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社長ブログ

日清日露大東亜(6)日露開戦の背景

2021年02月28日

時間が空きましたので再確認です。第2次大戦までは帝国主義の時代です。欧米列強が武力でアジア/アフリカを

植民地支配していましたが正当な権利とされていました。これを現代の感覚で非難することは間違っています。

また、当記事は私の主観で書いていますので疑問や大事だと思うところはファクトチェックをお願いします。

帝政ロシアはバルカン半島の南下政策で

イギリスと対立しアジア方面へ進出し日本にとっての脅威となっていました。

 

1860年にはアロー戦争(第2次アヘン戦争)で英仏と清の仲介に乗じ清との国境線を変更しウラジオストクを手にします。

 

地図をみると日本海に不自然に伸びた国境。ロシアの不凍港はこうして生まれました。

(シベリア鉄道はモスクワとウラジオストクを結ぶ長大な鉄道です)

 

ウラジオストクの語源はいくつがありますが概ねウラジ=「治める」「占領」+ボストークvostok「東」で「東方を支配せよ」という解釈になります。この重要な位置と意味(日本の隣の不凍港)は現代に繋がっています。

日清戦争後でも日本は三国干渉によりロシアに権益の一部を放棄(遼東半島はロシアのものに)させられました。有色人種初の帝国主義国日本でしたが白人列強の傲慢に日本国民の不満も積もっていました。

 

ここでイギリスと日本の利害が一致します。お互いのChina・Koreaの権益を認めてロシアの膨張に対抗する目的で「日英同盟」が締結(1902年)されます。日本にとって最初の軍事同盟でした。(この同盟が長く続けば日本の運命も違ったものになったはずですが20年後第一次大戦の戦勝国(米・英・仏・日)の4カ国条約により失効しました。後々のことを考えると残念です。)

 

余談ですが本当は支那としたいのですがChinaと書きます。支那は決して侮蔑する言葉ではありません。満州に派兵された私の祖父は愛をこめて支那/支那人と言っていました。しかし、不快な思いをする(そう思わされている)人がいるというのでChinaと書きます。ただChinaは地域の名前で当時の国名は「清」です。Chinaは易姓革命の国ですから王朝が変わると違う国になるのです。清は漢民族の明に代わり1616年に建国した満洲民族主導の国です。

1900年、列強うごめく清朝Chinaで義和団事件が起こります。アヘン戦争以降Chinaにはイギリス・アメリカ・フランス・ドイツ・オーストリア・イタリア・ロシア・ベルギー・日本などが租界と呼ばれる外国人居留地を持っていて清の国力は低下していました。反キリスト教の宗教団体が義和団という組織を作り排外(外国排除)武力活動を起こします。清朝末期の西太后は初め鎮圧しようとしますが反転し義和団を支持し外国に宣戦布告します。

 

日本を含む8カ国が連合軍として2か月で鎮圧しました。連合国の兵力7万、清側20万、日本兵の犠牲者757人。外国人教会関係で約240人、China人のキリスト教信者は2万3千人が犠牲になったと言われています。日本兵に犠牲者が多いのは、地理上Chinaに近い日本とロシアの派兵数が多かったことも要因です。

 

義和団事件の結果、勝者である列強の意向やそれに伴う賠償金により清国の衰退と植民地化が一層進むことになります。また、日本が日露戦争に踏み切る原因にもなりました。

満州還付条約調印で出兵したロシアはChina東北部の満州を一時的に占領し1年半のうちに3度に分けて完全撤兵する約束をしたのですが姑息な手を使って実質的に約束を守らず居座ります。地図を見ていただくとわかる通り満州地方はウラジオストクとKoreaに接し、ここを抑えられると地理的に日本にとってKoreaが最後の砦となります。ロシアはKoreaにも触手を伸ばします。

 

1903年、満洲還付条約が帝政ロシアにより破棄されます。満州に兵を置き旅順に総督府を設置し奉天を占領。日本の最後の望みは「満韓交換論」日本はロシアの満州での権益を認めるがKoreaでの日本の権益は認めさせることを図りました。最後の防波堤を守りたいという日本の願いが込められたものでしたが望みは絶たれます。ロシアはこれを拒否し日本は「窮鼠猫を噛まざるを得ない」状況になってしまいました。

 日本はロシアとの戦争は避けたかった。何しろ勝ち目がありません。日本とロシアとの国力、兵力差があまりにも大きいことを政府も軍も分かっていたからです。

 

負けるつもりで戦ってはいけませんが勝ち目がないとわかっていても戦わなければならないときがある。今の私たちには理解はできても実行できません。平和の祭典と戦争を比較してはいけませんがコロナ禍でのオリンピックを迎えた日本人の弱気発言が気になります。軍人勅諭には「命は鴻毛より軽し」などと人権軽視の部分もありますが一旦国家が決定したことはやり抜くという力があったことは羨ましく思います。現代の日本人が当時の人々より精神的に脆弱になったとすれば、それも問題だと思います。

 

その点はChinaの為政者を尊敬します。彼らは一旦口にしたことは何十何百年かかっても必ず成し遂げます。そのChinaと今の日本人が対等に交渉できるとは思えません。China数千年の歴史の中で一つの国が続いていた事実はありませんが常に大国でした。たまたまアヘン戦争以降の列強によって狂わされた統治によって一時停止していただけです。これから必ず復権します。そうしたとき我が日本が腑抜けの国になっているこの事実を為政者や若者は自覚して備え改善しなければなりません。

 

日露戦争で勝ち目のない相手にどう臨んだか次回以降に記します。(既に明治天皇の回線の詔勅は紹介済みですが)過去に学びせめて気持ちだけでも先人に続きたいものです。

 

 

 

 

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