日本神話番外 『反省とお詫び』

ブログを読んでくださるかたから、古事記の話が始まってから内容が難しくなったという声を多くいただき大変反省しています。なぜかと言えば『古事記』が面白いと一人でも多く興味をもってほしいと書いているのに真逆の感想をいただいたからです。

私の文章能力が乏しいのと、自分でいうのもなんですが真面目に書きすぎているのでしょうか。読んでいただいている方にもう一度申し上げます。
『もっと気楽に読んでください』

書き下し文に、たくさん「かな」が振ってありますが漢字の意味を追わないで、さらっと読んで感じてください。
日本人ならそこから何かを汲む。そのヒントは私個人の解釈が書き下し文の後に書いてある。そんな感じです。

何しろまた真面目になりますが 1300年前の人(稗田阿礼(ひえたのあれ))が その時すでに古文だった本や言い伝えを口述したものを(太安万侶(おおのやすまろ))が聞いたままに漢文で書いたのですよ。後世の人に読めるはずないのです。それを江戸時代に本居宣長(もとおりのりなが)先生が35年かけて日本語を翻訳したのです『古事記伝』として、だからその時点で本居宣長先生の注訳書なのです。ただその正確性は折り紙付き、本居宣長という人物を知る人ならわかります。

写真の本「宣長にまねぶ」(本居宣長記念館館長 吉田悦之さん著)の帯に「志は、忙しかったら今日は休みというようなそんな軽いものではない」とか、自分が歩んだ人生を振り返り、宣長は「心力を尽くした」と言う。とあります。本居宣長先生は一生に一日でも無駄にしなかった人だと思います。毎日真実とは何か、源氏物語、万葉集など様々な古典を研究し尽くし、35年かけて古事記を現代人(江戸から現代人含む)が読める形にした。その執念は恐ろしささえ感じます。

古事記の書き出しは、ブログにも書きましたが『天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原(たかあまはら)に成りませる神の名(みな)は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)』でしたね。本居宣長先生は「天地」の読みを「あめつち」に決めるのに5年半かかったそうです。この一文字にさえずっと思いを巡らしていたわけです。

あら、また難しくなってしまいましたか?そうではなくて、稗田阿礼の口述を聞いた時代の人に匹敵する正確性が古事記伝にあるはずだから、書き下し文を読めば間違いなく古事記の神髄に触れることができて、触れさえすれば日本人なら何か感じる。『先ずは 感じるだけで充分』と言いたいのです。

神々の名前を全て覚える必要はないです。一つ一つの出来事を楽しんでみてください。私たちにはこんな素晴らしい『神話』を持つ民族なのです。『即位礼正殿の儀』を拝見し、感動した人がたくさんいたはずですが、もっともっと壮大な『神から連なる大和民族の神話』が身近にあるのに、なぜ興味をお持ちにならないのか。私は不思議でなりません。

「神話を失った民族は滅ぶ」ということがばあります。これが本当か嘘かはどうでもよいです。でも神話を知らされなくなったのはなぜでしょう。そこは考える必要がありそうです。皇室の行事と言いますが、天皇陛下の御勤めが国事行為と私的行為に分けられてしまっているのは異常事態です。私心のない天皇(すめらみこと)には私は無い、すべては大御宝(国民)と神のための行為なのです。大和民族の神話を知るとそういったこともやがて感じることができるようになります。

結局難しかったでしょうか。反省反省 頓首合掌。

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