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日本神話(21)神やらひ 穀物・お蚕の祖

さて、天照大御神が天の岩屋戸からお出ましになり、高天原(天上界)も葦原中国(地上界)も明るさが戻りました。今のコロナ禍の世界も早く天照大御神のお出ましが待たれます。一方の須佐之男命はどうなったのでしょう。

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是(ここ)に八百萬(やおよろず)の神、共に議(はか)りて、速須佐之男命(はやすさのおのむこと)に千位置戸(ちくらおきど)を負(お)おせ、亦鬚(またひげ)を切り手足の爪をも抜(ぬ)かしめて、神(かむ)やらひやらひき。又食物(また おしもの)を大氣都比売神(おおげつひめのかみ)に乞(こ)ひたまひき。爾(ここに)に大氣都比売、鼻口また尻より、種種(くさぐさ)の味物(たなつもの)を取り出でて、種種(くさぐさ)作(つく)り具(そな)へて進(たてまつる)る時に、速須佐之男命、其(その)の態(しわざ)を立ち伺(うかが)ひて、穢汚(きたなき)もの奉進(たてまつ)ると爲(おも)ほして、乃(すなわ)ち其(そ)の大宜津比売神を殺したまひき。故殺(かれ ころ)さえたまへる神の身に生(な)れる物は、頭(かしら)に蚕(かいこ)生(な)り、二つの目に稲種(いなだね)生り、二つの耳に粟(あわ)生り、鼻に小豆(あずき)生り、陰(ほと)に麦(むぎ)生り、尻(しり)に大豆(まめ)生りき。故是(かれここ)に神産巣日御祖命(かみむすびみおやのみこと)、茲(これ)れを取らしめて種(たね)と成(な)したまひき。
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須佐之男命 御被避(みやはらえ)のくだり

一般的に須佐之男命は高天原から追放されたとされています。「ひげを切りて足の爪を抜かれて神やらいされた。」と書かれているのですからそう受け取られますが、これはある意味卒業というものに近いと私は考えます。もう髭も爪も必要ないので「海原を知らす」ために旅立たせた。ということです。

そして大氣都比売神に食べ物を乞うのですが書き下しにあるように殺してしまうのです。しかしそこから日本人にとっても大切なものが次々生まれてくるわけです。ここのとろこも日本人以外は到底理解不能な、ただの残酷物語にしか聞こえないと思います。

しかし、日本人には死して尚生きる(死以上に価値のあるものを生む)という死生観みたいなものがあるのです。去ってもっと貴いものが新たに生まれる。造化三神である神産巣日神(かみむずびのかみ)が、そこから生まれたものを種となした。(すべてのものの元と成した)ということで、ここから主に穀物と、御蚕様(おかいこさま)が生まれたのです。稲作や養蚕等 農業のはじまり。日本の生活文化の素です。

私の地元では昔、それは養蚕が盛んで家の周りじゅう桑畑だったものです。農家の皆さんは本当に「お蚕様」と呼んでいました。人のために命を投げ出してくれるということと、天上界から伝えられたという意味が込められていたのですね。今になってわかります。それが外国の安価な絹に押されてあっという間に廃れてしまいましたが、上皇后陛下が養蚕を古来種で行っておられたように日本人にとって養蚕とは利益に関係なくやっていかなけれなならないことなのではないですか。それを簡単に捨ててしまうことは畏れおおいことだと私は思います。ある意味、日本そのものの一部を捨てたといってもよいくらいです。

伊邪那美命が神避り坐(ま)したときも吐瀉物や排泄物から神々が生まれました。その時生まれた和久産巣日神(わくむすびのかみ)の子(みこ)が豊宇氣毘売神(とようけびめのかみ)。天照大御神をお祀りする伊勢神宮の外宮に鎮まります。

食物を司る神という意味の御饌都神(みけつかみ)であり、外宮のみにある御饌殿(みけでん)では、(みけ=御食=食べ物のこと)毎日午前8時から午前9時までにかけての朝大御饌。午後3時から午後4時までにかけての夕大御饌の毎日2回、天照大御神をはじめ、豊受大御神、各相殿神(あいどののかみ)、各別宮の神々に大御饌(おおみけ)を捧げています。
このお祭りは「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)」といい、禰宜(ねぎ)1名、権禰宜(ごんねぎ)1名、宮掌(くじょう)1名、出仕2名により奉仕されています。1500年以上も欠かすことなく、太古の方法で火を熾し土器を使って調理してお供えします。

大氣都比売神(おおげつひめのかみ)と豊宇氣毘売神(とようけびめのかみ)は古事記にのみ書かれている(外国向けの日本書紀には書く必要がなかった)穀物神です。大切な日本の生活文化・食文化の祖の神なのです。

本日はここまでと致します。

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