敗戦記念日 追悼(3) 動物

日本人にとっても辛かった大東亜戦争。人間以上に大変だったのは動物かもしれません。靖国神社には遊就館の近くに戦歿馬慰霊像・鳩魂塔・軍権慰霊像が奉られています。大東亜戦争でも日本軍の輸送手段の中心だった馬。藤原氏のこの本によると、戦地に送られた馬の数、南方で約40万頭、総数は推測で100万頭近くいたのではないかという。国内の馬を根こそぎ供出させたということになる数です。戦後帰国できた馬は1頭もいないということです。人間の扱いですらあの状態ですから。
やせ衰えた馬は1枚2枚と数えるなどという話も悲しくなります。真偽はわかりませんが偶然戦地で元飼い主と会ってしまい。なかなか離れようとしなかったという話も聞いたことがあります。

軍用犬はWiki元ですがChina事変以降、関東軍も軍犬育成所を満州国領内に設立して最盛期には3500頭以上の軍用犬を飼育、海軍でも警備犬として軍用犬の導入を開始したそうです。犬種はジャーマンシェパード。こちらも戦後、帰国はしていません。鳩は主に、通信連絡用として活躍したそうです。昭和から平成にかけて次々に像を建てたのですが碑だけでも靖国神社でお奉りされているということは、それを悼む人が当時は大勢いたのでしょう。

一方で私が、どうしても日本人に問いたいことがあります。全国的にあったのか一部地域なのか定かではありませんが、特に大東亜戦争後半、犬猫の献納運動というものがあり、「毛皮にして厳寒地の兵に送る」とか「野良犬になって狂犬病がはやるのを防ぐ」などといって、飼い猫、飼い犬の有無を調査し、強制的に供出させ、連れてきたその場で撲殺や薬殺をしたという事実です。一部は毛皮や食肉にされたようですが、そもそも厳寒のアッツ島だって既に制海権が無くて物が届けられなかったのですから、単にペットを惨殺して廃棄物にしたに過ぎません。この話をネットで検索してみてください。せめて自分が帰ってから殺してくださいと言ったのに、背を向けたとたんに自分の猫の最後の声を聞いたなんて生々しい体験談が出てきます。トラウマになること確実です。日本人が野蛮なのか戦争が狂気を生むのかわかりませんが、現代でもペットが並べて売られているのを見ると、売れ残ったら同じようなことしているのでは?と思ってしまいます。せめて現代では日本人によって怖い思いをする動物がいなくなりますように。

予断ですが、私の亡くなった祖父は満州に出征していました。祖父の思い出話を何十回と聞かされましたが、殆どが楽しい思い出話ばかりでした。China人が差し入れしてきたり、お金で豚肉や鳥肉を買って一緒に食べた等々、学校で聞く話とまるで違います。出征先によってかなり差があったのでしょう。但し、戦争体験の書物や祖父の体験で共通しているのは軍隊内の上官や年長者によるイジメや理不尽な暴力が酷かったということ。北沢文武氏著「児玉飛行場哀史」でも嫌な話が書いてあります。この辺が今でも学校や職場でイジメやパワハラ問題が解決できない日本人独特の悪い点かもしれません。人間にも優しい日本になりますように。

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