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「新嘗祭」今は勤労感謝の日といいます。

斎庭稲穂(ゆにはのいなほ)の神勅(しんちょく)

 『吾が高天原に所御(きこしめす)
 斎庭(ゆには)の穂を以て(もって)
 亦(また)吾が児に御(まか)せまつるべし』
《私の治める高天原に作る神聖なる稲穂をわたくしの子孫に授けましょう》

天孫(天照大御神の孫神)瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国(なかつくに)降ろすとき授かった神勅の一つ。連綿と続く日本民族と稲作の関係を示す。

稲田は日本の象徴的な風景です。平地が少ない山野にも稲作は営まれてきました。営みとは連綿とした人生の繋がりです。私たち日本人は稲作を通して神に応えてきたのです。

神道排斥の戦後においては「勤労感謝の日」とされている今日、新暦の11月23日の元は「新嘗祭」であり、皇室はもとより日本全国の神社で「初穂を神にささげる」一年で一番大切な日といっても過言ではない神事が行われる時期です。工業交易が未達の時代。米の生育は死活問題です。気候や災害によって不作になれば何千何万という人が飢え死んでいきます。無事に米が収穫できるということは現代の価値では測れない意味のあるものでした。眞に神事なのです。

日本国内でなぜおいしいお米がとれるのでしょうか。日本の国土の中でも地方によって気候風土が異なります。その中でその土地にふさわしい稲穂が育ち米の収穫ができるのは神の御業と思われます。天照大神の「斎庭稲穂の神勅」をはじめに書きましたが、日本全国で神に渡された稲穂を守り育て感謝するということの繰り返しの中で品種改良が進んだのです。これを神意と呼ばずに何なのだろうと私は思います。

その年の初穂というのは、その土地で一番強く実った稲穂で、それを献上して翌年の種籾として苗を作った。毎年それを繰り返せば、その土地で最も強い種だけ残っていきますね。誰が考えたわけでもなく神に感謝する行為は自然に品種改良を進めるものだったのです。自然と神に感謝する行いから生まれることが大事だと思います。

今年も立派に穂が実りました。その感謝の気持ちを表して稲穂を神に献上します。我々は「勤労感謝」という言葉に置き換えられてはいますが勤労もまた神から与えられた役割だと考えた時。自分の意思とは異なる仕事に不本意ながら就いているとしても、神から与えられたものとしてその場で努力すれば、何かが開けてくるのです。同じようなことを、かの稲盛和夫氏も言っているのですから眞實です。

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