追悼 安倍晋三元総理 

youtube 安倍晋三チャンネルより

昨日の安倍晋三元総理の事件、大変ショックでした。オシドリ妻の昭恵さんにとって昨年の愛犬ロイ君に続いてかけがえのないパートナーであり夫(つま)を失った御心痛は察するに余りあるものがあり衷心より哀悼の意を表します。会社のホームページに政治的なメッセージを書くのはどうかという意見もありますが、このブログに関しては私が遺した私文書としての側面もありますのでそうとっていただけると幸いです。

2020年08月29日に「安倍総理辞任に想う」という記事をあげました。潰瘍性大腸炎という難病を持ちながら総理大臣という要職を続けられたということから勇気をいただいていたことと、「日本を取り戻す」という意気込みを表明されていたことで支持していたからです。残念ながら目に見える結果を残すことはできませんでした。私も零細企業ですが社長になれば思い通りに事が運ぶかと考えていたところが現実は全く違いました。外交を含む国政を担うこととは比較できませんが、一国のリーダーという重みと果たせぬ責務に大変な御苦労があったものと思います。

今回の事件で私は改めて深い闇の中にいるような漠然とした不安に襲われました。2020年08月29日にも掲載した中川昭一元財務大臣の事が真っ先に頭に浮かんだのです。自由民主党保守の家系に生まれ若くして政治家として大成した二人でしたが共に道半ばで無念の死を遂げることとなりました。尊敬を持って敢えて彼らと呼ばせていただきますが彼らが戦っているものが何だったかについて思うところを少し書いて安倍晋三元総理を偲んでみたいと思います。

中川昭一氏は将来日本のリーダーになるべき人でした。彼の死は日本の将来をも暗いものにする予感がありました。初めに彼を意識したのは生前の人権擁護法案の成立に反対する行動に対してでした。その時の発言。この法案が通れば自分を含む多くの国会議員の「政治生命が終わる」という趣旨でした。大げさな冗談と当時の私は思っていたのですが彼は2009年2月にローマG7財務大臣中央銀行総裁会議での酩酊会見がもとで辞任します。6人で飲んだ1本のワインで酩酊。各種の薬を飲んでいたという話もあります。(医者には言えませんが私も色々な薬とお酒を飲んだことがありますが千鳥足まではなっても呂律が回らなくなって発言も行為も記憶から飛ぶほどにはなりません)彼は秋の選挙で落選後、自宅で不審死します。死因は今でもはっきりしません。(諸説あり)彼の父、中川一郎代議士は57歳で自死しています。
(中川昭一元財務相56歳。安倍晋三元総理67歳。父、安倍晋太郎元外相67歳で病死。)

中川昭一氏は日本の国益第一主義の保守色の強い政治家でした。安倍晋三氏はもう少しマイルドな感じを受けます。1997年2月「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が設立され会長に中川昭一氏、事務局長に安倍晋三氏が就任します。当時、慰安婦や強制連行の記述が日本の教科書でありながらあまりに自虐的であるということが問題になっていました。私もこの問題には関心がありました。以前にも書きましたが私は川崎市の桜本という朝鮮出身者が非常に多い土地の生まれです。実体験や出征経験のある祖父の話と自分が受ける教育のギャップに違和感をもっていました。自分で受けた教育はともかく子供ができて意識が変わります。本当の事。事実と眞實を教えなければならないという意識が生まれ色々調べて社会の仕組みや矛盾に気づきます。

安倍、中川両氏も敵の多い政治家でした。外国ばかりではなく国内にこそ敵がいるのです。最も大きな敵はマスコミと教育界です。これらと戦ったことがこのような結果になったのではないかと私は考えています。NHK番組改変問題=2001年1月放送の日本軍戦時性暴力を扱った内容に当時の安倍晋三幹事長代理と中川昭一経済産業相が圧力を掛けたのではないかと問題になり追及されました。彼らは反マスコミ、反日教組的政治家として捉えられていきます。某新聞社の「安倍の葬式はうちでだす」との発言のうわさがありました。少なくとも当該新聞社の元主筆の故人は政治評論家の故三宅久之氏に「安倍叩きは社是」と言ったということは記録に残っています。個人の発言ですが。

