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日本神話 一旦整理

日本神話 一旦整理します。

日本の国柄の理念を記したのが「古事記」です。このブログの易しい古事記解説の一番初めの記事から読んでいただかないといけませんが単に歴史を記録したものではありません。
「記紀」と言われている「古事記」と「日本書紀」が何故同じ時代に2つ必要だったのでしょうか。これも以前書きましたが。共に天武天皇が西暦の680年ごろ同時期に編纂を命じたのです。記紀を別々の編者に命じ意味について今一度確認します。初回記事のほうが詳しいのでそちらもご覧ください。 

『古事記』は稗田阿礼(ひえたのあれ)の口伝を太安万侶が[日本型紀伝体]で筆記したものです。音で残したもので誰も読めなかったものを江戸時代に「本居宣長先生」が当て字をし直して文書として残っています。本居宣長先生の翻訳(文字を当てた)の正しさは「宣長にまねぶ」(志を貫徹する生き方)を読んでいただければわかると思います。ですから今多くの古事記の解釈がある中で『言葉を文字で残した』ということを考えなければなりません。しかも近代になってからです。大和言葉も恐らく神代の言葉を現代人が聞き取ることはできないでしょう。ましてその意味を知るには音の持つ意味を知る「言霊学」というものが重要ですが、その重要性に気づいている人は少なくて多くの人は文字(漢字)の意味を辿ろうとします。

意味がないとは言いませんが「音」が重要なのであって漢字はあてたものだとすると本当の神話の意味を理解するには個の文字で読んでも意味がないことがわかるでしょう。大和言葉の音が現代人にわからない以上「この一文字にこのような意味があるからこの文字が語るのはこれだ」という解釈は成り立たないのです。

さて「日本書紀」は漢文で書かれていて意味も読み解けます。しかし当時の公務員が外国向けに書いたこの[編年体]の文章にどのような意図があるでしょうか。一種の外交文書で唐(China)が用いたような国際様式です。この文章は天皇の系譜や皇位継承の説明分のガイドブックなのです。歴史研究家が底本に「日本書紀」を持ってきた場合、そこに日本の正史(真実的な)や理念があると思うのは誤りです。

「邪馬台国」の王「卑弥呼」元字「臺」は「トゥ→ト」
伝聞で「ヤマト国のヒメミコ」 と書いたのだと思う

関連して「卑弥呼」と「邪馬台国」について私見を述べます。『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』という3世紀のChinaの文書を何故そんなに奉るのか全く理解できません。そもそも『魏志倭人伝』という文書はなく、歴史書の『三国志』(フィションではないほう)中の魏書の項のごく一部にあるたった2,000文字の記載のことをいっているのです。
「倭」(これはのちに日本でも自国に使いましたが)「卑」弥呼と「邪」馬台国。これら「 」の字は何れも良い言葉ではありません。

これらの悪い言葉を日本人が伝えるはずがない(文字がない)のでChinaの人の伝聞を記録した文章なのです。これをあたかも正史としてみるのがなんとも違和感があります。「卑」(いや)しい「邪」(よこしま)な「倭」(わ)(弱々しい)という国と言われて喜んでいるのが可笑(おか)しいのです。

当時Chinaは他国は全て野蛮で劣るとみる中華思想(華夷秩序)の国柄なのです。しかし呼ばれた側の日本人がそれを歴史のロマンだなどと言ってしまうことには疑問です。「邪馬臺國」の当用漢字がないので邪馬台国です。
臺の字はトとChinaで発音したという説もあります。そのほうが私の考えには合います。日本人は皇子が男子の場合「彦御子」(ひこみこ)女子の場合「姫御子」(ひめみこ)と呼んでいました。大和の国(当時は)は文字がない当時Chinaで倭と書き「やまと」と呼んだと推測しますが「大和の国の姫御子」(やまとのくにのひめみこ)が伝聞で「邪馬台国」の「卑弥呼」になったのだろうと個人的は思っています。だから永遠にこのとこと証明できないでしょう。無いことの証明を「悪魔の証明」と言います。歴史上の悪魔の証明になってしまうのだと思います。

我が国に失望することはありますが自分の生まれ育った国を貶めようとは思いません。「卑弥呼」と「邪馬台国」は私にとって気持ちの良いものではありません。どうしてもそれらの存在を先に事実だとして、その歴史の証明を求めるのでしょう。私たちにとって必要なのは事実ではなく真実です。


日本神話の整理が違う方向にいってしまいました。
これまで書いてきた神話の世界は前後しましたが主に「高天原」(たかあまはら)についての事です。読み方は色々ありますが私は「たかあまはら」と呼んでいます。天地初発から天孫降臨までの天津神(あまつかみ)の語り、まだ天孫降臨(天照大神のお孫神が地上に降りる話)まで進んでいませんが、地上の話も並行しておこうと思います。高天原のみが神話ではありません。主役の地は「豊葦原千五百秋之瑞穂国」(とよあしはらちいほあきのみずほのくに) 短く言うと他に葦原中国、中津国、瑞穂国、その他たくさん呼び方が出てきますが日本の人間界です。人間界とはいっても日本では皆、神の子孫なので地上とでもいいますか。「葦原中国」(あしはらなかつくに)
そう、だから中国は日本を示す言葉なので使い分けをしています。私は。

