国家神道が廃れるとき日本人が廃れる

7月になりました。今月も三社に詣でて参りましたが神事では6月と12月は大祓式の月です。それぞれ月の最終日は「夏越の大祓」「年越の大祓」とよばれて大祓詞(おおはらえのことば)という祝詞(のりと)を宣読して穢(けが)れを祓い清め次の半年の新たな区切りをつける日です。6月30日に神社に詣で「茅の輪くぐり」をした人もいるでしょう。私の地元熊谷の高城神社の御祭神は高御産巣日神(たかみむずびのかみ)です。覚えていますか造化三神。「天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原(たかあまはら)に成りませる神の名」と古事記の書き出しにある神の一柱です。この高城神社では6月30日に茅の輪をくぐる神事を「胎内くぐり」と呼びます。子供の頃は何も考えずにお祭りに行ったものです。「胎内くぐり」の言葉通り母親の体内から生まれた時の純粋で穢れのない状態に戻るという意味の行事です。大祓いには人形(ひとかた)を自分の身体になでつけて息を吹きかけ神社でお祓いしてもらう行事もあります。我が家も穢れを払う意味でやっています。

皇室は神道の大本。天皇は祭司のトップです。それが日本の国体です。西暦2022年は日本では皇紀2682年。第126代の徳人(はるひと)天皇を戴き男系男子の皇統を守りながら存続する日本人の心がこれだけ神道や神事から離れてしまったのはなぜか。もう一度考えてほしいと神社をめぐりながら思います。(神道の読み方は(しんとう)ですよ。念のため)

荒廃した神社をみると哀しくなります。日本人の営みがあった場所には必ず神社があります。今でも台湾や南方の島々など且つて日本が統治した地で現地の人によって神社が守られていますが肝心の日本人の心がこんなにも神から離れてしまったことは日本人が日本人であることを忘れようとしているように思われてなりません。そのように第三者によって導かれていることに気が付いて改まる日が来ることを祈っています。

日清日露大東亜についての記事の間隔があいてしまっています。私自身余裕を失っていました。私も神からちょっと心が離れていたのかもしれません。7月を迎え改めて自分の運命から逃げずに向き合おうと思っています。

現在、ロシアが本性を露(あら)わにして独立国に侵攻しています。大東亜戦争以前の日本はまさに、この状態を恐れていたのです。この状況を改善するために日清日露を戦いました。そのカギは朝鮮半島。この二つの戦争は日本の国益上、朝鮮という緩衝地帯を守るために戦いました。

日露戦争では後の大東亜戦の日米の差以上に戦力差があったのです。秦の始皇帝の時代は別として近代戦争で有色人種が白人に勝利することは考えられない時代でした。「戦わずにして勝つ」孫子の兵法にもありますがこれが最も有効で、今後も変わらぬ真理です。核を含む圧倒的な戦力差を以て相手を屈服させるのも良し、経済上の立場を利用して勝つも良し。相手の戦意を削げば勝ちです。平時から戦えないよう洗脳してしまえば常勝です。

ウクライナはファイティングポーズをとりました。ロシアの誤算です。圧倒的な戦力差を見せ屈服させようと思っていたのです。80年前と同じ危機が日本にもあります。対象国がより多い日本のほうがリアルな危機です。日露戦争では日本はファイティングポーズをとりました。今の日本はどうでしょう。自分たちが先ず戦わなければ他国は助けてはくれません。その事実を我々は知ったはずです。

そう、日露戦争でした。戦況は後述しますが敗戦した大東亜でも神州日本の不滅を信じていた人が多かったですが日清日露まではそういう新しい神話が多かったのです。その中で私が好きな話をいくつか記しますので自分でも調べてみてください。圧倒的な戦力差を覆して勝利した理由に人間の力以上の何かが働いたのではないかと考える人も多かったことでしょう。

【ロシア軍が見たありえない日本兵の話】
ご存じ203高地の戦い。日清戦争で得た権益を日本から奪ったロシアは旅順に隣接する標高203メートルの台地を要塞化しました。海に面し高台にある要塞を落とすのはどう考えたって難しいのです。相手陣地に攻め込むのはただでさえ難しい上に固めた守りと戦力と地形が日本にとっては大変不利な状況です。ただしここを落とさないことには勝利はない。さて、結果は。

捕虜になったロシア兵士から「赤い軍服を着た兵士には銃の弾が当たらない」「白い軍服の兵士は銃で撃っても倒れない」等の証言が複数あったといわれています。当時、赤や白の軍服は日本軍にはあません。

日清日露の戦争では日本国内の神社で神が戦場に赴いたといううわさ話がよく聞かれます。出雲大社では境内の白鳩が開戦後にいなくなり戦争が終わると戻ってきたそうです。各地でも狸(たぬき)が人間に化け参戦した話が残っています。有名な軍隊狸は愛媛大気味神社の喜左衛門狸で(喜)という文字がある赤い軍服を着て戦い「この兵士を撃つと目がくらむ」とクロバキトン司令官の手記に書いてある。とか。

茨城では出征する兵士が乗った汽車が鹿島神宮(全国にある鹿島神社の総本社)の近くで一時停車してから走り出したことがあったとか。鹿島神宮の御祭神は建御雷之男神(たてみかずちおのかみ)。国譲りの神話で大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)の御子神である建御名方神(たけみなかたのかみ)を出雲から諏訪湖まで飛ばして封じ込め大国主大神に天上神に国を譲ることを決意させた神です。鹿島神宮は昔から武士や軍人が武運長久を祈願する神社です。

この一時停車の時、建御雷之男神から何らかの力を与えられたのしょう。日本人の中に神と共に戦う(神任せではない)。目に見えない力を得て戦うという気持ちがあったのは確かです。唯物論が跋扈する現代。目に見えるものだけが真実であると考えるのは私には違和感があります。目に見えないことなかにこそある眞實に気づくべきです。

そんなこともあって結果的に日本軍は旅順を落とします。この要塞を占領したことで後のバルチック艦隊も撃破することに繋がりました。
この世界の有色人種を勇気づけた勝利は日本にとっては20億の戦費と20万人の犠牲を出して得た、かけがえのない勝利です。当時の日本の国家予算は7億円、重税や生活の切り詰めによって日本人全員が協力しました。

戦死8万4千人、戦傷14万3千人、旅順戦の第三軍司令官、乃木 希典(学習院第10代院長で昭和天皇の教育係)は戦死した二人の実子に良く死んでくれたと言い。妻、静子は神社での百度参りで子の命も自分の命とも引き換えに勝たせてくれと祈りその通りになります。ただしこの日露戦争の勝利が後に日本を縛ることにもつながります。

宗教の自由を大切にする欧米先進国は日本の宗教に対しては自由は認めませんでした。今も。そして彼らの思惑通り日本人は自分たちの基盤であった神道から心が離れ。なぜそうなったかを考えもせず皇統にさへ意見します。
日本人の敵の日本人を作り日本人の人心を分断させることに成功した彼らが日本の科学や経済をもコントロールしていることに気づき国益を守る行動を起こさないと日本人(意味深ですが日本は残ります)は滅びます。狸の世界もラスカルのイメージで侵入したアライグマに追われ狸は生息域を減らしています。今度は日本人が狸を助けてあげないといけませんね。イメージは他人(外部)から植え付けられる。学びましょう。

最近、神道を貶める報道があります。そういうものがあったときその背景を疑いましょう。
神道は日本人の生活や思想の基盤であって飾りにしてはいけないものです。

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