令和4年 敗戦の日に思う。

2年前の8月の記事を見なおしてみました。
2020年08月11日 近づく敗戦の日に思う。
2020年08月15日 令和2年 敗戦の日に想う
2020年08月29日 安倍総理辞任に想う

2年で安全保障面がどう変わったでしょうか。ウクライナにロシアが侵攻し現在進行形で戦争を目撃するとは。日本の排他的経済水域にChinaのミサイルが5発撃ちこまれました。それは懸念であってないだろうと思われていたことが現実に起こっていて日本は両国の次の標的になろうとは。戦後教育によって近代史から思考を遠ざけられている若い人たちにこの時期だから参考になる記事を書いておきたいと思います。

この厄介な極東アジアの太平洋に大陸の防波堤のように浮かぶ日本列島。地政学上問題がある位置にあるという自覚を先人は持っていて常にその懸念の払しょくに努めてきた事柄が近代史を形作っているといえます。過去記事とも重複する部分がありますが例によって長文になると思います。地政学上の位置を示す地図は再掲です。どう見てもロシアやチャイナのような専制主義国から見て邪魔な位置にあるのが日本です。

専制主義というのは民主主義と違って実質選挙があっても形式的なもので為政者が独裁的に国を動かすことができるという決定は早いが間違った方向に進んでも誰も止められないような仕組みのことです。

国際社会に翻弄利用される日本。道を誤らないためには歴史を知ること。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」未来を予想するためには正しい歴史を知らなければなりません。自虐教科書やマスコミの知識だけでは誤った予想を立ててしまうということです。

2年前には思いもよらなかったこと。「ロシアのウクライナ侵攻」と「台湾有事は日本の有事」と言っていた安倍晋三元総理の死と同時に現実味を帯びてきた「台湾有事」これらの歴史的背景を自分なりにまとめます。ですがやはり最後は自分で調べてください。広遠で素人には手に負えませんから。

先ずはロシアからです。あくまで近代史でロシアといえば始めは「帝政ロシア」です。1721年から1917年までは王を戴くロシア帝国でした。最大時世界人口の1/10人類史上3番目に大きな領土を持つ国でした。Chinaの中華思想にしてもロシアの帝国主義にでも彼らにとっては輝かしい過去であり本気で復建させたいと思っている。ここが問題です。自分たちが一番なのです。帝政ロシアが滅んだ1917年といえば日露戦争から12年後の第一次世界大戦中です。戦争続きで困窮した民衆の中にルサンチマン思想が広がり2月革命、3月革命を経て10月革命でマルクス主義革命家レーニンが人民委員会議長となりロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国が成立します。1919年にはコミンテルン結成されます。コミンテルンとは共産主義インターナショナルCommunist Internationalの略。第三インターナショナルとも呼ばれます。共産主義、これが一つポイントですね。レーニンの死後スターリンがソビエト連邦共産党指導者となりますが共産主義の宿命か王家や貴族といった階級は廃止されましたが新たな独裁階級が生まれただけで国民が求めた平等は得られませんでした。真の共産主義は絶対的に誤らない絶対的指導者の下でしか成り立たない副作用の大きい夢の制度です。

帝政ロシア時代から強国の南下を恐れて日清(1894)日露(1904)を戦った日本に新たに抗赤化・防共という難題が加わってしまいます。日清日露に勝利したはずの日本は朝鮮半島を防共の砦とすることに失敗し満州に活路を求めますがロシアから近すぎたことChina大陸で欧米の理解を得られなかったことで孤立しました。これはベノナ文書(ヴェノナファイル)の公開で1930年-1940年代末にアメリカの政府/諜報/軍関係/民間組織などに数百人単位のソ連のスパイが入り込んで米国政府の政策や意思決定をソ連の意図通りに進める工作を行っていた間接侵略状態だったことが分かったことで日本側がどんなに和平を望んでも巻き込まれる運命にあったということを示しています。現代の人たちに問います。いま皆さんは目に見えること。報道されて聞こえてくる情報がどのような意図をもって誰かに流されているものである危険性をどれだけ意識して分析していますか。当時の日本人の中にも分かっていた人もいたと思いますが多くの為政者や国民は知らない間に巻き込まれていたのです。孫文や蒋介石という知日派の民主運動家となぜか戦うことになり事変だった日支関係が日中戦争と呼ばれ短期で解決するはずだった事変で欧米がヴェノナファイルの示すようにコミンテルンの戦略によってChinaを支援し、気が付いたら中国共産党が中華民国の蒋介石を台湾に追い出して戦勝国側になっていた。いや国際連盟が立ちあげ初期の常任理事国は中華民国(台湾)とソ連だったのに中華民国は追放されChinaが、ソ連崩壊後にロシアがその御地位についています。

