#憲法記念日

5月3日『憲法記念日』は国民の祝日に関する法律に「日本国憲法の施行を記念し国の成長を期する」とあります。国際状況や日本のことを知らない日本人が増えている現状を考えると遅きに失した感はありますが憲法について皆で考えることが必要でしょう。改めて書きますが私は専門家や学者ではないので事実の確認や考察は其々で行ってください。ここに書いてあるのは私の史観(私感)です。

大日本帝国憲法の時代が全否定されていること。その時代の歴史や民族教育が行われていない。一種タブー視されていることが現代日本人の一つの罪であるとさえ思っています。形だけの日本は残っていますが中身が問題です。法務省のHPには「日本国憲法とは、自由で公正な社会を築き、支えていく上で重要な国家と個人、あるいは個人相互の基本的な在り方を、国民自身が定めたものであり、本来、私たちにとって身近でなければならないものです」とあります。さて、現在私たちが戴いている日本国憲法はその趣旨に準じているのでしょうか。成立のいきさつはどうだったのでしょうか。現在の憲法は1946年11月3日に公布され翌年5月3日に施行されたものです。

連合国の指導の下策定された憲法であり占領下におかれ自主権が制限されている状態でのものですので文脈や文法がおかしいなど基本的な問題はあるものの当時の国家国民が選択した結果と言えないこともないですし受け入れなければならない立場だったのですから無効だと否定する主張も無理があると私も思います。ただもっといけないのは独立を果たして自主権が与えられ自由民主党という改憲を党是とした政党が与党を担っているにもかかわらず1度も改正どころかまともな議論も70年近くしてこなかったことです。WW2の日本・ドイツ・イタリアの同盟敗戦国でさえイタリアが15回、ドイツが58回の憲法改正をしています。日本は一言一句変えていません。「完全無欠だから変えない」「変える必要がないから変えない」「変えたら戦争を起こす」といろいろ考えはあるのでしょうが、議論さえしないというのはどういうことですか。

そうかと思うと平成24年 4月に自民党が出した「憲法改正草案」あれはショック療法的な考えがあるのか少々強引な感が否めません。それを党として出すことで論議を始めるきっかけにしようとする意図があったのかもしれませんが内容が強くて抵抗を感じる部分もありました。しかし為政者が国民の生命と財産を守るとすることが使命の第一義であるなら憲法という国の在り方について理想を語ったり変更について議論をしたりしてこなかったことは無責任の極みです。現にウクライナはロシアによる侵攻を受けています。ロシアは迫害された国民を守る平和維持活動と言い。日本は侵攻と言いい諸外国は侵略戦争と言っています。立場によってとらえ方が様々だということを学びました。そうすると日本がシナ事変から大東亜戦争に至った経緯も当事者であっても正確なところは検証不能なのだろうと察せられます。現在進行形でも何が真実かわかりませんから。とにかく戦争は勝った側の理論が正しいということになります。歴史さえ上書きされる可能性もあります。そのことは敗戦国民として知っておいたほうが良いでしょう。

ウクライナでの戦争行為が行われる前は憲法について日本の理想的な姿や国の在り方について書くべきだと思っていましたがどうやらそんな悠長なことも言っていられないようです。見れば見るほど日本というのは難しい位置にあるものです。この地図に国名を入れていってごらんなさい。問題のある国ばかりです。

4月1日ロシアの野党「公正ロシア」の党首セルゲイ・ミロノフが「一部の専門家によると、北海道の全権はロシアにある」という発言したことを脅威に感じた人も少なくないはずです。この発言の伏線は「ロシア人開拓者が交易のために開発、植民地化を行い利用していた。そこ(北海道)にはアイヌ民族が住んでいた。サハリンやウラジオストク近郊、カムチャッカの南部に住んでいるのと同じ民族で、ロシアの民族のひとつだ」「ロシアがどう対応しなければならないかは不透明だ」

そう、ロシアのクリミア併合と今回のウクライナ東部侵攻は彼らにとっては自国系民族の解放という名の平和活動です。同じ動機が日本に対してもあって決断さえすれば実行する用意があるということを言っているのです。もう一つ警鐘を鳴らしておきます。北海道の先住民がアイヌであるという刷り込みです。政府も認めたこの史実。歴史書の95%もそうなっていますが、これはロシアの主張を肯定するものになっています。北海道は確かにアイヌ民族が住んでいますが、それ以前に住んでいた日系人がいたのも事実です。しかし一方の主張が強く反映されて補助金や施設建設が政府の後押しでできていて何れも「アイヌが迫害された歴史」というストーリーになっています。(そういった事実を否定するものではありません)同じく沖縄でも琉球王朝が日本により併合されたという歴史観があります。どっちもどっち論というのは良くないことですが、アメリカ、オーストラリア、カナダなどもその理屈からいうと民族の正当性を失ってしまいます。このような刷り込みが政治レベルや知性の高い人たちの中で起こっていることを知れば、いかに今危機であるかがわかります。北と南の端で民族解放と叫べば平衡な軍事力を持たない日本に対して強硬に侵攻する国があっても不思議ではない流れ。それに加担しているのも日本人という矛盾と理不尽。私はこういう事柄こそ多くの人に議論してほしいと思います。

