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日本神話(17)天照大御神・建速須佐之男命  宇気比/誓約/受霊(うけひ)

あなたは自らの心(清く正しきこと)を証明しなければならない局面で、どんな方法でそれを示しますか。

古来、日本人は「穢(きたな)き心」「清明(あか)き心(きよい心)」というものを非常に大事なこととして生活してきました。(穢(けが)れ(汚れ))というものを忌み嫌い、清いということを好む民族なのです。

身を清める、手を清める、建築物はシンプルな白木で作る。悪いことをしたら(していなくても)切腹。生き方も、経済も清きを求め汚き行いを最も軽蔑しました。

今はどうでしょう。お金持ちの方が特権を持っていたりしませんか。もちろん世のため人のため(神のため)に努力をした結果、お金持ちになったのなら結構ですが、自己の利益の追求や他を犠牲にしての成り上がりは古来最も軽蔑されたのです。江戸時代の藩主(殿様)も食事は一汁三菜の質素なものが多く、外国人はびっくりしたとか。とにかく世を治めるのは『徳』なのだ。という大変うらやましい価値観の社会だったのです。脱線が長くなってしまったので本題に戻ります。

あなたが自らの清き心を証明しなければならないときどうしますかという問いですが、
神の世ではいみじくも キリスト教のルカ福音書6章にあるように「悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない」⇒「果実をみてその樹の真価を知れ」ということを実践されるわけです。

これは、神様だからできるのであって、私たち人間はどうするのでせうか。はい、日頃の行動の上でしか果実を見せられませんね。時間をかけて結んだ実を神に見ていただくしかないのですから、その場で証明しようとしても無理なのです。
日々が大切なのです。片時も忘れてはなりません。

天照大御神・建速須佐之男命のお話に戻します。
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「何故(など)上(のぼ)り来ませる」ととひたまひき。爾(ここ)に速須佐之男命(はやすさのおのみこと)の答白(もお)し給(たま)はく 『僕(あ)は邪(きたなき)心なし、ただ大御神の命以(みことも)ちて、僕(あ)が哭き伊佐知(なきいさち)流事(ること)を問ひ賜(たま)ひし故(ゆえ)に、白(もう)し都良久(つらく)「僕(あ)は妣(はは)の國(くに)に往(まか)らむと欲(おも)ひて哭(な)く」とまおししかば、大御神「汝(みまし)はこの國にはな住(す)みそ」と詔(の)りたまひて、神夜良比夜良比賜(かむやらいやらいたま)う故(ゆえ)に、罷(まか)なむとする状(さま)を請(まお)さむと以伊為(おも)ひてこそ参上(まいのぼり)つれ。異(け)しき心無し』とまうし給(たま)へば天照大御神 「しからば汝(みまし)の心の清明(あか)きことは何以(いか)にて知らまし」と詔(の)りたまひき。於是(ここに)速須佐之男命「各(おのもおのも)宇気比(うけひ)て子生(こう)まむ」と答白(もお)し給(たま)ひき。 
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天照大御神が弟神、建速須佐之男命を武装してお迎えしたのは、真剣な姿勢をお見せになる謂わば『正装』です。ここで、参上(まいのぼり)の理由をお聴きになったあと「あなたは自(みずから)の心の清明(あか)きことをどうやって証明しようと考えていますか」と問われます。
建速須佐之男命は「各(おのもおのも)宇気比(うけひ)て子生(こう)まむ」とおっしゃいます。

これが「果実をみてその樹の真価を知る」という意味です。
(絵は 出雲井晶先生の建速須佐之男命の受霊(うけひ)の場面、内容は次回です)

本日はここまでと致します。

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