葉を若者であるあなた。日本人であるあなたはどう受け止めますか。

 

 

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日本神話 番外 「たったひとつのきまりごと」

2021年08月28日

また前回の更新からだいぶ時間が経ってしまいました。本年度もサンエイは無事に決算を迎えました。隠身(かくりみ 神の語源とも)と皆様の御陰様でございます。ありがとうございます。直下私共の製造業は大変な部品不足に陥っており来期(30周年記)は厳しいものとなりそうです。部品不足の原因は様々ですが大雑把に申しますと

①製造のグローバル化によって大手企業の資材調達が世界的になったことで一つの製品の部品を何カ国に渡っているためロックダウンした地域で生産した部品が遅延し全体の数%の部品が入荷しなくても製品として完成しない。

②半導体不足という政治的な生産力の不備がもたらした構造的な問題。のようです。通常1か月程度で入る部品が半年、10か月、1年とかかるようになってきました。今後1年以上、景気押し下げ要因になると思われます。

日本のグローバル化を掲げた小泉竹中政治の結果

「今だけ、金だけ、自分だけ」という本来日本にない価値観が生んだ弊害です。毎度登場の渡辺京二著「逝きし世の面影」の中の日本人からはそんな価値観全く感じられません。「晴天を衝け」で描かれている渋澤栄一もまた

「後世のため、お金を超える価値を、公共のために」と常に思い続けています。明治を生きた日本人の多くは悠久の歴史を持つ日本ならではの心を持っていたのだと思います。もちろん我欲が悪いことではないし当時も「自己中心志向」の人もたくさんいたでしょうけれど割合の問題と国を動かすような大志と使命を持った人たちの中に「真の公共の幸福の追求」という心理があったと思います。

 

「真の」というところが問題です。「幸福とは何か」今までも述べてきましたが、何も努力なしに悠々と生きられることではありません。丁度パラリンピックが開催されておりますが、どんな障がいをもっていてたとしても(私は人は皆障がい者であるという意味において障害者はいないと思っていますが)生長する喜びを自ら得られる。或いは人に与えられることが「真の幸福」だと考えています。

「逝きし世の面影」挿絵

江戸時代の「おもてなし」 宿に着いた旅人の足を洗い飲みものを出す。

「逝きし世の面影」挿絵

杖から盲人の按摩師と思われる。        身なりと街への溶け込みが大変自然だ。

前置きが長くなりました。この日本人思考の根本はその理念が記されている最古の書「古事記」だと思います。大東亜戦争以降「敗戦利得者」により日本の教育が明治から戦前の歴史を否定的に捉えています。しかし本当は当時の日本人が一番その理念を発露させた時代であったのではないでしょうか。

 

この度インターネットで「神道政治連盟青森県本部」が6月に発行した小冊子「たったひとつのきまりごと」を知りクリアファイルと共に300冊購入して社員と来社した皆様に差し上げています。1冊30円とても安価です。この冊子の内容は「皇統は万世一系の男系男子に限る」ということが「たったひとつのきまりごと」ですよ。ということが易しく書いてあります。(日本書紀の内容を多く引いているようです)

 

この件については「男系女子」「女系男子」「女系天皇」「女性天皇」の意味が良く理解できていない多くの国民にとって良い冊子であると同時に今年が「皇紀2681年」であり今上陛下が「126代天皇」であることを知らない(昔では考えられないことなのですが)人に実際は今でも皇室と共に日本人があるのだということが感じられると思います。

小冊子「たったひとつのきまりごと」

小冊子「たったひとつのきまりごと」

クリアファイル「ご歴代天皇系図」

神話から連綿と続く万世一系の皇室を持つ国に生きている事実を知ればそれだけで幸せという人もいるでしょう。皇統の危機は何度かありました。そのたびに先人は智慧と努力で紡いできたのです。史実としても一千年以上継続している世界に類のない皇統を私たちの代で「断絶することは許されない」と常々申している意味が当小冊子から解ると思います。PDF版も用意されていますが安価ですので1冊お手元に置き読んでみることをお勧めいたします。

 

冊子をお渡しした多くの方が「こういうものに興味はあったが知る機会がなかった」と仰います。教育は大切であると同時に怖いものです。

 

先の敗戦でも守られた一千年を超える国体が今、内外からのサイレントな侵食を受け絶たれる危機にあることを

一人でも多くの日本に住む人々に知っていただきたいと思います。

 

 

 

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モノ作り日本の崩壊(電子立国日本の自叙伝 放送30年)

2021年03月13日

NHK「電子立国日本の自叙伝」が放送されたのは30年前の1991年です。当時私は半導体業界向けの商社に入社し子会社で洗浄装置を担当したばかりでした。30年後の今、当時の私に声をかけるとすれば「あなたの観たその誇らしい放送は既に崩壊の序章だったよ」ということです。放送により今でも日本が電子立国であるかのように錯覚している人もいるかもしれません。

しかし今、正しい日本の姿を描くならばそのタイトルは「電子立国日本の遺書」「モノづくり日本産業の崩壊」というものではないでしょうか。少なくとも私の立ち位置からはそう見えます。しかし気が付いていない人があまりに多い。社員さえ読まないこのブログにたどり着いて拙文に触れていただいた方に考えるヒントになれば幸いとこの記事を書きます。毎回申しますように私は学者ではありませんし専門知識もありません。正しくはご自分でファクトチェックした上でご判断ください。

 

私は根本的に「明治人最強」を説きます。これは渡辺京二著「逝きし世の面影」にもある幕末から明治に日本に訪れた又は居住した多くの西洋人によって滅亡した江戸の文明を上書きした富国強兵の明治という視点からです。文明は滅びても文化は残ったが「古い日本は死んで去ってしまった、そしてその代わりに若い日本の世の中になった」(チェンバレン1873-1911年の間日本に居住)「明日の日本が外面的な物質的進歩と革新の分野において、今日の日本よりはるかに富んだ、おそらくある点でより良い国になるのは確かなことだろう。しかし昨日の日本がそうであったように昔のように素朴で絵のように美しい国になることはけっしてあるまい」(ウェストン1925年著書より)素朴で絵のように美しい国というのは著者の渡辺京二氏もいうように景色だけのことではなく民族の心性も含んだ意味だと思いますがこれはあくまで100年前のことです。しかしヒントになります。

 

なぜこの話なのかというと日本の産業構造を考えたときに以下のような流れがありました。

  • ①「江戸時代から明治維新を経て明治時代になった」富国強兵産業期(鉄鋼・造船・紡績・軍事)
  • ②「戦後昭和の経済復興」勤勉と安価な人件費による復興貿易期(鉄鋼・造船・紡績・内需)
  • ③「昭和の技術立国化」外国からの技術を深化させて自国技術として確立(自動車・電子・内需)
  • ④「平成の失われた30年」グローバル化戦略の誤り
  • ⑤「現在の国内産業の衰退」将来への備えを怠った付けを払う時代の始まり

これらの流れの間には都度、過去の文明を変えるほどの変化があり明治維新や敗戦、バブル崩壊などの大きな事が起こった時には人々は実感しますが④⑤(コロナ問題は進行中ですが)に関してはその変化に気づいていない人が多いようです。文明が変わっても残った日本人の文化や心性までも廃れてしまう懸念をもっています。

 

明治維新の志士は大国清が列強に翻弄されるのをみて国家構造を変えて対応しました。その手法が正しかったかどうかは分かりませんが、変化しなかったならば日本は列強に取り込まれていたでしょう。独立を保ったのです。Chinaは常に世界をリードしていましたがアヘン戦争以降ほんの200年、蓋をされていたにすぎません。今は共産党の国。自称「中華人民共和国」建国100年です。新しい国ですがかつての大国としての復興を目指しており、いよいよ実現が目の前になってきました。

 

日本に目を移しましょう。多くの人が何故気づかないのか。冷戦時にスイス全国民に配布された「民間防衛」という書にヒントがあります。兵器を使わずに他国を支配することが近代の戦争なのです。紛争を作ってしまって相手に警戒されたら侵攻がうまく進みません。相手に気づかれないように考えないように徐々に入り込んで支配国に依存しないと生きられないようにした時点で戦争完了です。