北方領土に関してどれほどの人が関心をもっていてどの程度の知識があるのでしょうか。国の端ほど危ないのです。日本の場合は北海道と沖縄。対馬あたりでしょうか。今回は北方領土について私がお伝えしたいことを書いてみたいと思います。というのも私の父は北海道紋別郡湧別町の生まれです。オホーツク海に面しサロマ湖に挟まれた場所。東京へは就学当時36時間かかったとか。最果ての地です。今回の悲しい知床の海難事故で国後島の近さを改めて感じた方も多いと思います。日本領ですが実効支配されているために許可なく入ることができません。実に理不尽ですが力による現状変更は許されてしまうわけです。

国後も歯舞群島も歴史の正当性などどうでも不法占拠だろうとなんだろうとロシアの実効支配のほうが正当ということになるのです。Koreaに不法占拠されている竹島も同じです。

2006年8月16日、歯舞群島付近でカニかご漁船をロシア警備艇が追跡のうえ銃撃により漁師さんが死亡する事件がありました。あのニュースで私は目が覚めました。同じく不法占拠されている竹島でも過去に8人殺されているのです。日本領で日本国民が拿捕されて殺され。何もやり返せないのが日本です。それでよいのですか。

カムチャッカ半島から択捉島の隣の得撫島(ウルップ)まで伸びる列島を
日本名で千島列島。ロシア側(英語も)ではクリル諸島と呼びます。

千島列島は25程度の島からなります。50Km2以上は以下の13島です。

北千島=①占守(しむしゅ)島②阿頼度(あらいと)島③幌筵(ほろもしり)島
中千島=④温禰古丹(おねこたん)島⑤春牟古丹(はるむこたん)島
    ⑥捨子古丹(しゃすこたん)島⑦松輪(まつわ)島
    ⑧羅処和(らしょわ)島⑨計吐夷(けとい)島
    ⑩新知(しんしる)島⑪得撫(うるっぷ)島
南千島(日本)=⑫択捉(えとろふ)島⑬国後(くなしり)島
色丹島(しこたんとう)と歯舞群島(はぼまいぐんとう) は50Km2以下
歯舞群島=貝殻(かいがら)島/水晶(すいしょう)島/秋勇留(あきゆり)島/勇留(ゆり)島
志発(しぼつ)島/多楽(たらく)島他

カムチャッカ半島に一番近い=①占守(しむしゅ)島と日本との国境⑪得撫(うるっぷ)島は覚えましょう。

日本はサンフランシスコ講和条約で千島列島の領有権を放棄しましたがソ連は条約に非加盟であり国後/択捉/色丹/歯舞群島等の南千島はロシア(ソ連含む)領になったことは一度もないというのが正史です。(何度も書きますが正史は力の前に無意味です)

千島列島に樺太(サハリン)を含めロシアと日本は国境を接しており幾度となく境界が変更されてきました。その明確な歴史の初発はともかくロシアが樺太、カムチャッカの南部と同じ民族が北海道に住んでいると言っていることからこれまでの国境の概念は意味をなさないでしょう。ウクライナを見ていればわかりますね。ロシアが勝てばすべての歴史は上書きされて正当なものとなるでしょう。ここで今回私が述べるのは日本人にしか通じない理屈ということになってしまいます。

万が一ロシアが自国民保護のもと平和維持活動といって北海道を併合したら今の北方4島と同じ運命になる可能性があるのです。憲法に何か書いておけば大丈夫などということはあり得ないのです。アメリカが助けてくれるかもわかりません。ウクライナに誰か助けに行ってあげないのだろうか。と日本人は思うでしょう。現実は助けてはくれません。あくまでも自国は自国民が戦って守るしかないのです。