なぜこんなことを書いているかというとマスコミの力は核に勝ると、どこかの党首が最近使う文句ですがマスコミが繰り返す印象というのは「言葉の力」という人間の潜在意識に刻印を打つ力を持っているのです。繰り返しある方向の報道を続ければ余程気を付けていないと影響を受けます。私から見ると安倍晋三元総理は本心を抑えて政治活動をしていたと思います。しかし違った方向の印象を多くの国民は持っていたのではなでしょうか。多くの人にある印象を与え続ければ、そのうちの一部が過激な行動を起こすかもしれません。事実に基づかなくてもバイアスを掛けることがマスコミにはできるのです。その思想を一定の方向に導く力の本源が何かは確証がありませんが事実関係を並べて正確な判断の両方向性を持った報道がされているかといえばそうではありません。

嘗ては保守でありマスコミに「倒すべき相手」とされていた自民党も玉石混淆(ぎょくせきこんこう)状態であると一部の保守政治家が嘆いています。安倍晋三氏(1954年生)と中川昭一氏(1953年生)は同志でした。中川昭一が遺志を託した安倍晋三までがいなくなって「おまえら日本を頼んだぞ」という言葉が非常にむなしく私の身に染みます。中川昭一氏の葬儀で安倍晋三氏は弔辞を述べています。一部を記します。 

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弔辞
故中川昭一元自由民主党政調会長の御魂に見える為、ここに哀悼の誠を捧げます。
(略)先般の総選挙直後御目にかかった時は流石にお疲れの様子でしたが、2週間程前お電話で話した際は非常に元気で「安倍ちゃん、保守再生の為に頑張ろうよ」と語りかけてくれました。その矢先の突然の訃報に私は愕然とし、言葉を失いました。
(略)「このままでは日本が危ない」という危機感の中で、教科書問題にも取り組みました。中学校の歴史教科書全てに従軍慰安婦・強制連行の記述が載ることになり、「このような自虐的な歴史観を何とか正し、子供達が日本に、我が国に誇りを持てる教育に変えたい」と、その一心でした。当時の政治状況・マスコミの報道ぶりから考えれば圧倒的に不利な情勢であり、まさに多勢に無勢でした。

その中で私達は「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を立ち上げ、メンバーの総意で昭一さんに会長をお願いしました。批判の矢面に立たされる危険がある中、俗に言えば票にも繋がらない、政治キャリアにはマイナスかもしれない約束を、昭一さんは「俺がやらねば」という気持ちで引き受けてくれました。拉致問題も全力でしたね。憲法改正問題も同様でした。
(略)東シナ海の油田問題で、貴方の毅然とした外交姿勢は資源外交の重要性・国益を守るとは何なのか、ということを私達に身をもって示してくれました。

安倍内閣が誕生した時、私は迷わず貴方に政調会長就任をお願いしました。平成19年1月通常国会で昭一さんは代表質問の壇上に立ちました。その冒頭、昭一さんは張りのある声でこう切り出しました。「国家の骨格を成すものは、憲法・安全保障・教育であります」結びで「アインシュタインが称賛した日本人の謙虚・質素などの美徳を保ちつつ、誇りと自信を持った国民によって、見える部分、見えない部分も共に、真に「美しい国日本」が実現されるよう全力を挙げて努力することをお誓いします。」と述べられました。

まだまだ国家のために一緒に戦ってほしかった。私たちは貴方を必要としていました。こんなことを申し上げていると、あの魅力的で誰をも虜にする、はにかんだ笑顔で「そんなに褒めるなよ安倍ちゃん」という昭一さんの声が聴こえてくるようです。国家の行く末、残されたご家族、昭一さんにとって心残りだと思います。そして私たちは、あなたが目指した誇りある日本をつくるため、保守再生に向けて全力で取り組むことをお約束し。弔辞とさせていただきます。昭一さん、さようなら。安らかにお眠りください。

友人代表 衆議院議員 安倍晋三
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在りし日の盟友 日本を……

安倍晋三さん。悔しかったでしょう。拉致問題も解決できなかった。領土問題も美しい日本を取り戻すことも、自民党最大派閥とはいってもまさに玉石混淆。何とかしなければというあなたの思いは感じていました。前記の弔辞。昭一さんのところを晋三さんと言い換えれば全くあなたに捧げる言葉になるではないですか。
社員20名に満たない零細のトップの私でさえ思い通りにならず力不足に悩む日々です。

今の心を失いつつある日本人のトップになって国を動かすことの難しさ。一時は、あなたの行動を物足りなく思ったこともありましたが今ではわかります。貴方も自分の力不足を感じておられたことそして何より憂国と無念の想いを。

 #安倍さんありがとう

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