 

日本人の多くが気付いていないこと。先に挙げたように「今でも先進国であるかのような錯覚」Chinaや韓国をはじめとするアジアの国々が「日本より遅れている国であるという錯覚」「今までの生活水準が将来も保てるという錯覚」私の立場から目を覚ます皆さんのよく知っている簡単な事例をいくつか記します。専門家はそんな事十分承知というでしょう。間違った見解と言われるかもしれません。しかしこれが今の私の社会人としての肌感覚です。

【内需では経済が成り立たない】

よく言われるように日本には資源がありませんからモノ作りに支えられています。自国で持っているのは「製造技術」と「労働力」でした。(過去形)原材料は輸入です。人口増加が一定規模で保たれれば内需の期待もあります。しかし少子化人口減で革新的な商品が日本から生まれないと国内循環でビジネスが成り立ちません。輸出するしかないのです。

 

【完成品で輸出できるものが少ない】

メイドインジャパンの信用力はわずかに残っています。かつてはテレビ、冷蔵庫、洗濯機をはじめ

家電は日本で作っていましたが今ほとんど海外生産です。パソコンや携帯電話やLED照明器具も日本製がありましたが瞬く間に衰退しました。私がいる半導体業界もDRAMやCPUなどの高価な半導体の国内メーカーは消滅しました。高価格商品で世界をリードし伸びているのは自動車メーカー位ではないでしょうか。

 

【目を背けたくなる現実】

半導体業界に身を置いて30年、嘗て世界シェア70%を誇った日本のお家芸DRAMは数年のうちに駆逐され台湾と韓国にポジションを奪われました。日本の技術者と製造装置メーカーが立ち上げたのですから日本の苦労が水の泡になっただけでなく後の失われた30年の一因にもなりました。それを許したのは政府や行政でもあるのですが今でもそれは変わっていません。次はもっと大きな半導体ショックが訪れます。現在、棲み分けができている半導体産業で装置や素材のメーカーは日本が優位性を保ってきましたが我々を含めそれも過去のものとなりそうです。日本は産業保護や育成については非常に冷たい国です。もしかすると政治家は日本を衰退させるために敢えて施策を行っているのかもしれません。半導体投資には大きな費用が掛かります。他国では数千億、数兆円を掛けて国家主導で投資を行いました。日本にはそんなお金はないのだと思ってきましたがコロナ禍で投じられる数十兆円の予算をみたとき資金を使う方向を産業に向けていれば、これから訪れるであろう未来を変えることができたと残念に思います。現在、半導体の基板であるシリコンウエハーは日本メーカー2社が世界シェアの60%を占めています。上位5社にChinaの会社は一社もありません。これから自動車のEV化やIoT社会への変化により半導体基板の需要も増加します。Chinaでは現在の日本メーカーの総数を上回る数を供給できる会社が立ち上がっています。数年内に品質も同等になるでしょう。また台湾韓国と異なり自国で原材料を既に持っており製造装置も他の素材も国産化をすると宣言しています。彼らが宣言したことは必ず実現します。ウエハーの次はファウンドリーを中心としたデバイス生産が本格化するでしょう。日本の消極的な電子デバイスメーカーのサラリーマン経営者は投資をせず製造を委託するでしょう。半導体の素材もデバイスもChinaが覇権を握るでしょう。安全保障上のリスクはレアメタルの比ではありません。政治家はもちろんそんなことは承知で法整備をしません。

【頼みの綱が】

それでも私は自動車産業が残るのだろうと漠然と考えていました。しかし2030年の新車販売でのEV化を宣言したことで目が覚めました。脱炭素、カーボンフリーはどこから来たのでしょうか。気候変動が本当の理由ですか。脱炭素は単にエンジンを作ってはいけないということではありません。製品を作る際に発生する炭素量も問題にされるでしょう。全産業に影響し化石燃料で発電している日本では工場の稼働はできないことにもなりかねません。結局原子力を持つ国、核兵器を持つ国、人権を制限できる国が勝つ社会になっているのではないですか。

自動車の技術=エンジンの技術です。欧州メーカーはクリーンディーゼル不正の発覚によってエンジンを捨てることにしました。彼らのレギュレーション変更にまた日本は巻き込まれたのではないですか。かつての戦争が安全保障上の理由で起こったとマッカーサーも上院の軍事外交合同委員会で証言しています。それほどの大事件が今起きているのに。毎日のように「自動車産業は550万人の雇用を支えています」のCMが流れています。自動車産業に携わる人々の危機感のあらわれでしょう。エンジンを捨てた自動車メーカーはどうなるでしょう。すべての有意性がリセットされて20年後はgoogleやappleだけでなく聞いたこともないmade in Chinaの自動車が自動運転で走っているでしょう。日本は何が残っているでしょうか、安い賃金を背景にした労働力の提供しかありません。格差は開く一方になります。

 

【知っていますか】

ある大手のインターネットサイトで総売り上げの過半数はオーナーが外国人になったそうです。皆さんが日本の会社だと思ってネットで購入しているその商品の販売元は日本人のお店かもしれませんがお店のオーナーは日本人ではありません。すべての国内産業においてそれが起きます。コロナ前から倒産より廃業が増えました。M&Aなどという言葉を知らなかった人たちにも企業の吸収合併は普通のことになりました。但し買う側の会社が日本の会社であってもオーナーが日本人とは限りません。積極的な投資で日本企業を買う外国人は沢山います。日本人の消極的思想の根源は安全保障を他国に預けるような敗北主義であることにあると私は思いますが負け惜しみを言ってももう間に合いません。

 

【これからの日本】

現代の日本人の本音は「飢えない程度に最低限の生活ができるのなら誰に食べさせてもらっても拘らない」ということでしょう。国柄が変わっても皇統が断絶しても楽に最低限の生活が提供されるなら受けるという考えが大勢なのではないでしょうか。そういう意味では日本は地政学上利用価値がありますから不満分子が扇動を起こさない程度の生活は保障され存続すると思います。

 

私が感じる日本人の位置が御理解いただけたでしょうか、私の接するChinaのエリートは礼儀正しく勤勉で情熱を持っています。かつての滅んだ日本人をみるようです。50年前、三島由紀夫が予言した「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済的大国が極東の一角に残るのであろう」は間違っていました。経済的大国、それは日本の位置にある他国籍国になっているかもしれません。どうすれば回避できるでしょうか。残念ながら間に合いません。一度は地に落ちたほうが残った日本人の覚醒に繋がると思います。幕末の志士は危機感から先手を打って日本を救いました百数十年経って憂国の志士は現れません。一旦地に落ちても起き上がる日本人はいないかもしれません。飼いならされた、かつては勤勉だった日本人の子孫がどのような未来を獲得するのかは予想できません。ただ祈るだけです。

 

現在の日本人は一生子供でいようとし親も子供でいさせようとします。親の遺産や年金で暮らしている人。親にお金の援助を受けて生きている人がやがて親になって同じように子供の面倒を見る循環が起きないと、不足した部分を誰かが補わなければならなくなります。簡単で当たり前の理屈ですが自分で立つということ。一人で立たせるということを国家ができていないのに個人ができるわけがありません。逆もまた真で国民が自立できないのだから国家が自立していないのもうなずけるというものです。本当の歴史と伝統を知らない日本人が日本を繋ぐことはできないでしょう。荒れた寺院や社を各地で見ます。BrokenWindow(割れ窓)理論が叫ばれた1980年代。ある意味日本の黄金期でした。あれから30年以上が経ってこれが日本で起こっているのが実態です。

 

化石燃料をフルに使って産業を維持している日本でモノ作りはできません。生産時にどれだけ炭素を使うかによって工場を稼働することが許されない世界がそこまで来ています。エンジンを捨てた自動車産業の未来は暗いです。大卒初任給ランキング日本は20番目アメリカの半分以下です。実質賃金指数が20年間でマイナスになっているのは先進国で日本だけです。日本は物価も賃金も安いので外国人観光客が来るのです。日本が好きだからじゃありません。(安いのにサービスがいいから好きというのはあると思いますが)格差は大きく広がります。格差のどちら側にいるかは気づきの差だと思います。

