希望は生きる力の源泉

令和の御代を迎えて元号の話題もマスコミ等でよく取り上げられました。元号は西暦の645年、大化の改新という政治改革の際、唐が使っていたものを真似て使い始め701年の大宝以降は制度として使うことになりました。平成まで247の元号があるのに対し、今上陛下が126代天皇です。御代替りで元号が変わるというのは明治になってからのことで、それまでは天皇の御在位中に年号を政治的に変えていたということです。主に天災や凶作その逆の吉事があったとき等で改元されてきたのです。ちなみに247ある元号で期間の最長は『昭和』です。また、使われた漢字は平成までが72、令和の令が初登場で73文字となりました。今回私がこの元号のことについて書いたのは5月1日に行われた「即位後朝見の儀」において、天皇陛下即位の御言葉の後、安倍晋三首相が「国民代表の辞」を次のように述べました。「令和の御代の平安と皇室の弥栄をお祈り申し上げます」

「即位後朝見の儀」という天皇の一番初めの御公務での日本の行政のトップの辞としては、至極真っ当な言葉ではありましたが、皇祖皇宗歴代の天皇がもっともお望みなのは、ご皇室の弥栄より大御宝の安寧なのです。それは上皇の「退位礼正殿の儀」でお述べになられた『明日から始まる新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを、皇后と共に心から願い、ここにわが国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。』ということにも顕れているし、何より悠久の歴史の中で天照大神の神勅のとおり国民を大御宝(おおみたから)と呼んで慈しみ、その安寧を私心なく祈り続けてこられた天皇という存在と、そのお心を大御心(おおみこころ)と呼んでお慕い申し上げてきた国民との関係が2千年以上続いている。(少なくとも千五百年以上)という事実からわかるのです。

また前置きが長くなってしまいました。改元が過去において吉凶の節目に行われてきたことの意味。それは希望を持つことの大切さを大昔から日本人が知っていたからだと思います。『希望は生きる力の源泉』なのです。
今、病気で苦しんでいても今が経済的に苦しくても、そこに将来の『希望』があれば何とか生きようとする力が出てくるものです。ましてや何処にも不具合がない人の『希望』は夢を実現する力となります。

私がとても悲しいのは日本は若年層の自殺率が大変高いのです。自殺の原因は間違いなく『希望』より『絶望』が勝ってしまったからです。暗いところで希望を見つけることができなかったからです。
他国から観れば、まして自由が制限されているような国から日本を見ればなぜこのようなことになるのかが理解できません。このような現実を天皇陛下、上皇陛下が心を痛められていないはずはありません。

為政者の皆さん。また世の中に与える影響力が大きい医師や教育関係の皆さんにこの文章が届くかわかりませんが、お父さん、お母さん、会社の先輩や上司の皆さんでもよいです。若者に希望を持つことの意味さを語ってください。夢とは違います。『希望』です。希望は小さくても明るければよいのです。真っ暗な心には1本の蝋燭でも充分。令和は、若者の自殺が減って、誰もが明るく前向きに希望が持てる時代になるよう私は祈ります。

繰り返しますが、希望は小さくて良い。目立たない時計の中の1個の歯車でも希望が持てるような心に育ててあげる義務が大人にはあるのです。しかし残念なことに、肝心な大人の世代にそのことがわからない人が多いのです。

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