神話の大切なところは、そこに大和民族の理念と眞實が書いてある。祈るような信念の想いが書いてあるということです。何とありがたい事か我々はそれを捨てることも改竄することもなく残してきた世界に稀な民族です。神の系譜天皇という存在も戴いています。まだ残っているこの奇跡的な歴史を閉じようとする動き、軽視する現代人の何と多い事か。もったいない。先日、「宗教法人に課税を」とヤフコメしたら4万を超える反応がありました。地方の神社仏閣がなくなると。文化財は別にして、保護してもらわないとならない程、神道が廃れてしまったということでしょうか。日本人の基であり帰結先でもある神道。その程度の事でなくなってしまうほど脆弱になってしまったとしたら大和国が守れるはずがありません。


神話に戻ります。
これまでも繰り返し述べているように、拙著ブログは私の浅薄な知識と思い込みで書いています。興味を持ったら自分でもファクトチェックしましょう。

日本神話(20)のとおり 天照大御神の「天の岩屋戸隠れ(籠り)」の危機を神々が力を合わせて明るい方法で脱しました。高天原にも葦原中国にも光と希望が戻ります。つまり高天原(天上)と葦原中国(地上)は連なっているということです。危機を脱した後は事を起こした責任を取らなければなりません。日本神話(21)建速須佐之男命 御被避(みやはらえ)のくだり。ここまでで記事が止まっていました。

宮崎県高千穂町 天安河原(仰慕ヶ窟)天岩戸籠りの地
天手力男神が投げた岩戸は長野県「戸隠山」へ飛んだ

もう一度日本神話(21)建速須佐之男命 御被避(みやはらえ)のくだりを読んで追記したいことがあります。日本は火山列島であり気象的にも天災が非常に多い国柄です。その中で人々は生活を営んできました。現代に於いても様々な困難に逢うたび世界から日本人の優れた対応能力が称賛されますが、これはやはり自らが育んだ神話にも書かれている理念の表れということができます。御被避のくだりで大宜津比売神が殺された後に生まれた稲、麦、小豆、大豆、粟、蚕は、いずれも後の日本の主要産業であり生命線です。これが一柱の神による一柱の神の死から生まれるということ。非常に示唆深いものがあります。

日本でなければそのような神話は生まれにくいと思います。死ぬことからより大きいものが生まれる。大災害に遭ってなお希望を失わずに復興できる力が日本人に備わっているということが書かれています。


今私は少し心配しています。日本人のその復興の力が他力本願になっているのではないかということ。これは戦後の占領方針WGIPとも無関係ではありません。占領目的の一つは神国日本を再び立ち上がらせないこと。スイス民間防衛の手引書にもある武器を使わない侵略です。目的達成の為、占領軍は神道を国民から遠ざけ神道のトップである天皇の役割を変えました。今でも国の防衛さえ他国に依存し自らが国を守る力を持てません。日本の制空権を日本は持っていません。そんなことで東日本大震災を大きく超える災害に襲われたとき。過去の日本人のようにそれを受け入れバネにしてよりよい社会づくりにつなげられるほどの気力が現代日本人にあるでしょうか。「神話を忘れた民族」と検索エンジンに打ち込んでみましょう。

「神話を捨てた民族の末路」が目に見えるようになってきました。ガス、水道、道路、電気等の生活インフラの維持さえ外国に頼ろうとしている今の日本人には、古事記が語る日本人の理念。それを理解して継承することが第一なのです。人間が一代限りのものなら私のこんなブログには意味がないのです。悠久の歴史のつなぎ手として義務感をもって書いています。保守というのは外国に向かって威勢のいい態度をとることではありません。国柄に相応しい行動をとることです。


ここで再度神々の系譜と位置関係について記したいと思います。ここに書いた表はあくまで私見です。
特に根堅洲国と黄泉国の位置関係については諸説あります。

ここから、「天孫降臨」「国譲り」「神武天皇東征」と続く お話は戦前は誰もが知っている常識でした。
「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」「海幸彦と山幸彦」いずれも葦原中国を舞台とした神話ですが、私たちでさえ「グリム」や「アンデルセン」「イソップ」の童話で教育された世代です。
グリム兄弟(ドイツ)アンデルセン(デンマーク)英名イソップ(ギリシャ)も素晴らしいお話ですが日本が舞台ではありません。八百万(やおよろず)の神々も出てきません。

新渡戸稲造はドイツ留学時にベルギーの法学者ド・ラブレー氏に「宗教を教えない日本でどうやって道徳教育ができるのか」と問われ「武士道」を書きました。武士道はChina由来の儒学や陽明学というものを多く取り入れていますが根底には神話があるのです。神道の基礎の上に儒学や陽明学を学び「武士道」が開花したと私は考えます。

日本にも、かつて誰もが先人から聞き継がれた御伽噺(おとぎばなし)があったのです。その中には古事記の神話を基にした。或いは変化させた話がたくさんあり。そこには神話の理念(エッセンス)が入っていました。舞台も当然日本です。日本人の生き方を導く日本人のためのお話です。このブログの今後の記事の幾つかも「御伽噺」的な書き方になっていきます。「ヤマトタケル」はもう書いてしまいましたが。では、また改めて。

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