この記事が刺激になり、このままじゃいけないかもしれないと思う若者が出現してくれることを祈ります。

 

 

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日清日露大東亜(6)日露開戦の背景

2021年02月28日

時間が空きましたので再確認です。第2次大戦までは帝国主義の時代です。欧米列強が武力でアジア/アフリカを

植民地支配していましたが正当な権利とされていました。これを現代の感覚で非難することは間違っています。

また、当記事は私の主観で書いていますので疑問や大事だと思うところはファクトチェックをお願いします。

帝政ロシアはバルカン半島の南下政策で

イギリスと対立しアジア方面へ進出し日本にとっての脅威となっていました。

 

1860年にはアロー戦争(第2次アヘン戦争)で英仏と清の仲介に乗じ清との国境線を変更しウラジオストクを手にします。

 

地図をみると日本海に不自然に伸びた国境。ロシアの不凍港はこうして生まれました。

(シベリア鉄道はモスクワとウラジオストクを結ぶ長大な鉄道です)

 

ウラジオストクの語源はいくつがありますが概ねウラジ=「治める」「占領」+ボストークvostok「東」で「東方を支配せよ」という解釈になります。この重要な位置と意味(日本の隣の不凍港)は現代に繋がっています。

日清戦争後でも日本は三国干渉によりロシアに権益の一部を放棄(遼東半島はロシアのものに)させられました。有色人種初の帝国主義国日本でしたが白人列強の傲慢に日本国民の不満も積もっていました。

 

ここでイギリスと日本の利害が一致します。お互いのChina・Koreaの権益を認めてロシアの膨張に対抗する目的で「日英同盟」が締結(1902年)されます。日本にとって最初の軍事同盟でした。(この同盟が長く続けば日本の運命も違ったものになったはずですが20年後第一次大戦の戦勝国(米・英・仏・日)の4カ国条約により失効しました。後々のことを考えると残念です。)

 

余談ですが本当は支那としたいのですがChinaと書きます。支那は決して侮蔑する言葉ではありません。満州に派兵された私の祖父は愛をこめて支那/支那人と言っていました。しかし、不快な思いをする(そう思わされている)人がいるというのでChinaと書きます。ただChinaは地域の名前で当時の国名は「清」です。Chinaは易姓革命の国ですから王朝が変わると違う国になるのです。清は漢民族の明に代わり1616年に建国した満洲民族主導の国です。

1900年、列強うごめく清朝Chinaで義和団事件が起こります。アヘン戦争以降Chinaにはイギリス・アメリカ・フランス・ドイツ・オーストリア・イタリア・ロシア・ベルギー・日本などが租界と呼ばれる外国人居留地を持っていて清の国力は低下していました。反キリスト教の宗教団体が義和団という組織を作り排外(外国排除)武力活動を起こします。清朝末期の西太后は初め鎮圧しようとしますが反転し義和団を支持し外国に宣戦布告します。

 

日本を含む8カ国が連合軍として2か月で鎮圧しました。連合国の兵力7万、清側20万、日本兵の犠牲者757人。外国人教会関係で約240人、China人のキリスト教信者は2万3千人が犠牲になったと言われています。日本兵に犠牲者が多いのは、地理上Chinaに近い日本とロシアの派兵数が多かったことも要因です。

 

義和団事件の結果、勝者である列強の意向やそれに伴う賠償金により清国の衰退と植民地化が一層進むことになります。また、日本が日露戦争に踏み切る原因にもなりました。

満州還付条約調印で出兵したロシアはChina東北部の満州を一時的に占領し1年半のうちに3度に分けて完全撤兵する約束をしたのですが姑息な手を使って実質的に約束を守らず居座ります。地図を見ていただくとわかる通り満州地方はウラジオストクとKoreaに接し、ここを抑えられると地理的に日本にとってKoreaが最後の砦となります。ロシアはKoreaにも触手を伸ばします。

 

1903年、満洲還付条約が帝政ロシアにより破棄されます。満州に兵を置き旅順に総督府を設置し奉天を占領。日本の最後の望みは「満韓交換論」日本はロシアの満州での権益を認めるがKoreaでの日本の権益は認めさせることを図りました。最後の防波堤を守りたいという日本の願いが込められたものでしたが望みは絶たれます。ロシアはこれを拒否し日本は「窮鼠猫を噛まざるを得ない」状況になってしまいました。

 日本はロシアとの戦争は避けたかった。何しろ勝ち目がありません。日本とロシアとの国力、兵力差があまりにも大きいことを政府も軍も分かっていたからです。

 

負けるつもりで戦ってはいけませんが勝ち目がないとわかっていても戦わなければならないときがある。今の私たちには理解はできても実行できません。平和の祭典と戦争を比較してはいけませんがコロナ禍でのオリンピックを迎えた日本人の弱気発言が気になります。軍人勅諭には「命は鴻毛より軽し」などと人権軽視の部分もありますが一旦国家が決定したことはやり抜くという力があったことは羨ましく思います。現代の日本人が当時の人々より精神的に脆弱になったとすれば、それも問題だと思います。

 

その点はChinaの為政者を尊敬します。彼らは一旦口にしたことは何十何百年かかっても必ず成し遂げます。そのChinaと今の日本人が対等に交渉できるとは思えません。China数千年の歴史の中で一つの国が続いていた事実はありませんが常に大国でした。たまたまアヘン戦争以降の列強によって狂わされた統治によって一時停止していただけです。これから必ず復権します。そうしたとき我が日本が腑抜けの国になっているこの事実を為政者や若者は自覚して備え改善しなければなりません。

 

日露戦争で勝ち目のない相手にどう臨んだか次回以降に記します。(既に明治天皇の開戦の詔勅は紹介済みですが)過去に学びせめて気持ちだけでも先人に続きたいものです。

 

 

 

 

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建国記念の日 (紀元節 日本国の誕生日 国の成り立ち)

2021年02月11日

神話ブログにも書きましたが、記紀によるところ紀元前の660年に神武天皇が奈良の橿原の宮で「即位」されたのが旧暦1月1日で明治の御代で新暦2月11日を「紀元節」と定められたのが元です。日本国2621歳(皇紀2621年)ですね。なんでこんな基本的なことを日本人が知らないかというと知らせないようにされているからです。日本がアメリカ(連合軍)と戦争して戦後7年間GHQ(連合国最高司令官総司令部)に占領されました。連合国といっても実質アメリカです。日本が2度とアメリカの脅威にならないように様々な毒を盛った(敢えて悪い表現を使っています)のです。

系譜:天地初発から神武天皇即位まで

その結果が今の日本であり歴史を知らされない日本人の増産であり日本が衰退していく原因と私は思っています。国の誕生日にふさわしくない内容ですが日本国はしばらく衰退(停滞している事実)するでしょう。しかし希望は持っています。いつか若者が気付くのではないか?気づいてほしいと。間に合わなければ日本は日本ではないものになるでしょう。いろいろな形でそうなります。

 

昭和42年「建国をしのび、国を愛する心を養う」休日として建国記念日となって復活します。よく復活できましたね。現代だったらどうだと思いますかGHQが盛った毒が蔓延した現代。「神話に基づく国を愛する心を養う日として紀元節を復活しましょう」などと保守の政治家が発言したら毒に侵された国民が反対するのではないでしょうか。国を分断するため「家族制度を解体」「大規模農家を農地解放により解体」「財閥を解体し企業を小規模化」「家族型経営の会社で労働者と経営者を分断」「11宮家を臣籍降下させ皇統を不安定化」「教育・文化・報道関係者をはじめとする公職追放で思想を偏よらせる」「自立放棄の憲法押しつけ日本を立てなくする」等々、弱体化の毒はありとあらゆる分野に撒かれ発芽し根付いています。

