安倍総理辞任に想う

昨日、安倍晋三総理が辞任の意を表明されました。いくつかの点で大変ショックでした。第一に潰瘍性大腸炎という難病を持ちながら総理大臣という要職を続けられたという点。第2次安倍政権発足直後、2つの難病を持つことになった私。難病の定義は「原因不明」「完治療法がない」「進行性である」こと、社会的な死をイメージしてしまう病気を持ちながら総理大臣の職務にあたる姿に励まされてきました。総理と私の立場では相当の乖離がありますが私の一つの希望であったことは確かです。その総理が任期を残して病を理由に自らの判断でお辞めになる。命に係わる難病2個持ちの私が医師に「あと10年は働かせてください」とお願いし、同様に毎日神仏に祈っても避けられない宿命の訪れを感じないわけにはいきませんでした。自由民主党の後任はいずれ決まるのでしょうが、私の後任はどうなるのでしょう。考えてしまいます。

次に自民党の総理候補についてです。明治維新の影響で明治政府の初代伊藤博文から7代目まで(同じく伊藤博文)の総理は旧長州藩、旧薩摩藩が交互に勤めたのは周知のとおりです。また、最近安倍総理が更新した総理の在任期間の上位4人はすべて旧長州藩(山口県)出身者です。当然、総理大臣在任期間の県別合計では圧倒的に山口県、2位の群馬県から6位の広島までの在任期間をすべて足してようやく山口一県に並ぶ程度です。(令和2年8月)

維新が何故起きたのかは別記事に書きましたが、「日本を取り戻す」と宣言して発足した安倍政権は日本をどの程度取り戻したでしょうか、もともと安倍総理は裏方が向いていらしたのかもしれません。私には朋友の故中川昭一先生との約束を一生懸命自分なりに果たそうとされていたように見えました。「日本をたのんだぞ」の声に応えようと頑張りましたね。安倍総理は元々穏健派です。マスコミや世間がタカ派(右派)、中には極右などと言っていますがとんでもありません、逆に小泉路線を引きずった解放協調政策でした。靖国参拝も1回、拉致問題も北方領土問題も尽力に見合う成果は上がりませんでした。(効果はあったはず)

これら施策の実行には、もの言う政治家、中川昭一のような人物が必要なのです。安倍晋三総理は性格が優しすぎます。やさしさと弱さの境界は曖昧です。中川昭一先生を失ったことは大きいしいしもう戻ってきません。今後の日本の国益に適う先生のような物言えるリーダーが生まれることを祈ります。

明治維新は「幕府にはもう国を一つにまとめる力がない。国を強くするには一つにまとめるのだ。」という運動でした。結果、薩長をリーダーとして一つに纏まる国家づくりに一旦は成功しました。しかし日清日露大東亜を経て解体されました。日本は精神が分断されて人心を纏めることができなくなりました。外国勢力とそれに乗った敗戦利得者が作った分断社会。明治維新の志士、薩長の為政者が目指した日本では既になくなったのです。山口県出身の吉田松陰先生の志を継ぐ安倍晋三総理さえそうでしたので今後の日本の政治に期待できないのは私だけではないでしょう。私の子供、未来を担う青年に私たちは何を渡せるのか、生き残るためなら強いものに跪くような国にはなってほしくありません私たち大人が、そんな未来に道を開いてしまってはいけないのです。

正しいことを正しい。誤ったことを違うと言えない社会が健全であるはずがありません。日本人はたとえ事実は違っていても謝り続けろなどという理不尽な事にこれ以上、子孫を巻き込んではいけない。ましてや歴史や価値観、文化の違う国の支配を受けるような状況は避けなければなりません。次世代のリーダーには先人の目指した正しい理念に基づく正しい施策を実行できる人物を望みます。

最後に安倍総理 今後の政治活動にも期待しています。お身体をいたわりながら少しでも長く国家国民のためにご尽力頂きますようお願い申し上げます。ありがとうございました。

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