久々に身体のこと。これからと自分の考え

色々な方に私の身体の心配をいただいているので、今現在の状況と自分の考えを記しておこうと思います。
零細企業の社長として、これを書き残すことが良いのか悪いのかは わかりませんが、何よりもこのような状況でも今のころ前向きに生きていること(生かされていること)こからもっと厳しい状態になっても、気力を失わずに何らかの形で社会貢献していく意欲を持っていることは、お伝えしたいと思います。

先ずは状況からですが、検査結果を貼りました。
上の赤線がeGFRという糸球体濾過量(しきゅうたいろかりょう)でどれだけ腎臓が機能しているかという数字です。30%以下は重度腎不全の領域。沈黙の臓器である腎臓は機能低下が現れたら既に相当悪化しており、その後の推移は加速度的に悪くなるのが常です。私の場合は『多発性嚢胞腎』という遺伝性腎疾患の難病で 母はeGFRが10を切り人工透析しています。この難病は腎臓内に水胞できて徐々に大きくなり腎機能が低下します。難病の定義は原因不明で治療法がない進行性の病です。薬は頂いても治りません。嚢胞は肝臓他の臓器にも転移します。

下の赤線はLVEFという心室収縮機能の指標でポンプ機能を示す左室駆出率です。これも30%を切ると重度心不全の領域。診断名は『拡張型心筋症』=難病です。腎臓は透析すればよいですが、心臓は交換する以外治癒しないといわれています。発症7年、その場で入院となった時LVEF10以下(首から心臓にカテーテル挿入治療)3週間退院後の一番良い時で40、その後30台をキープしてきたのですが 昨年急に20%台に入ってしまいました。

心臓も腎臓も血圧を下げる治療は同じですが、決定的に違うのが水分です。心臓は負担軽減のため身体を脱水に近い状態にするのが理想です。ですから降圧剤と利尿剤が処方されます。しかし逆に腎臓は脱水が禁忌です。利尿促進は腎機に悪いのです。これまで人工透析が嫌で腎臓の数値を下げないように薬を処方してもらってきました。そうしたら心機能が低下してしまいました。病院も埼玉医大の腎臓高血圧科に行っていましたが、県立循環器呼吸器病センター(心不全で入院した)に戻してもらいました。
そうです。腎臓はある程度諦めて心臓を温存する方向にしたのです。

しかし少しショックなことがありました。一般的に人工透析は腕にシャントというものを作ります。これは透析時に普通の血管に針を刺したのでは流量が足りないので、腕の血管の動脈と静脈を直接つなぐ手術をして流量を上げてそこに針を刺すのです。シャントでは血が流れる音がして血管が膨張します。それだけ心臓にも負担がかかるのです。そのためLVEF30%以下ではシャントが作れないと言われました。

私は腎臓が悪くなったら透析すれば良いのだと漠然と思っていたところに現実を告げられてとてもショックでした。透析も嫌です。年間に500万円も掛かるのですよ。しかも本人負担は月1万円。残りはお国に、健常な皆さんの税金や保険料で面倒をみていただくわけです。肉体的精神的な苦痛(それで自殺してしまう人もいるそうですが)以上に そのことを思うと感謝以上に申し訳なさが湧いてきます。だから2型糖尿病など防げる可能性があるのに透析になる恐れのある人は心から注意するようお願いします。

残された現実的な最善の道は腹膜透析をしながら仕事を継続すること。腹膜透析はカテーテルを常に自分の身体に挿入しておき、腹膜を使って濾過する方法です。透析液と廃液のパックを繋いで日中に行う方法は透析液のパックは点滴のようにぶら下げて排液のパックは下に置き落差で透析するのです。血液透析と違って毎日、朝昼晩3回ほど行わなければなりません。(夜間機械で行う方法もありますがいずれも毎日です) しかし、重大な問題は今のところ腹膜透析は腹膜の状態から5年から7年ほどでできなくなるという事です。私は新社屋の返済期間である10年働きたいと考えていたのですが、心臓と腎臓がそこまで持つかわかりません。否々、自分の運命は誰にもわからないのですが確率的にはどうでしょう。 次に私の考えを述べさせていただきます。

 私は自称『光明思想』を学ぶものとしてこの状況に対峙していくつもりでいます。誰もが そこに、今の場所に「置かれる」のです。それぞれの役割をもって。自らの置かれた状況や原因は自らが深慮反省して、そこから何かを学ばないといけないと思います。そしてその状況の中でベストを尽くすことが、その環境を与えられたものの使命です。その点からいって今私の置かれた立場は、この状況からどんなことをして自分だけが抜け出すかではなく、この現実を受け止めて多くの人が選択できる方法でどう生きることを示すかではないかと思っています。ですから私は発信し続けたいと思います。私がこの先どのように社会とかかわっていけるかを。腎臓も心臓もストレスはいけないと言われます。ストレスのない零細企業の経営者がいるでしょうか、大なり小なり全ての人にはストレスがあります。そんな中で病気になる人とならない人がいるならば、病気にならない生きかたを多くの人にしていただきたいものです。

私は思います。大東亜戦争を生きた人、偶然知った藤井一中尉ご一家の顛末。ほんの何年か運命がずれていたら、きっとあの悲劇は起こらなかった。しかし、あの時代だったからばこそ私たちに残していただいた教訓として大きく残るのだと。残さなければならないのだと。

私の親族でも大好きだった祖母や それ以前の会ったことのない親族について考えます。代々我が母家系は腎臓や心臓が原因で早世したものが多いのです。叔父は48歳、又従兄弟は39歳。今の時代だったら死なずに済んだかもしれない。今だったら・・しかし今ではなかったことに意味があると思うのです。あの時代にああいう形で亡くなったので今の私に伝わるものがあるのだと。ならば私も、もっと未来に生きたなら とか人と違う特別な治療法を受けて逃れようということではなく、今の時代多くの人が選択せざるを得ない方法の中で自ら選択して前向きに生きることを見せることが、きっと誰かの心の中に私の生き方の教訓として残ってくれるのではないかと。

ご心配いただく多くの方に感謝します。皆様ありがとうございます。
そしてお約束します。いつになるかわかりませんが、お別れの最後まで逃げることなく自暴自棄に陥ることなく明るくベストを尽くし生き切ることを。

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