そういうベースの下に今の自分があることを自覚しましょう。軽々と「女系天皇でも良いのでは」などと言うべきではありません。男女平等とこの問題は違うのです。世界の混乱を見ていると「戦前の日本統治は間違っていなかったのではないか」(私の戦前は明治ですが)と思います。間違っていたのは民主主義を植え付けると言って思想侵略したアメリカのほうだったのではないでしょうか。何と言っても歴史は日本のほうがはるか長いですから。アメリカは250年の歴史しかありません、China4000年の歴史と言っても易姓革命の国です。建国からは100年です。日本は2621年です。日本を超える国はないのです。超えられる可能性としては日本の皇統を断絶させるしかありません。男系継承が止まれば断絶です。

 

さて、別の神話の頁にも貼りますが神倭伊波礼琵古命(カムヤマトイワレビコノミコト)「神武天皇」までの系譜を書いてみました。神々の相当数記載していません。実際はこの何倍何十倍もの神々や物が生まれたのです。興味があれば調べてみると良いでしょう。また私の系譜が間違っていてもお許しください。学者じゃないもので。

 

私のブログの神話の項も建速須佐之男命の神逐(かむやらひ)まできていますので、これからは終盤です。須佐之男命と大国主の「国造り」国津神から天津神への「国譲り」神武東征と御即位、歴代天皇のうちの応神天皇までと決めていますから登場する神から肉体を持った天皇や皇族へと話が移っていきます。建国記念の日に系譜をみて、これまでの当ブログ(文書が長くまとまらずすみません)を読んで国の成り立ちについて考えてみてください。特に若い人よろしくお願いしますよ。「日本のこと頼んだぞ」少なくても大東亜戦争で散華した人たちをはじめ多くの愛国者はそう思っているに違いありません。私もそういう気持ちです。

 

 

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日本神話 補足 神蚕

2021年01月10日

神産巣日命から授けられた稲・粟・小豆・大豆の五穀(古事記による)のほかに唯一の動物である蚕について書いておきます。きっかけは、ある印刷物に載っていた記事を読んだことです。記事によると小学校で蚕の体験飼育をしたのですが幼虫が全てが死んでしまい教師がゴミとして捨てたという記事でした。これがなぜ記事になったのかというと神社で配った印刷物だったからです。起ったことは「飼っていた芋虫が死んだから捨てた」それがどうしたということかもしれませんが、日本人にとっては大事件なのです。

私が子供のころ家の周りは桑畑だらけでした。今は桑の木などなくなりましたが養蚕の盛んな土地柄だったのです。日本人は神話とともに養蚕も捨てました五穀もどこまで守れるかわかりません。日本以外でも養蚕は行われますが日本では神話で神に授けられたとされるほど大切なものであり昆虫で唯一家畜化された生き物です。ヤママユ蛾科ですのでもともと成虫は羽化してからは食べることをせず繁殖のための1週間程度の命です。

千年以上、家畜化されたことで幼虫では桑の葉につかまる力がなくなりました。よって養蚕農家では広く桑の葉を寝かせて置きます。小学校で死なせてしまったのは桑の葉を立てておいたためのようです野生では生きられない昆虫なのです。

 

蚕は繭を作って羽化してしまうと糸を紡ぐことができないので生きたまま茹(ゆ)でられます。糸を紡ぎ死んだ蛹(さなぎ)は食用か他の動物のえさにします。繁殖のために成虫にしても殆ど飛ぶことも出来ません。人間に命を捧げるために生まれてくるのです。

 

養蚕農家では「お蚕様」「お蚕さん」と呼び大切に育て各地で供養もしています。学校の教育目的は何だったのでしょう。蚕と日本人の関係と性質も教えず、ただ飼うなら命の無駄です。「一寸の虫にも五分の魂」という言葉を日本人は忘れてしまったのでしょうか。日本という島国に生まれたから日本人なのではないのです。日本人を育てないと日本人にはならないのです。日本が心配、DNAだけの日本人ではだめです日本文化が大好きで文化や伝統を守っていこうとする外国人に住んでいただいたほうが良いと思うくらいです。

飛躍しますが皇族も生まれながらにして皇統を継ぐにふさわしい資格をもって生まれてくるのではないことが秋篠宮家をはじめわかってきました。教育が大切です。少しでも日本の神話を知ってもらいたいと思って書く身にとって、日本の祭司の皇大神宮の本家があの状態では心もとない限りです。誰を信じればよいのですか。上皇陛下の教育係はGHQに派遣されたエリザベスヴァイニングです。以降宮内庁の方針も戦前のものと明らかに違います。戦前の日本が間違っていたと言っていたアメリカを見てください間違っていたのは彼らかもしれないし後追いの現代日本も危険です。

 

 

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謹賀新年

2021年01月02日

あけましておめでとうございます。

予想もしなかったことが起きた一年でした。年初めに明るいご挨拶をしたいところですが令和三年も世界的な変化が起こるでしょう。個の人生というものは人類の長い歴史の1ページにも満たぬものですが大きな節目になると思います。「あと9年働かせてください」と今年もお祈りしてきました。

 

元日は氏神様に伺いました。いつもの年は零時前に並んで参拝するのですが今年は1日の午前中に誰もいない我が家だけのお参りでした。神棚は例年通り30日に皇大神宮様、氏神様のお札をお納めし人形(ひとかた)に邪気を移して晦日祓い大祓いをいたしました。

 

厄除大師で方位除けのお札をうけ、聖天山でだるまと破魔矢を買い早々に帰宅しました。例年の三分の一程度の人出で少ないですが露店も少ないながら出ていました。

本年は予想もしない大変化の一年になるでしょう。旧年は不本意な一年でした。企業の理念を果たせず悩んだ一年でした。この変化の大きななかで本来私たちの目指したモノづくりの具現化ができるでしょうか。私どもにとっても勝負の一年になると思います。従業員諸君はどうぞ自らに厳しく実りある一年にして、お客様の付託に応える力を持ってください。善人が必ずしも善行しないことを私は知っています。善行を行う者が善人であって、結果的に悪行となったらそれを行ったものは悪人です。私たちは善人にならなければならないのです。悪人でも生きていければよいという考えは少なくとも私にはありません。

今年は本当に厳しい年になります。それは私たちに必要な試練です。某話題の奥様が「艱難は自らを磨く砥石」と言いましたが「艱難を甘んじて受けよ」ということではありません。「艱難と戯れて乗り越えたときに魂が磨かれる」という意味です。逃げても恐れてもいけません。それは艱難をより強いものにしてしまいます。自分に与えられた艱難は自分のレベルに合わせて与えられているものですから乗り越えられないものはないのです。

 

その先に明るい未来が待っています。この世の中の変化は一年二年で片付くものではないかもしれません。しかしきっと明るい未来のために必要な時期なのだと信じて明るく前向きに参りましょう。このメッセージは私共の従業員に向かってのみではなく拙文に触れていただいた皆様に申し上げます。艱難に戯れて克服し心より笑いあえる日がきっと来ることを信じています。その時にはまた皆様にお目にかかりたいと思っております。それまでお身体にお気を付けください。皆様とご家族のご多幸をお祈り申し上げます。

 

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日清日露大東亜(番外)日露戦争 どう書くか

2020年12月06日

前回 畏れ多くも明治天皇のお気持ちを書かせていただきましたが、明治人最強説を公言している私としても日本の近代史としても日露戦争は壮大なテーマであって素人の私程度の知識で総括できるものではありません。もう一つの側面として日本として勝った最後の戦争です。勝ち方にもいろいろありますが、この勝利がもたらした日本国内の変化及び世界の変化というものはその後の世界の形を変えてしまったといっても過言ではないくらいの歴史的分岐点です。でも学校ではそのことはサラッと数ページ歴史の教科書に書いてあるくらいです。何故ですか?後に起こる大東亜戦争は太平洋戦争と呼ばれています。当時日本人は皆が大東亜戦争を戦ったのですが「その呼び方は使ってはいけません」と言われて「太平洋戦争」になったのです。戦死した日本人と話す機会があったら太平洋戦争なんて言っても伝わりません。戦争が終わって75年経ちました。大東亜戦争を使ってはいけないと現在言っているのは日本人です。何故ですか? 戦争後連合国が「おすわり」と日本人に言いました。言った側も忘れ気がついてみたら今でも日本人は未だ座っていた。何故か立たない否、自分の脚で立つことができなくなっていました。ある意味それが連合国側の目的で、そのために働いた日本人がいた、そして今もいるのです。

