日清日露大東亜(番外)日露戦争 どう書くか

前回 畏れ多くも明治天皇のお気持ちを書かせていただきましたが、明治人最強説を公言している私としても日本の近代史としても日露戦争は壮大なテーマであって素人の私程度の知識で総括できるものではありません。もう一つの側面として日本として勝った最後の戦争です。勝ち方にもいろいろありますが、この勝利がもたらした日本国内の変化及び世界の変化というものはその後の世界の形を変えてしまったといっても過言ではないくらいの歴史的分岐点です。でも学校ではそのことはサラッと数ページ歴史の教科書に書いてあるくらいです。何故ですか?後に起こる大東亜戦争は太平洋戦争と呼ばれています。当時日本人は皆が大東亜戦争を戦ったのですが「その呼び方は使ってはいけません」と言われて「太平洋戦争」になったのです。戦死した日本人と話す機会があったら太平洋戦争なんて言っても伝わりません。戦争が終わって75年経ちました。大東亜戦争を使ってはいけないと現在言っているのは日本人です。何故ですか? 戦争後連合国が「おすわり」と日本人に言いました。言った側も忘れ気がついてみたら今でも日本人は未だ座っていた。何故か立たない否、自分の脚で立つことができなくなっていました。ある意味それが連合国側の目的で、そのために働いた日本人がいた、そして今もいるのです。

アメリカをみてください。彼等の云うところの太平洋戦争時、ルーズベルト政権中に300人のコミンテルン社会主義スパイがいたことが公開された公式文書(ベノナ文書)に記載されています。このスパイ工作が日米開戦の大きな一因でした。75年後の今、米の選挙で変なことが起きています。米の甘い選挙は投票する個人の特定と集計のシステムにスキがあります。共和党と民主党の票を合計すると不自然に多い投票数になってしまう。今の米政権の中にいる反政府勢力も仕事が雑です。今も目に見えぬもう一つの政府が存在し彼らの影響力は世界を動かすのです。

米も日本も性善説が強すぎます。民主主義の危うさ。その民主主義は本当の民意を反映しているのでしょうか。本当は絶対に間違わない人徳による治世が良いのだと思います。そういう意味で明治天皇の御代は日本が最も輝いた(一瞬でしたが)時代だったのかもしれません。
その明治に日本が行った日露戦争は国運を賭けた総力戦。国運を賭けない戦争なんてないと思いますが、スイッチ一つで他国を爆撃する現代の戦争と違って、歩兵が武器を持って前線で殺しあう戦争。そんなものを傍観もしていない後世の我々が軽く書いてはいけないという思いがある一方で、これは主観を交えて書いておきたいとも思います。

なにしろ日本の教育はこの時代について深く触れません。私が書く間違いも興味を持って調べる人が出てくれば無駄ではないと思います。
その後の日本の、アジアの運命を変えた日露戦争をどう書くか。戦争の史実はサラッといきましょう。史実はネットですぐに調べられますから。私は入り口までの案内人として、ここまでどういう流れで戦争に向かったか書いてきましたので、ここからは乃木希典(陸)と東郷平八郎(海)とそれに纏(まつ)わる人々にフォーカスしていきます。特に乃木大将については長くなります。私個人の思い入れが明治天皇-乃木希典-昭和天皇で繋がっていますから。

身内は長い文書に辟易して私のブログを読んでくれないのですが。私の遺書として亡くなってからでも良いから読んでみてください。そして日本のことを大切にしてください。

人物にエピソードを加えて書いていきます。迷信に近い話や噂話も書きますので真偽は自分なりに調べてみてください。誤解を受けそうですが兎も角、日露戦争を戦った明治人の正しく殺しあう姿勢は残念ながら大東亜戦争ではだいぶ劣化します。

偶然、三島由紀夫没後50年ですが三島先生が自衛隊に求めた「天皇の軍隊」所謂「皇軍」というものは日露戦争で終わっていたのかもしれません。先ほど書いた「武士道に通じる正しく殺し合う」ルールに基づく戦は大東亜戦争に於いて兵を動かす謳い文句として有効に使われましたが言葉を発した当人は腐敗堕落して多くの将兵を見殺しにした結果になってのではないでしょうか。

今後、日本人は何処を目指して生きていくのでしょうか?人任せにしてはいけません自分の事として考えましょう。人口減少・格差の拡大・社会インフラの劣化・外国との関わり等問題山積です。特に日本人の人心の劣化が著しいことが原因で社会的経済的に国威が下がっていくでしょう。どのレベルまで下がるか予想できません。或いは亡国にまで至る可能性もゼロとは言えません。下がるところまで下がってから気づくと思います。その頃もう我々は居ませんが、もう一度上昇するためには復古が必要だと気づくでしょう。さてどこを目指すのでしょうか。私のお勧めは明治です。誤解してはいけません。物質的なものを目指すということではありません。人心道徳からやり直すことを目指すなら日本人なら明治です。それだけ祖先には地球上で真剣に生存を賭け戦った時期があったということを知っていただきたいと思います。

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