皆さんは、こういったカラクリや国際社会というものがいかに一部の人間の意図で決定してしまうものか理解していますか。日本はいつも被害者です。それは日本にしたたかさが足らないのです。正直者が馬鹿をみるのは正しいことではありません。でもその馬鹿をみてしまう側にいつも日本はいるのです。正直とは言わないけれどもっとうまく立ち回れば違っていただろうということばかりなのです。現代でも、そしておそらくこれからも。だから気をつけなければなりません。目に見えていることだけが真実ではありません。

8月になると毎年、大東亜戦争と日本の歴史についての情報と反戦平和に名を借りた戦前日本の否定の記事や報道が双方から出てきます。これを両側から切り分けてみていかないと一方に流されます。私自身にもバイアスがかかっていると思って読んでください。

北ではアラスカはアメリカ圏、千島列島はロシア圏になっています。誰がいつ決めたのでしょうか。もともとアメリカにはアメリカ人はいませんでした。ロシアに及んでは100以上の多民族国家です。数万年単位の単一民族国家などまずないということです。どの時点まで遡って領土主張するのでしょうか。それは置いておいて。以前書いた記事のように国境という概念が生まれて以降。現在においても国後・択捉・歯舞・色丹がロシア領であったことは一度もありません。大東輪戦争当時ソ連は極東で「日ソ不可侵条約」ドイツとの間に「独ソ不可侵条約」を結んでいました。それは皆さんご存じでしょう。それを破棄して攻め込んできたことも。そのことについてテレビでも放送していましたので少し詳しく記しておきます。

前記事 半旗の「海の日」に書いた鹿屋基地から特攻した。西田中尉の言葉「負けたとしても、われわれの生命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっていますよ。そう。民族の誇りに」通り日本は有条件降伏を勝ち取ります。(断じて無条件降伏ではありません)いずれ「昭和天皇終戦の詔勅」で書きますがアメリカが本土上陸を諦め有条件降伏という講和の条件を提示(国体護持)したのは先人の命(死に方)と引き換えであることを忘れてはいけません。原爆を投下されても戦争継続でしたが1945年8月14日昭和天皇陛下が終戦の詔書に署名され15日、昭和天皇のご決裁によりを戦争休止の玉音放送を行います。陛下は開戦の決裁はされませんでしたが自らはどうなってもという覚悟で終戦の決裁はなされたのです。9月2日戦艦ミズーリ号で降伏調印します。その間8月6日に広島、9日に長崎に原子爆弾が投下され10万人ずつ無差別に殺されました。戦争法違反ですね。3月10日の東京大空襲の死者も10万人の一般市民が犠牲になりました。木造の家屋が良く燃えるように焼夷弾を開発したそうです。立派ですね。勝てば無差別殺人の戦争法違反も不問にされるのです。否ソ連の話をしていたのでした。

「日ソ不可侵条約」を結んでいたはずのソ連が条約を破棄して満州に攻め込んだのが8月9日です。11日に南樺太。南樺太や千島列島は日本領でしたから多くの島民が逃げまどいます。8月15日、日本軍は武装解除の命令が出て武器を放棄してもソ連軍は攻めてきます。アメリカも戦争法違反、ソ連も。でも今悪者になっているのは日本です。私には理解できません。

樺太の真岡郵便電信局事件を映画化した『樺太1945年夏 氷雪の門』はソ連の圧力に屈して上映中止が相次ぎました。日本人が実際に受けた被害も外国の指示で表現できない国って何ですか。表現の自由なんて言う言葉、日本人は恥ずかしくて使えないですね。ソ連の侵攻が止まったのが9月5日しかし60万人の日本人が捕虜となりシベリアで抑留、強制労働させられ5万5千人が亡くなります。人権蹂躙です。これに抗議しない日本人は人権を語る資格なしですね。一番長い人で10年超 数年から5年程度抑留は続いたのです。国際社会はそれを黙認しました。ウイグル・チベット・北朝鮮の拉致をみれば現代においても他の国は助けてくれないということはもうお判りでしょう。

樋口季一郎中将のことを書いておきましょう。ソ連スターリンは北海道の北半分。あわよくば北海道全体を手に入れようと思ったのです。マッカーサーの忠告も無視して。北海道占領を阻止したのは樋口季一郎中将の独断です。既に統帥権を失って一般人の扱いでしたが樋口中将は大本営にはお伺いを立てず、独断で千島列島を守っていた第91師団の堤師団長に「断乎反撃に転じソ連軍を撃滅すべし」と命じます。彼等は千島列島占守島をはじめ勇敢にこの自衛戦闘を闘います。日本軍は18日でソ連側も戦いをやめると予想しますが戦闘は継続され日本軍が600~1000人、ソ連軍が1567~3000人の死傷者を出す激戦となりました。最後は停戦協定によって武装解除となり降伏した日本兵やはりシベリア送りとなります。スターリンは北方4島の占領で妥協します。樋口季一郎中将が北海道を守ったのです。