アメリカをみてください。彼等の云うところの太平洋戦争時、ルーズベルト政権中に300人のコミンテルン社会主義スパイがいたことが公開された公式文書(ベノナ文書)に記載されています。このスパイ工作が日米開戦の大きな一因でした。75年後の今、米の選挙で変なことが起きています。米の甘い選挙は投票する個人の特定と集計のシステムにスキがあります。共和党と民主党の票を合計すると不自然に多い投票数になってしまう。今の米政権の中にいる反政府勢力も仕事が雑です。今も目に見えぬもう一つの政府が存在し彼らの影響力は世界を動かすのです。

米も日本も性善説が強すぎます。民主主義の危うさ。その民主主義は本当の民意を反映しているのでしょうか。本当は絶対に間違わない人徳による治世が良いのだと思います。そういう意味で明治天皇の御代は日本が最も輝いた(一瞬でしたが)時代だったのかもしれません。

その明治に日本が行った日露戦争は国運を賭けた総力戦。国運を賭けない戦争なんてないと思いますが、スイッチ一つで他国を爆撃する現代の戦争と違って、歩兵が武器を持って前線で殺しあう戦争。そんなものを傍観もしていない後世の我々が軽く書いてはいけないという思いがある一方で、これは主観を交えて書いておきたいとも思います。

なにしろ日本の教育はこの時代について深く触れません。私が書く間違いも興味を持って調べる人が出てくれば無駄ではないと思います。

その後の日本の、アジアの運命を変えた日露戦争をどう書くか。戦争の史実はサラッといきましょう。史実はネットですぐに調べられますから。私は入り口までの案内人として、ここまでどういう流れで戦争に向かったか書いてきましたので、ここからは乃木希典(陸)と東郷平八郎(海)とそれに纏(まつ)わる人々にフォーカスしていきます。特に乃木大将については長くなります。私個人の思い入れが明治天皇-乃木希典-昭和天皇で繋がっていますから。

身内は長い文書に辟易して私のブログを読んでくれないのですが。私の遺書として亡くなってからでも良いから読んでみてください。そして日本のことを大切にしてください。

 

人物にエピソードを加えて書いていきます。迷信に近い話や噂話も書きますので真偽は自分なりに調べてみてください。誤解を受けそうですが兎も角、日露戦争を戦った明治人の正しく殺しあう姿勢は残念ながら大東亜戦争ではだいぶ劣化します。

 

偶然、三島由紀夫没後50年ですが三島先生が自衛隊に求めた「天皇の軍隊」所謂「皇軍」というものは日露戦争で終わっていたのかもしれません。先ほど書いた「武士道に通じる正しく殺し合う」ルールに基づく戦は大東亜戦争に於いて兵を動かす謳い文句として有効に使われましたが言葉を発した当人は腐敗堕落して多くの将兵を見殺しにした結果になってのではないでしょうか。

 

今後、日本人は何処を目指して生きていくのでしょうか?人任せにしてはいけません自分の事として考えましょう。人口減少・格差の拡大・社会インフラの劣化・外国との関わり等問題山積です。特に日本人の人心の劣化が著しいことが原因で社会的経済的に国威が下がっていくでしょう。どのレベルまで下がるか予想できません。或いは亡国にまで至る可能性もゼロとは言えません。下がるところまで下がってから気づくと思います。その頃もう我々は居ませんが、もう一度上昇するためには復古が必要だと気づくでしょう。さてどこを目指すのでしょうか。私のお勧めは明治です。誤解してはいけません。物質的なものを目指すということではありません。人心道徳からやり直すことを目指すなら日本人なら明治です。それだけ祖先には地球上で真剣に生存を賭け戦った時期があったということを知っていただきたいと思います。

 

 

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三島由紀夫没後50年

2020年11月25日

本日は三島由紀夫先生の50回目のご命日です。恥ずかしくも浅学の身ながら近代日本に全く興味なく本件を知らなぬ誰かの目に触れることを祈り、浅い切り口により三島由紀夫(本名:平岡公威)先生について語らせていただきます。この記事が誰かの興味を広げ深めるきっかけになれば幸いです。

自決から40年 今よみがえる三島由紀夫の表紙 「盾の会」の制服の剣は銃刀法により模型で 長さも制限されたものだった。

「かくすれば かくなるものと 知りながら 已むに已まれぬ 大和魂」

「身はたとい 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」

共に吉田松陰先生の句で後者は辞世(世を去る時に読む歌)です。松陰先生がどのようなかたであったかも知らなければ調べてください。幕末に国を憂(うれ)い、自らを犠牲にしても国を守らん。若者を導かんとしたかたです。そういう意味で三島由紀夫先生も同じような思いだったことでしょう。

 

三島先生が亡くなったのは昭和45年11月25日、松陰先生は安政6年11月21日(新暦)に処刑されました。近い日を選んだのでしょうか。二人の共通点は「大和魂」です。50年前の日本は学生運動が最も激しい時代。大正14年(昭和元年)生まれの三島先生は45歳でした。

 

平岡公威少年は良い家柄に生まれ祖母に育てられます。幼少期身体が弱く室内で文学に触れる機会が多かったこともあり学習院在学中の10代半ばではやくも才能を認められ三島由紀夫を名乗るようになります。

三島先生の肉体的に小柄で虚弱であったというコンプレックスは後に出会う美輪明宏氏の回想からもうかがわれ30歳を過ぎボディビルに傾倒し半年で外見上強健な肉体を持つようになりました。作家としては古典を徹底的に学んだ基礎の上に圧倒的な語彙と日本語力を基にノーベル文学賞候補になります。(ノーベル賞は仲人の川端康生が受賞)

 

天才故、一般人には行動の意図が謎とされることが多いです。私が三島先生を初めて意識したのは命日の市谷駐屯地バルコニーでの演説をする姿。テレビで見ましたが意味は分かりませんでした。当時母が神道保守系の宗教団体に入会していた関係で総裁、谷口雅春先生と共通の思想があった三島先生のことは子供ながらに聞かされていました。

 

三島先生は事件の3日前11月22日、谷口先生に面会を求めたのですが当日は谷口先生の誕生日で様々な催しがあり取り次がれず面会が叶いませんでした。「ただ一人、谷口先生だけは自分達の行為の意義を知ってくれると思う」と遺した三島先生。ここでお会いになっていたらと連絡があったことを知らされなかった谷口先生も残念がっておられました。

谷口雅春先生の著「占領憲法下の日本」に三島先生が寄せた序文。「生命体としての日本国家」という言葉に共感されている。

「今に日本はとんでもない時代になるよ。親が子を殺し、子が親を殺し、行きずりの人を刺し殺してみたり、そういう時代になるよ」

美輪明宏氏が三島先生から聞いた言葉です。当時はそんな事件は殆どありませんでしたが本当に三島先生の予言通りの国になってしまいました。皇国日本を大切に考えていた三島先生は日本の将来を憂いていました。学生運動で荒れる大学。憲法上治安維持に自衛隊の出動ができません。機動隊では手に負えなくなってきて、学生や機動隊から死者が出ます。交戦権のない憲法は軍隊を否定しながら自衛隊が存在します。皇国日本のあるべき姿は日本の国体は天皇でありその天皇を守る軍隊が自衛隊でなければならないというものです。

 

市谷駐屯地で総監を人質にとってバルコニーで最後の訴えをします。自衛隊に決起を、憲法改正を求めて。しかし自衛隊員の野次とマスコミのヘリコプターの音で聞こえません。「人の心を動かすには地声で」ということでマイクは使いませんでした。自衛隊員の耳にも心にも先生の言葉は伝わらなかった。どんな気持ちだったでしょう。絶望したでしょう。三島先生は武士の作法に則って総監室で自害します。介錯は25歳の森田必勝ですが森田氏も後を追い。(先生は止めたのですが)介錯は荒地浩靖(旧姓:古賀)氏がつとめます。