意味のない理論を書いておきましょう。国境は幾度となく変更されてきました。上の地図が4枚並んでいる図は近代史で学ぶものです。

1855年 日露親和条約は米国(ペリー)に先を越されたロシアが最初の国境協定として締結したものですが樺太は雑居地して棚上げし、北方領土(択捉/国後/色丹/歯舞諸島)は日本が実効支配していたので得撫島と択捉島の間に国境を定めたのです。

1875年 樺太千島交換条約。これはちょっと重要です。なんで交換という言葉を使ったのでしょうか。樺太が自分のものだったら交換する必要はありません。樺太をロシアにしてください。占守島(シムシュ)からすべてのクリル半島は日本でよいです。ということになりました。

1905年 ポーツマス条約。日露戦争での多大な犠牲の下。戦勝国となった日本は当時代の常識としてロシアから南樺太(北緯50度以南)を割譲します。大東亜敗戦で当条約が元に戻ったなら理解できますが後に侵攻されました。

1951年 サンフランシスコ平和条約。北海道の割譲要求はアメリカの反対で通りません。終戦(1945年8月15日)の日前後に起こったことを日本人は忘れてはいけません。以下に記します。

1945年8月9日、日本の劣勢を見た当時のソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し満州に侵攻。11日、南樺太でも日本領へ侵攻。樺太の「真岡郵便電信局事件」は映画にもなりました涙なしには語れません。(調べてみてください)スターリンはヤルタ会談でルーズベルトとチャーチルとの秘密協定を結んでいたと主張します。(従軍した祖父が火事場泥棒と呼んでいたソ連。崩壊したのに国連常任理事国に居座る傲慢)当時日本軍にはポツダム宣言受諾のための武装解除(武器の放棄)の指令が出ていました。

8月18日、占守島の樋口季一郎中将は独断で自衛権を行使。すでに統帥権を失った軍隊。彼らは独断(自己判断)で日本を守ろうとしました。この戦いで日本人600~1000人の死傷者を出しましたが結果的に北海道は守られました。日本人の多くは8月15日で戦争が終わったと思っているでしょう。しかし北の果てで日本を守るために命を懸けていた者がいたことを忘れてはいけません。8月23日占守島の日本軍降伏(兵士はシベリア送りになりました)

8月25日ソ連が全樺太占領、同日択捉島、9月1日色丹島を占領。2日に国後3日に歯舞群島に上陸5日全島を支配下に置き戦闘を停止。スターリンは北海道を占領しようとしました日本軍(すでに軍ではなかったが)の抵抗とアメリカの反対により4島でとどまった形になりました。しかし4島は侵略されたのです。行われていることが今のウクライナの状況と同じですね。ソ連の言い分は「日本に不法に侵略されたサハリン(樺太)とクリル諸島(千島列島)を解放した」といものでした。戦後もシベリアに抑留された日本兵や満州居留民の惨状を見ればウクライナからロシアに送られる人々の先行きが心配されます。
(樋口中将が同盟国ドイツに抗ってユダヤ人を助けた話も調べてみてください)

ロシア(旧ソ連)の言い分は侵略そのもので過去のいきさつからの合理性もないということは図からもわかります。上の図(旧ソ連の教科書にあった記載 水津満著 北方領土奪還への道)からは昔からその野心があったこともわかります。教科書というのは国民を洗脳するにも使われるもので水津満氏の著書の中では様々な根拠が述べられていますが1940年を除く地図すべては1953年のソ連初等学校の歴史教科書を書き写したもので100年以上前には国後島まで自国領のように書いているものがあります。ただし歴史的根拠は全くありません。逆説的にも彼らが近代においては特に4島に関して日本領だと認識していたのは確実なのですが、そんな事実はのどうでもよいというのが残念ながら世界共通の概念なのです。日本の周辺国家が今起こしていることを見ればわかります。「話し合えば」とか「外交努力」などというものは軍事力が対等であることが最低条件として必要なのです。

実感はないかもしれませんが日本が正しく立ち振る舞っていれば日本の形はこうだったのでしょう。

さあ国の在り方。特に防衛と外交についてはエネルギーや食料自給力が低く、産業力も労働生産人口も低下気味の日本の死活問題です。

そういったことへの準備を怠ってきたツケを若い人に払わせるのでしょうか。私は忍びない。少なくとも戦後を生きてきた団塊世代以降の責任として国民の生命財産を守り発展していくための憲法改正をお願いしたいと思いますし、我々も無関心でいてはいけないでしょう。

最後にもし本気で憲法を改正してみたら今と一言一句違わないものになったというならそれはそれでよいのです。「自分たちのことは自分たちで決める」という心の持ち方が「自分たちのことは自分たちで守る」という当然の大人の国家になる道だと信じます。

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