法治の限界

法律に書いてないことは何をやっても良い。日本人はそんな者に成り下がったのではないですか? 子供の頃 相手に非難されると「そんな法律どこにある?」とよく言っていたものです。しかし今、世の中そうなっていませんか?

よく言われるように、日本人は自衛隊のことを信じていません。武器を持たせたら何をするかわからない野蛮人なので、自衛隊はポジティブリストによって縛られています。やっていいことしか決められていないので、そこから外れたら全部違法行為です。国際的な他国軍は日本人と違って信用できますからネガティブリストで運用されていて禁止されていること意外の行為は合法です。(この事はついでに書きました)

世の中に起こる事象全てを法律に書けない以上、法治には限界があるのです。限界が無いもの、それは徳治です。道徳によって治めるということです。(当HP企業理念も参考にしてください)
論語に多くの影響を受けた武士道、その教えを商売に結びつけた渋沢栄一。道徳と経済の一致です。
今荒廃した日本人の心に問います。まだ法治を追求するのですか、そろそろその矛盾に気づいて過去に学び、徳の下の平等を目指したほうが、日本人が幸せになるのではないでしょうか。

『論語と算盤』に解説がありますが、西洋と東洋の考え方の違いは近いようで遠く、遠いようで近いですね。

  • 己の欲せざることを他人に施すことなかれ。 (論語)

  • 己の欲することを他人に施せ。 (聖書マタイ伝)

 どちらかというと私も、祖父母には論語のほうの言い方で教育されました。

詳しくは書けないのですが商業道徳上、大変残念な出来事がわが社に起こりました。先方は法律には反していませんが、道徳上は問題がある行為です。彼らは己の欲せざることを他人に施しました。力の差を用いて。
違法でないからそれでよい・・影響が大きい力のある者ほど弱者に対する自制が必要ですが倫理が荒廃している現代では難しいのかもしれません。法解釈して自分の行動規範にするよりも、私には祖母が言った『お天道様がみていらっしゃるから誰にも見られてなくても悪いことはしてはいけないよ』という言葉のほうが心に焼き付いて、今でも何か事を起こすときには遠い昔に亡くなった祖母の声が聞こえてくるのです。

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