  

「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」

昭和45年7月に掲載された「果たし得ていない約束-私の中の二十五年」という記事です。

「生かせてもらえるなら主(あるじ)は誰でもいいや」「アメリカでもChinaでも恩恵を受けられればいいや」いま日本はそんな雰囲気に満たされていませんか。三島由紀夫先生、谷口雅春先生。お二人の共通点は天皇を中心とした国家観です。日本の中心には天皇がなければならないという点で一致しています。そのほかは異なる部分も多いですが私もこの考え方の影響を受けています。日本の皇統が途切れたら、天皇というものが残ってもそれは日本ではないと思っています。

両先生の悲願。自主憲法制定。

50年前の学生運動、私の立ち位置からはあの方向は間違っていたと思いますが、世の中を良くしなければならないという熱意はあったのでしょう。しかし50年後の今、若者にその熱気はありません。「からっぽな、ニュートラルな、中間色で抜け目がない日本」ただ先生。裕福な経済大国ではもうなくなっています。ここから下降線をたどることを日本人は選びました。そして先生方は信じられないかもしれませんが未だ憲法も改正されていません。自衛隊は違憲のまま法解釈で存在する公務員です。天皇を守る軍隊でもなければ、そう考える隊員の割合も非常に少なくなっているのではないでしょうか。

三島先生は、自衛隊の決起を促す目的で「祖国防衛隊」組織しようとしますが、その前段階として「盾の会」を作ります。「盾の会」で幹部を養成し「祖国防衛隊」の指揮を執る。これは自衛隊が直接治安維持出動できない隙を埋める間接侵略に備える民間防衛組織です。

 

先生の情熱は素晴らしいですが、当時の保守系の学生でさえそこまでの組織は作れませんでした。傍から見れば大変失礼ながら(私は決してそう思っていませんが)防衛隊ごっこで終わってしまったのかもしれません。50年後、我々は完全に骨抜きになって裕福な経済大国の地位さえ放棄して安楽を選択してしまいました。

三島先生が命を賭けて訴えたかったのは自衛隊の蜂起と言われていますが私はそうではないと思います。後世の我々に真剣に生きろ(考えろ)というメッセージを残したのだと思います。

 

三島由紀夫先生没後50年。谷口雅春先生没後35年の今、先生たちの想像をはるかに超えて日本は日本であることを捨てようとしています。それでもいいやといふ雰囲気に満ちています。否、そこまで考えていません。先生方に大変申し訳なく思います。私には何ができるのでしょうか。せめてブログなどという誰の目に留まるかわからないものを書いて、一人でも「それじゃいけないかもしれない」という若者に気づいてもらうことくらいでしょうか。憲法を改正し間接侵略への備えと民間防衛が、これからの日本には必要なのです。

 

合掌再拝。

 

 

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我が家のブヒ。くるみちゃんのおやつ。

2020年11月21日

久々にプライベートネタですが、我が家の「ブヒ」フレンチブルドッグの「くるみ」はヨーロピアン系の胴長脚長体形です。フレブルには大きく2系統あってアメリカ系は首・胴体・足が短く愛嬌がある体形。うちの子みたいなのがヨーロッパ系のようです。いずれにしろ人間によって改良された体形で。我が家のかかりつけの獣医さんは診察に行くたびに「人間がこんな体にしたからいろいろな病気になって可哀そう」と言います。動物愛護の観点から「短頭犬を飼ってはいけない」という運動まであるくらいですから犬に血統があるということはそういうことですね。短頭種の問題は呼吸が苦しい。胴が短く内蔵や関節の負担が大きい。特にフレブルはアレルギー性皮膚炎の子が多いです。我が家も定期的に医者通いですが、その度に犬好きの獣医さんのため息を聞いてしまいます。うちは体重を軽く維持して毎日ブラシングを怠らず皮膚をケアしています。

 

そんな彼女の食の楽しみは「チューイングボーン」と「かき氷」毎晩これをあげないと納得してくれません。今日はチューイングボーンについて書きます。我が家では、あるメーカーさんのものを食べさせていますが、初めの頃そのまま開封して食べさせていました。しかし途中で飲み込んでしまいます。ちょっと怖いなと思っていたころ、やはり喉につかえてしまいました。慌てて喉の奥に手を突っ込んでもとどかないので、首の付け根のほうから押しながら同時に指を突っ込んで抜き取りました。塊でのどがふさがるというより長さのあるものが突っかかったようでした。この製品は牛脂を丸めて作っていますが複数枚或いは小さい牛脂を包み込むなどして厚みを出しています。(特に中央)そこでワンコが食べている途中でその部分が抜け、丸呑みして引っかかるようでした。それ以来ボーンを解体して与えるようにしたのですが、①のような状態のものもありました。中身が硬化して変色しています。内側が先に劣化するとも考えにくいので、古い牛脂を内側へ詰めたのか?保存状態が悪いのかと色々考えてしまいましたが購入先を変更しました。

以来、我が家では品質チェックもかねて以下のような方法でボーンを与えています。参考にするときは自己責任でお願いします。

 

②まず袋に水を満たします。お湯でもいいのですが均一に柔らかくならないので水で30分くらい戻します。長すぎると形が崩れまとまりにくくなります。

③むずび目をほどきます。手でほどける場合もありますが添加物?でくっついていることがあるのでラジオペンチを使っています。(けがに気を付けて)

④まっすぐ伸ばします。

⑤形を保ちやすいように複数本 まとめて縛り、その後室内で数日から10日程かけて乾燥します。

⑥我が家の場合中央でカットします。枝切ばさみで危ないので一気にではなく外側から少しずつ切りましょう。

(⑦のカット面①と違いきれいですね。時々少し黄色いのもありますが この部分を飲み込んでしまうので注意です。この部分を取ってしまって小さく切っておやつでも良いですが我が家では、細いほうだけあげでこの部分は持ち手にしています)

⑧我が家では半分にした1本を2日に分けて与えます。与えるといっても面倒ですが怖くて放っておけないので⑨のように手で持って大きな塊にならないようにあげています。

 

いつも妻が与えるのですが、喉につかえたときの苦しそうな姿がトラウマで私がいる時しかボーンを与えません。初めの頃は、お行儀が悪く、とにかく引っ張るので妻は肩を壊し接骨院通いになりました。注意が必要です。食べ物と言えばドッグフードとボーンだけなのですから、人間から見たら少しかわいそうですけれど短頭種は寿命が短いので少しでも幸せに長生きして貰うためにお世話しています。

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日清日露大東亜(5)日露戦争序

2020年09月22日

『よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ』(明治天皇御製 明治37年)

古事記と和歌が理解できないと日本人になれないといわれます。御製とは天皇が詠んだ和歌や詩文のことです。

明治天皇の御製は九万三千首を超えています。

明治政府を簡単に言えば1867年の王政復古によってできた日本の政府ですが「薩長政府」をいわれるように維新を遂げた人たちによる政府です。ここから立憲政治へと変えていきますがそれを進めるのも当然の成り行きから「薩長」中心でした。あまり薩長が目立ちすぎても国民から不満が出るので内閣制導入も気を使ったと思いますが結果的に今でも長州の総理大臣が一番多いのです。

 

日本帝国憲法発布により憲法の条文の下で天皇は陸海軍を統帥する権限を持つことになります。

明治天皇の御心を私ごときが量るのは畏れ多いことですが近代国家になろうとしていた日本の軍隊は皇軍(天皇の軍隊)でした。新政府が初めに行ったのは、天皇を中心とする政権体制を固める事であったのです。

 

天皇の生まれ年を西暦で書くのは憚れますが分かりやすいので敢えて記すと1852年11月3日。11月3日が明治節を経て「文化の日」と呼ばれるのは明治天皇が和歌を始め文化に造詣が深かったことによります

