敗戦記念日 追悼(2) 目的

いうまでも無く神社に参る目的は、慰霊と感謝なのですが、誰に対してということになると私独特の考えがあります。それは自分が そこにいるような気がするからです。主に大東亜戦争に関する本の中では、写真の3冊をから軍の思惑と現実のギャップに驚きます。餓死した英霊たちを書いた藤原彰氏は まえがきで「大量餓死は人為的なもので、その責任は明瞭である。そのことを死者に代わって告発したい」と書いています。私もその思いには共感します。他の2冊も含め、大東亜戦争関連の書籍は、現場の指揮官や参謀に光を当てたものも多いですが、今村均大将を始め公務死を免れた多くの指揮官が戦後、戦死者や遺族に対して深い贖罪の意識を持ち続けたというのは、逆に非人道的な大変ひどい命令を下さざるを得なかったということの後悔と懺悔が動機だろうと推測できます。

事実、インパールをはじめ、ガダルカナル、ニューギニアなど、制空・制海権を完全に握られ兵站(武器や食料の補給ほか戦力を維持する役割)が全く期待できないところに、何万人という赤紙で招集された素人徴兵軍人を送り込んで、何千キロも歩かせる。3千メートル級の山越えをさせる。体力が低下してマラリア・赤痢・デング熱にかかっても薬もない、食料さえない。無理というより滅茶苦茶。人間と思っていない。兵の命は鴻毛より軽しです。

戦死者のうちの餓死者の割合は、90%を超える厳しい地域もありトータル230万人の戦死者のうち140万人は直間接的な餓死であるということです。戦死じゃないでしょう。敵の姿を見ることなく死んでいく兵隊。
------- ガダルカナルの生命判断 ---------
・立つことのできる人間 寿命30日間
・身体を起こして座れる 寿命3週間
・寝たきりおきられない 寿命1週間
・寝たまま小便をする  寿命3日間
・ものを言わなくなった 寿命2日間
・またたきしなくなった 寿命 明日

恐らく、靖国に奉られている私は、敵の姿など見ることなく、人に迷惑をかけながら最後は泥に足を突っ込んだまま、またたきしなくなって死んだのだと思います。でも靖国神社に奉られてしまった。私、何の役にも立ってないのに、何にもできなかったのに英霊とか呼ばれて、こんなところにいていいのだろうか?そんな仲間が百万人単位でいるのです。戦闘機で敵艦当たれずとも飛び立った人。戦艦で沈んだ人。そんな散華と呼ばれる立派な亡くなり方でなく、人知れずもののような扱いを受け、自分は無駄死にしたんじゃないかと思っている霊がたくさんいるのです。

だから私は靖国に行く
「出征してくれただけで充分。心から感謝します。安らかに」と告げに。

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