樋口季一郎といへば、よく外交官の杉浦千畝がユダヤ人にビザを発給して命を救ったと美談になっていますが、ユダヤ人を差別せずに救ったのは日本の国策であり中心は軍人です。杉浦千畝が発行したビザでの入国者6千人、その2年前昭和13年、満州関東軍の特務機関の機関長だった樋口季一郎がユダヤ人難民の入国を許可した数は2万人。時の参謀長は東条英機。お分かりですか。日米開戦後も犬塚大佐らのユダヤ人保護工作は続きます。ナチスドイツが同盟国であっても、ドイツからの抗議があっても人権優先と突っぱねたのが日本軍人です。ドイツで開発したガス室を提供するという申し出を阻止したのが犬塚大佐。大戦中も「上海は楽園でした」という言葉を残した難民生活を経験したユダヤ人女性の逸話がありますが、その楽園の守護者も犬塚大佐でした。その元となるのは昭和13年12月の五相会議(近衛文麿首相・有田八郎外相・板垣征四郎陸相・米内光政海相・池田成彬蔵相兼商工相)で策定した猶太人対策要綱(ゆだやじんたいさくようこう)「猶太人ニ対シテハ他国人ト同様公正ニ取扱ヒ之ヲ特別ニ排斥スルカ如キ処置ニ出ツルコトナシ」(ユダヤ人を他国人同様差別してはならない)という八紘一宇の精神です。人権に対して堂々とものが言えた日本。今の日本はChinaや朝鮮の人権問題にダンマリです。

負けた日本のほうが人権先進国だったということが良くわかります。
南に行きます。前記のように且つての夢のような大国は、その時代の自分たちのことを真の姿だと思っています。それはお互い様だと思います。私も明治のころの日本が良かったなどと言っているのですから。しかし彼らは他国を巻き込んでそれを再現する再興するのだと本気で考え実行しようとします。そこにさらにファンタジーを加えてくるので困ってしまいます。北海道にも沖縄にも縄文人がいたはずですが、そんな太古の事を考えると収拾がつかなくなるので、ここ数百年間のことでいうと琉球王国という呼び方はなく琉球または琉球国です。王という存在はどこへ行ったのでしょうか。琉球王朝の尚氏は東京で華族になったのです。他の華族同様、現在はGHQのおかげで一般人です。その琉球を琉球王国と呼んで日本が侵略したと思わされている人がいます。前記のようにソ連崩壊後のロシアも中華民国からすり替わった共産主義のChinaも新しい国で明や清とは場所は同じでも違う国です。その国が我が北海道や沖縄を狙っているのです。

ウクライナもロシアと一緒の連邦だったことはありましたが今は独立して政治体制も違う国家でした。しかし端っこから狙われました。ロシア系住民の保護という名目で。日本も危ないのは端っこです。北海道の先住民アイヌはカムチャッカから渡ったロシアの先住民族であると公言する人がいます。明や清と冊封体制という交易のあった沖縄は元琉球王国で日本に奪われたのなので独立復帰させよう運動があります。マスコミや政治家が外国の宗教団体にコントロールされるように。我々もマインドを少しずつコントロールされていることに気付かなければなりません。そうやってわからないようにジワジワと思いこませてできれば武器を使わずに屈服させるのが孫子の兵法「戦わずして勝つ」です。経済でも食料でも安全保障でもあらゆる方面から仕掛けられています。詰将棋のように気づいたら武器では守れなくなって武器を使うまでもなく相手を自分の支配下に置く。それがベストの戦い方です。そういう意味ではロシアは焦ってしまいましたが、お隣の自称数千年の歴史の国はもっとしたたかです。一度口にしたら何十年何百年かけても絶対に達成するという意思をもって力を蓄えています。日本ももっとしたたかにならないと、それらの国と伍していけません。方法はともかく日本人、一人一人が歴史から学んで備えないといけないということです。賢者は歴史に学ぶのです。

安倍晋三元総理は晩年嘆いていたようです。自民党の中に保守の皮を被った非保守の政治家がたくさんいることを。そうなると排除しようがありません。安倍さんに出来ないのですから安倍さん亡き今、美しい日本を取り戻すことはできるのでしょうか。誇れる日本人はすべて足を引っ張られて表舞台から消え去り先人から託された民族の誇りも誰が守っていくのでしょうか。お盆の線香の前で心細く祖先に祈るばかりです。

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