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日本神話(10)黄泉の国のくだり 言止め

本日は「祝賀御列の儀」でした。今は勤労感謝の日である新嘗祭は皇尊(すめらみこと)が即位して最初の祭りだけ特別に大嘗祭として営まれる大変重要な祭祀です。しかし宮内庁は大嘗宮の規模を前回の2割縮小し建物の一部をプレハブ化し中心の悠紀殿、主基殿を茅葺(かやぶき)から板葺に改めたうえ、招待者も減らすという。この宮内庁という機関は何のためにあるのか。はなはだ疑問だし、このタイミングで女性宮家の話も出てきていて「サラミ戦術」で皇国を貶めることを目的として存在しているとしか思えません。しかし私は信じています。皇祖神が許すはずがないと。
さて、今回は 夜見の國のくだり クライマックスです。

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最後(いやはて)に其(そ)の妹伊邪那美命(いもいざなみのみこと)、身自(みみず)から追い来ましき。
爾(すなわ)ち千曳石(ちびきいわ)を其(そ)の黄泉比良坂(よもつひらさか)に引き塞(さ)えて、その石(いわ)を中に置きて、各對(あいむ)き立たして、事戸(ことど)を渡すときに、妹伊邪那美命(いもいざなみのみこと)の言(もう)したまわく「愛(うつく)しき我(あ)が那勢命(なせのみこと)如此爲(かくし)たまわば、汝(みまし)の國(くに)の人草(ひとくさ)一日(ひとひ)に千頭絞(ちがしらくび)り殺(ころ)さむ」ともうしたまいき。爾(ここ)に伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の詔(の)りたまわく、「愛(うつく)しき我(あ)が那邇妹命(なにものみこと)、汝然爲(みましし)たまわば、吾(あれ)は一日(ひとひ)に千五百(ちいほ)の産屋(うぶや)立(た)てむとのりたまいき。
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しまいに妹伊邪那美命が自ら追ってこられたので千人で引かなければ動かないような巨石を黄泉平坂に置きます。伊邪那美命側の闇国、伊邪那岐命側の光国が仕切られました。その岩を境として二柱の神は「事戸(言止)を渡す」乃ち離縁を申し渡します。

黄泉の国のくだりで私の一番のツボです。おっしゃっていることは「あなたの国の人草(人間)を一日に千人殺してやるから覚悟して」「それなら私は一日に千五百の産屋を立ててみせる(産屋を立てる=子を産む)」ということで、なんともドロドロですが、ここに二つの感動を覚えます。

伊邪那美命は死の世界を司る黄泉津大神(よもつおほかみ)となりました。その大神が一日に千人 黄泉の国に連れていくと宣言したことに対し、光の国の神は一日に千五百人を産むと返す。なんとも心強いではないですか。自然災害が多い日本、今年もたくさんの悲報がありました。しかし、そんな災害の中でも産まれる命があり、それは全日本人の希望です。希望があるから生きてける、子供のことを考えたら頑張れる。少なくとも昔の日本人はそうだったということです。『貧乏人の子沢山』とは日本人にとって嘆きの言葉ではなく希望の発露だったのです。

では今の日本人、少子化とはまさに黄泉津大神の言葉に対し、光明の伊邪那岐命が押されている世界、神の理念に適っていない、いけない状態なのです。日本人。負けてはいけないのです。金がなくて育てられないとか、虐待して殺してしまうとか神の理念に背いていては個人も国も栄えるはずがないではないですか。

もう一つ事戸(言止め)の際の二柱の神の御言葉が共に「愛(うつく)しき我(あ)が・・・」で始まる。「美しい愛おしい私の・・・」という語り掛け。このような局面でも美しい言葉を使う。日本人独特の行動が神の行いとして書かれている。外国人にはわからないでしょう。戦国武将が お互いに名乗りを上げてから1対1で戦う作法にも通じる。元寇の乱で名乗っている途中で射られた武士の絵が残っていますが名乗っている間には攻撃しないなんて、殺し合いの前の流儀なんて、外国人に通じるわけがないし彼らには理解できないでしょう。でも日本人は違うのであります。堂々と戦うのです。

「我は兵を以(もっ)て戦ひを決せん。塩を以て敵を屈せしむる事をせじ」宿敵、武田の困窮時に塩を送った上杉謙信。経営者として謙信に学ぶこと大いにあり。その基は日本の神話と信じます。現代に於いては人殺しではない戦いをしてください。堂々と楽しんで。

「愛しき我が那勢命」「愛しき我が那邇妹命」たとえ離縁であっても、こう言い合える人でありたいものです。
自分の言葉の粗さに恥じ入るばかりの私です。

本日はここまでと致します。

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