1868年(明治元年)は御年16歳です。

1881年 ハワイカラカウア王訪問時 陛下は29歳。日本国も未熟でした。

1894年 日清戦争42歳。

1904年 日露戦争52歳。列強には遥か及びませんがようやく先進国家に近づいた時期でした。

 

ハワイの占領を傍観するしかなかったこと。欧米列強が亜細亜で我が物顔のふるまいを見せていたこと。これらを明治天皇はどんなお気持ちでみて居られたのかと思います。

そこで冒頭の有名な御製です。日露戦争開戦が決定した直後に詠まれたという説がありますが正確には わかっていません。ただし、明治天皇記にかかれた御前会議前後の天皇のご様子から決定後に詠まれたものと私は思います。意味は「四海(日本の周り近隣諸国)は皆同胞だと思うのに何故ゆえ波風が騒ぎ立つのであろうか」ということです。30余年後、昭和天皇が大東亜戦争開戦の御前会議でこの歌を2度引用されます。同じお気持ちだったということだと理解します。

日露戦争を語る前に明治天皇の開戦の詔勅(開戦に当たってのお気持ちを表した文)を現代語訳版で記します。偽らざる天皇のお気持ちが書いてあると思います。開戦の詔勅、終戦の詔勅をよく読むことが日本人としてその戦争を理解することにつながるのです。疑う人もいるかもしれませんが私は真の御心だと信じます。明治天皇や昭和天皇を好戦的な人物とみるような考えを私は強く否定します。世界一平和を愛する天皇でさえ止められないうねりが、この世の中には起こるということです。

 

-----日露戦争開戦の詔勅現代語訳-----国立公文書館 アジア歴史資料センター 引用)

「天の助けによって先祖代々皇位を継承してきた家系に属する大日本国の皇帝は、忠実にして勇敢な汝ら国民に以下のことを知らせる。

 朕はこの文書で、ロシアに対する戦争を行うことを布告する。朕の陸軍と海軍は、ぜひとも全力をつくしてロシアと戦ってほしい。また朕のすべての部下らは、それぞれの職務や権限に応じて国家の目的が達成されるように努力してほしい。国際的な条約や規範の範囲で、あらゆる手段をつくして誤ちのないように心がけよ。

朕の考えは、文明を平和的なやりかたで発展させ、諸外国との友好関係を促進することによって、アジアの安定を永遠に維持し、また、各国の権利や利益を損なわないようにしながら、末永く日本帝国の将来の安全が保障されるような状況を確立することにある。これは朕が他国と交渉する際に最も重視していることがらで、常にこうした考えに違反しないよう心がけてきた。朕の部下らも、こうした朕の意思に従ってさまざまな事柄を処理してきたので、外国との関係は年がたつにつれてますます厚い親交を結ぶに至っている。今、不幸なことにロシアと戦う事になったが、これは決して朕の意志ではない。

 日本帝国が韓国の保全を重視してきたのは、昨日今日の話ではない。我が国と韓国は何世代にもわたって関わりをもっていたというだけでなく、韓国の存亡は日本帝国の安全保障に直接関係するからでもある。ところが、ロシアは、清国と締結した条約や諸外国に対して何度も行ってきた宣言に反して、今だに満州を占拠しており、満州におけるロシアの権力を着実に強化し、最終的にはこの土地を領有しようとしている。

 仮に満州がロシア領になってしまえば、我が国が韓国の保全を支援したとしても意味がなくなるばかりか、東アジアにおける平和はそもそも期待できなくなってしまう。従って、朕はこうした事態に際して、何とか妥協しながら時勢のなりゆきを解決し、平和を末永く維持したいとの決意から、部下をおくってロシアと協議させ、半年の間くりかえし交渉を重ねてきた。ところが、ロシアの交渉の態度には譲り合いの精神はまったくなかった。

 ただいたずらに時間を空費して問題の解決を先延ばしにし、表で平和を唱えながら、陰では陸海の軍備を増強して、我が国を屈服させようとした。そもそもロシアには、始めから平和を愛する誠意が少しもみられない。ロシアはこの時点になっても日本帝国の提案に応じず、韓国の安全は今まさに危険にさらされ、日本帝国の国益は脅かされようとしている。

 事態は、既にここまで悪化しているのである。日本帝国は平和的な交渉によって将来の安全保障を得ようしたが、今となっては軍事によってこれを確保するしかない。朕は、汝ら国民が忠実にして勇敢であることを頼みとして、速やかに永久的な平和を回復し、日本帝国の栄光を確たるものとすることを期待する。」
≪御名御璽≫

 

御名御璽とは天皇のお名前のと押印のある正式な文書であることです。

皆さんは100年以上前の日露戦争開戦の詔勅を読んでどう感じましたか。日本を取り巻く環境が今も当時もそれほど変わっていないと思いませんでしたか。今世界は帝国主義の時代ではありません。しかし戦争も侵略もなくなっていません。(表立ってドンパチやらないだけです)日本は日米同盟がありアメリカに守ってもらうことになっていますが、日本のためにアメリカの若者の血が流れることをその家族が許すでしょうか。大国の思惑で小国が翻弄されるということは今も昔も変わっていません。

戦うくらいなら占領されることを選ぶという人もいます。そういう人だけが占領されてくれれば良いのですがそうもいきません。温故知新、歴史を知って未来に備えましょう。私たちの日本国と子孫のために。

 

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藤井一中尉のご縁で

2020年09月13日

藤井一中尉に ご縁をいただきお笑いコンビ、アップダウンの竹森巧さんと知り合うことができました。知り合って日も浅く、お会いしたことも数度しかありません。相方の阿部さんともお会いしたことはないのですが竹森さんの表現者としての才能はお笑いの部分だけでなくシンガーソングライターとしてもなかなかのものです。

 

そんなお二人が共鳴して伝えていかなければならないと思ったのが陸軍の特攻機地であった知覧から昭和廿年五月二十八日に出撃された藤井一中尉と小川晃少尉のこと。二人芝居音楽劇『桜の下で君と』という作品です。劇はフィクションですから関根一郎中尉と久保玄七少年飛行兵になっています。

 コロナ禍で講演活動ができずYoutubeで無料配信(9月22日までですが)されています。

https://www.updown-sakura.com/

私に発信力がないため拡散できず申し訳ないですが皆さんに一度見ていただきたい作品です。(無料配信ずっとやったらいかがですか?費用はクラウドファンディングで)

 

発信力と行動力もちろん才能も、すごく羨ましいです。たくさんの人にいろいろなことを知ってもらいたいと思っても、知っていただければきっと意義のある情報なのにということも一般人ではなかなか伝えることはできません。お二人の活動を通じて、このお話が世に広まることを望みます。どうか今後もいろいろなテーマがあると思いますが『桜の木の下で君と』が演じ続けられますように。

 

私の意見も一つ述べさせていただきます。

大東亜戦争にまつわる記録や伝聞が多くの映画やドラマ、教育者や語り部によって現代を生きる多くの戦争を知らない世代に伝えられています。しかしその多くは2度と日本が戦争を起こしてはならないという方向に偏るあまり、当時の為政者であった軍の上層部をはじめ政治家や天皇の責任と、それに乗せられて被害を受けた一般人や赤紙で募られた軍人軍属のような対立の構図になっていないでしょうか。皆さんの心の中に無意識のうちに植え付けられていないでしょうか。

 

私は公教育を受けて社会に出、二十代後半に韓国に10回ほど仕事で行く機会があったのですが、韓国人と普通の会話をするときでも何か壁を感じたし何となく罪悪感のようなものが自分の中にあることに気づきました。私だけかもしれませんが、これが戦後教育の負の成果だと思います。

 

回りくどくなってしまいましたが、日清日露大東亜の記事が完成したら理解していただける人が増えるかもしれません。大東亜戦争だけを戦後教育史観でみれば無謀な戦争に突っ走った日本が亜細亜にも自国民にも取り返しのつかない迷惑をかけたということになるでしょう。しかし我々はそろそろその史観から卒業したらどうでしょう。

