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日清日露大東亜(4)三国干渉 臥薪嘗胆

一万人を超える死者を出し日清戦争に勝利した日本。相手にも犠牲があることを忘れてはなりませんが帝国主義のこの時代、戦勝国は敗戦国に対して賠償と戦果に見合う要求ができたのです。
日清戦争の講和会議は山口県下関市(安倍総理の選挙区ですね)の料亭で行われます。この会議で結ばれた馬関(下関の旧称)条約が現代でいう「下関条約」です。全権、伊藤博文(総理)陸奥宗光(外相)清側は李鴻章(総督)李警報(大臣)との間で結ばれました。

骨子は主に以下の4点でした。

  • 朝鮮の独立を認める事

  • 遼東半島と台湾及び澎湖諸島の割譲

  • 賠償金2億テールの支払い

  • 日新通商航海条約の締結に伴う租界地での治外法権の承認

亜細亜の大国清が破れたことで清を見る世界の目が変わっていきます。列強が清への干渉を更に強くしていきます。特にロシアは日本の進出を好ましく思いません。下関条約が結ばれてすぐ(6日後)ドイツやフランスと共に日本にロシアにとっての要衝でもある遼東半島を返還するように迫ります。戦争も理不尽ですが当時は帝国主義時代力のあるものが弱いものをねじ伏せる時代だったのです。新興国の日本はこれらの大国に抵抗する力がまだなかったため理不尽な要求を跳ね返すことができませんでした。遼東半島は清に返還され後にロシアが租借することになり他の列強も弱体化した清国内に次々に租借地を拡大していきます。大国に翻弄される清。アングロサクソンの露骨さには恐れ入ります。

日本は第一義の目的である朝鮮半島の独立は果たしました。(勝手にやったことではあるが一万人の犠牲をだして独立させる必要があったのか少なくとも当時の人はそう信じたのでしょう)

この列強の状況を飲まざるを得なかったのが三国干渉と呼ばれる歴史的屈辱ですが、御前会議での明治天皇のお気持ちはどういうものだったのでしょうか。力のあるものに屈する時代が令和の時代にも繰り替えされようとしていると感じるのは私だけでしょうか。これを機に日本国民の中には怒りと同時に「臥薪嘗胆」が合言葉になります。苦境に耐え忍び力を蓄えるということです。「今に見ておれ」という気持ちが国民全体にいきわたり、政府は更なる軍備増強を進めます。

ちなみに下関条約で台湾は文字通り日本の植民地になります。朝鮮は併合ですので植民地とは少し違います。日本は台湾ではじめは軍政を敷き抵抗を鎮圧し、その後民政に切り替えます。列強の植民地「支配」とは違う統治をしていきます。民政局長 後藤新平のことは自分で調べてください。嘉南大圳の八田 與一もお忘れなく。

一万人の犠牲を出して朝鮮を独立させた日本でしたが彼らには「事大主義」という考え方があり、それが陸続きの大国間で生きていく術だったのかもしれませんが常に強いものに迎合するのです。三国干渉に屈した日本を見て朝鮮王朝はロシアと近づきます。王朝は親ロシア、親日派は排除されるようになります。さあ、日本はまた勝手に朝鮮をめぐって日露戦争への道を歩んでしまうのでした。

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