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今年も会えた桜花

通勤途中の伊弉諾(いざなぎ)神社の桜も満開になりました。
『敷島の大和心を人問はば、朝日に匂ふ山桜花』
国学者 本居宣長の有名な歌です。(敷島=日本)

宣長のこの歌はいろいろな解釈がされていますが、私の持論では

「日本人の心というものを説明するならば、古(いにしえ)から培われた気質として内面に柔らかく雅び且つ剛健さを秘めており、一旦緩急あれば一気に放出できる」

としたいと思います。それは「匂ふ」は嗅覚だけではない広い意味を持っていること「山桜花」は宣長が愛でていた花であること。国学者として古事記などの古典を研究する中でなぜ桜を愛していたかというところに、私も思うところである桜の奥ゆかしさや儚さの奥にある芯の力強さに日本人の心が重なると感じていたのではないかと思うのです。

桜同様、この歌も近代で翻弄されました。

大東亜戦争末期の国定教科書に載って大和魂を解説する教育に使われました。これは本来の歌の意味よりも、こちらも誤った武士道とあわせて軍事教育に利用されたたというこという言い方が正しいでしょう。

私は、この季節から8月の敗戦の日まで大東亜戦争を思うことが多くなります。おじいちゃん、おばあちゃんっ子の最たる者であった私にとって、祖父母の青春と重なる時代をどうしても思わずにはいられないのです。

そこから始まって、当時の人たちの心も自分に重ねずにいられなくなるのです。

というわけでこれから、夏にかけてはそんなテーマが増えていきますがこれからの若い人に知っていただかなければならない事実、あるいは検証してほしい事柄など書いていきますので、お付き合いください。

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