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神は愛なり

私はよく「動物が好きなんですね」と言われますが、ちょっと違います。
動物を飼いたい。というと人間本位になりますが、「生き物のそばにいたい」というほうが私の心情を表す言葉として近いと思います。生きているという事では植物も同じですが、動物のそばにいたいと思うのはより「愛」というものを感じられるからです。若い頃読んだ飯田史彦氏の「生きがいの創造」は私の考えとかなり一致した一冊でした。機会がありましたらぜひお読みください。「人生の価値とはどれだけ愛せたか」だとあります。自分が何故生まれて来たかがよくわかります。

この写真の2羽は今ではもう天に帰っていきましたが、青いほうの「チッチ」が5歳を超えてから緑色の「キュン」をホームセンターで買ってきました。(このような動物売買の方法を私は否定的に考えています)チッチは雛から飼っていて、とても懐いて呼べば指や肩に飛んできます。

専門的にいいコトかどうかはわかりませんがキュンを買ってきて籠の外で会わせてみたら、チッチが一生懸命キュンに素嚢から餌を出して与えはじめました。これがサムシンググレートの与えた本能というものなのでしょうか。愛を見ました。

動物のほうから見せてくれる愛もあれば、自分のほうから湧き出させてくれる愛もあります。だから動物のそばにいたい。愛に大きいも小さいも、尊いも卑しいもないですが、最も近くて大きくて深い愛は、人間の親子の愛ではないでしょうか。特に子供が小さいときに教えてくれる愛に敵う愛はないと思います。

昨今、その最愛の子供を傷つけ、殺してしまう親の話が続いています。三島由紀夫が天国で地団駄踏んで怒っていると思います。自害して50年近く経ちますが彼が生前語っていた「今に日本は、親が子を殺し、子が親を殺し、行きずりの人を刺し殺したり、そういう時代になる」という言葉。当然の帰結。

動物を見てください。「神は愛なり」は新約聖書の聖句ですが、私は愛のあるところに神はいらっしゃる(神の定義は大生命とかサムシンググレートにしておきます)と解釈しています。動物と一緒にいると愛により多く接する機会がある、ということはより神に近づいていると思えるのです。だから愛の中で暮らしたい。後日書きますが、あの悲惨と思われる病院も入院してみると神だらけでした。そう、愛に満ちた場所でしたよ。でも動物は先に死んでしまいます。そのとき必ず声をかけます。「次は絶対に人間に生まれてくるんだよ。そしてまた逢おうね」

三島が何故、昨今の親子の状態を予見できたか、敗戦によって体制の変わった日本、体制だけならまだしも目的は日本人の心を変えることでした。唯心論から唯物論の国へ。物質の価値が第一で多く持つものが正しく、少ないものを支配する。ここから子殺しの理由を説明するにはページが足りません。でも、この話を思い出したのはニュースでみた就職活動をはじめる学生へのインタビューでした。わざとそういう編集をしたのでしょうか。企業を選ぶ基準が物質的自己中心的なものばかりでした。これからの日本がどうなっていくか予想が立ちますが、今日はやめておきます。 万物の霊長である人間。神は自分の姿と同じに人間を作ったと言われていますね。その人間に生まれただけで、すごく幸福なことだと私は思うのですが。

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