日本神話番外 『ことよさし』(言依さし・事依さし)

私がブログを書いているのは いずれ私がいなくなることを考えてのことです。
読み主の対象は不特定多数の若人、最も読んでほしいのは弊社社員社員諸君です。
その想いは残念ながら僅か20名足らずの社員にさへ伝わらないのです。
本稿では「ことよさし」を取り上げます。「言(事)依さす」とはなんでしょうか。
私の古事記解説解説では(4)地球誕生の段で
『天津神が伊邪那岐命、伊邪那美命 二柱の神に国を固め成せと言依さし賜いき』と(14)三貴子誕生の段で神々に『○○を知らせ」と事依さしたまひき』とあるように神の勅命(詔(みことのり))というべきものです。

この「ことよさし」に対して前記事、建速須佐之男命は「なきいさち」で応えてしまったのですから、今でいう仕事から外されてしまってもしようがありません。

では、現代人である私たちに「ことよさす」のは親御さんや上司なのでしょうか。もっとも、直接声に聴く、形を見るのは人間なのだと思いますが、あなたが今ある位置や立場に導かれて何かをしなければならない状況の全てが神(目にみえないもの)の「ことよさし」なのかもしれません。(本当はなのです。と書くべきところですが、ブログなので、かもしれませんにしておきます)

自分で選択した、していないにかかわらず自らの置かれる状況はすべて「ことよさし」(神託)であるということになれば、何気ない一つ一つの行動、仕事で直面する困難や喜びの全てが、重い意味のあることだということがわかると思います。

ですからどんな小さな一つ一つの行いや所作も疎(おろそ)かにしてはいけないのです。そんなに重く考えなくても良いです。日本の神々は、かたちのない天之御中主神(中心を貫く中道の理念)を通して、現在も天皇に顕現するところの神(国民を大御宝(おおみたから)と呼びその安寧と平和を祈ることを仕事とされている)に表れている優しい柔らかい大慈悲の神(理念・理想・秩序)ですから。

吾々人間は、嗅覚(物質)で集まる線虫ではないのです。創世記でいうところの神は自らの姿に似せて人間を造ったところの人間なのですから、自らが置かれた場所が「ことよさし」によって与えられた場所であり、為す仕事も「ことよさし」によって与えられた仕事なのです。

私も零細企業の社長として、たまたまそこに置かれました。そこで天の声に基づいて事業を進めさせていただいています。どう進めばよいか、何が正しい道であるかは日々の祈りや行動を正して導かれる(毎日の祈りで正しい方向にお導きをお願いしています)ままに進んでいます。かの大実業家、稲盛和夫京セラ名誉会長の「動機善なりや、私心なかりしか」は敬愛する西郷南洲先生の遺訓からのものかもしれませんが、私も経営者の端くれとして、知行一致の現実では遠く及ばずながら、「正しい導きに正しく乗って正しい道を進みたい」と心がけ実践しているつもりです。

回りくどくなりましたが、私の元に神縁によって集った社員にはせめて私の考えを理解して、その後を追っていただきたいと思います。せめて私が経営者として存在している間は、欲を言えば創業の理念である社是『感謝の心』『和の心』は私の入社前に定まっていたことでありますが、奇しくも、その意味は現在私が説く経営の理念と同じですので会社が存在する限り、その理念を持つ集団であり続けていただきたいと思います。

だから改めて社員諸君に言います。『ブログ特に神話の部分をよく読んで自分の仕事の羅針盤にしなさい』

本日はここまでと致します。

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