 

ものの見方には一方から見たのでは真実は見えてきません。戦中に生きた人は、起きていた事実は見たのでしょう。焼夷弾が降る中防空壕に逃げた話は私の母さえします。ただそういう人が真実を理解しているとは言えないのです。戦後、教科書を黒く塗った世代(一般の人)はむしろ戦争の真実を知らない人が多いのです。今我々は当時を生きた人より真実に近い情報を得ることが出来る立場にいます。それを皆が知るべき時期が来ています。

 

劇中にも出てきましたが、多くの人の死を無駄にしないことが現代を生きる我々の使命です。無駄にしないとは単純な反戦に走ることではありません。『後の日本をたのんだぞ』託されたのは誰ですか、私たちには責任があります。無抵抗に蹂躙されろと言われたのではありません。日本の国体を護ってくれと言われたのです。

 

 

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日清日露大東亜(番外太平洋)ハワイ申し訳ない。

2020年08月29日

アヘン戦争(1840年)アロー戦争(1856年)日清戦争(1894年)と清が戦っていた頃 太平洋で起こっていた事。

 

ハワイやグアムは何故アメリカなのでしょうか。アングロサクソンの強欲には重ね重ね恐れ入ります。ハワイにカメハメハ大王がいらっしゃったことを知らない人はいないと思いますが、大王はアメリカ人じゃありません。周辺の諸島を統一して1810年にハワイ王国を建国した元ハワイ島の酋長です。1800年代初めハワイにはキリスト教布教と捕鯨目的で列強が出入りするようになります。

白人はハワイの内政に干渉し選挙権を得て1850年頃には土地の私有化が合法になり全土の75%が白人の土地になりました。たった12年の間に。(いま日本も危ないですが)ようやくハワイの王がこの問題に気付いたのですが時遅し。1881年当時のカラカウア王は通訳一人だけを伴い人目を盗んで事前連絡なく明治天皇に拝謁します。目的は同じ亜細亜人として一致して欧米列強に対峙しようという提案をするためです。

 

当時日本はアジアで唯一列強に対抗できる準備をしていた国。切実な王は姪であり皇位の資格があるカイウラニ王女を皇族に嫁がせてでも。と願い出ます。

日本の返事は、明治維新から15年そこそこの日本には列強を敵にハワイを助ける力はないというつれないものでした。ここでも、自らを頼ってきた亜細亜人に無力だった若き明治天皇の御心が偲ばれます。

 

「さようならうるわしき日本」と日記に残して王は帰国。1887年、白人がカラカウア王宮を占拠してクーデターを起こし王は権力を失います。3割の白人のみに選挙権が与えられたハワイ。アメリカに送られた王は日本訪問から10年後に亡くなります。

 

1891年8代目リリウオカラニリ女王(涙ものの歌詞アロハオエを作られたかた)が即位しますが彼女がハワイ最後の王となります。(歌詞を読んでみてください)

 

亜細亜人と白人との摩擦によりアメリカは戦艦ボストンを派遣しホノルルは占領されました。この横暴を聞いた日本はハワイの日系人保護のため浪速、金剛の2隻の巡洋艦を真珠湾に送りボストンを挟むように投錨し抗議の意を示しました。

力をつけた軍事力でしたが遅かったのです。1994年アメリカの後ろ盾で臨時政府が独立を宣言しハワイ王国は84年の歴史を閉じます。

 

1年後、浪速は再びホノルルに寄港。新政府は浪速に

1周年の祝砲を撃つことを要請しますが東郷平八郎艦長は「その理由を認めず」として断りました。

明治の軍人として最低限の矜持を示したのです。

もちろん人それぞれ自由ですが私は米領ハワイやグアムで無邪気にはしゃぐ気にはなりません。列強に翻弄された亜細亜を想うとき、異民族の前に滅んだ国家を想うとき取り返しのつかない悲しい気持ちになります。

 

日本はまだ滅んでいませんが内部から分断しています。日本の保守の政治家からも女系天皇容認の発言が出て参ります。日本の皇統断絶(女系天皇が誕生)の時、皇室も日本人も日本列島も残るかもしれませんが、それはすでに日本ではありません。日本国は、大和の国は滅亡したのです。

 

観光で踊られるフラダンスの映像を見るとき国を失って形だけが残る虚しさ感じる人は少ないでしょう。しかし私は感じてしまうのです。おそらく私が生きているうちは大丈夫だと信じますが、そんな日本は見たくないのです。残った人たちは日本人の矜持を取り戻してほしいです。竹槍で最後の一人になっても抵抗するなんてナンセンスではありますが、気持ちだけでも持っていただきたいと思います。自分の家族、親族、地域社会を守ることが国家を護ということとつながるのです。

 

日本の皇統は神から続いています。神話を知らずして日本人を騙るなかれ。神話を忘れてはいけません。

 

 

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日清日露大東亜(4)三国干渉 臥薪嘗胆

2020年08月29日

一万人を超える死者を出し日清戦争に勝利した日本。相手にも犠牲があることを忘れてはなりませんが帝国主義のこの時代、戦勝国は敗戦国に対して賠償と戦果に見合う要求ができたのです。

日清戦争の講和会議は山口県下関市(安倍総理の選挙区ですね)の料亭で行われます。この会議で結ばれた馬関(下関の旧称)条約が現代でいう「下関条約」です。全権、伊藤博文(総理)陸奥宗光(外相)清側は李鴻章(総督)李警報(大臣)との間で結ばれました。

骨子は主に以下の4点でした。

・朝鮮の独立を認める事

・遼東半島と台湾及び澎湖諸島の割譲

・賠償金2億テールの支払い

・日新通商航海条約の締結に伴う租界地での治外法権の承認

 

亜細亜の大国清が破れたことで清を見る世界の目が変わっていきます。列強が清への干渉を更に強くしていきます。特にロシアは日本の進出を好ましく思いません。下関条約が結ばれてすぐ(6日後)ドイツやフランスと共に日本にロシアにとっての要衝でもある遼東半島を返還するように迫ります。戦争も理不尽ですが当時は帝国主義時代力のあるものが弱いものをねじ伏せる時代だったのです。新興国の日本はこれらの大国に抵抗する力がまだなかったため理不尽な要求を跳ね返すことができませんでした。遼東半島は清に返還され後にロシアが租借することになり他の列強も弱体化した清国内に次々に租借地を拡大していきます。大国に翻弄される清。アングロサクソンの露骨さには恐れ入ります。

 

日本は第一義の目的である朝鮮半島の独立は果たしました。(勝手にやったことではあるが一万人の犠牲をだして独立させる必要があったのか少なくとも当時の人はそう信じたのでしょう)

 

この列強の状況を飲まざるを得なかったのが三国干渉と呼ばれる歴史的屈辱ですが、御前会議での明治天皇のお気持ちはどういうものだったのでしょうか。力のあるものに屈する時代が令和の時代にも繰り替えされようとしていると感じるのは私だけでしょうか。これを機に日本国民の中には怒りと同時に「臥薪嘗胆」が合言葉になります。苦境に耐え忍び力を蓄えるということです。「今に見ておれ」という気持ちが国民全体にいきわたり、政府は更なる軍備増強を進めます。

ちなみに下関条約で台湾は文字通り日本の植民地になります。朝鮮は併合ですので植民地とは少し違います。日本は台湾ではじめは軍政を敷き抵抗を鎮圧し、その後民政に切り替えます。列強の植民地「支配」とは違う統治をしていきます。民政局長 後藤新平のことは自分で調べてください。嘉南大圳の八田 與一もお忘れなく。

 

一万人の犠牲を出して朝鮮を独立させた日本でしたが彼らには「事大主義」という考え方があり、それが陸続きの大国間で生きていく術だったのかもしれませんが常に強いものに迎合するのです。三国干渉に屈した日本を見て朝鮮王朝はロシアと近づきます。王朝は親ロシア、親日派は排除されるようになります。さあ、日本はまた勝手に朝鮮をめぐって日露戦争への道を歩んでしまうのでした。

 

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