日本神話(3)天地初発 神世七代まで

前回は、『天地初発』、天地のはじめのとき初めて鳴り響く神(日本人)の理念について書きました。
古事記については、いろいろな書物を読んだりDVDやネットを見たりして得た現在の知識としてあることが、どこに出典があるのかわからなくなってしまっていますが、解釈については基本的に写真の2冊が基になっています。いずれも「光明思想家」谷口雅春先生の著書です。文字の無い時代の神話を中心に『古事記』が「紀伝体」で書かれているということは、文字ではなくて、言霊(ことだま)的に読む(解釈する)ということが大切です。よって古事記の言霊的解釈の部分は雅春先生の本が参考になります。

しかし2冊をそのまま引用すると、難しすぎるのと、かなり宗教的になってしまい私の意図とかけ離れてしまうので、参考にはしていますが、当ブログは私の解釈で書かれているとご理解ください。

これは私、個人の見解ですが 古事記を研究した人はたくさんいた(今でもいる)のですが、古事記に書かれている文字を研究しても、そもそも古事記の基になっている現存しない『帝記』『旧辞』は文字が無かった時代に口承されてきたお話ですから、その意味を太安万侶が筆記した文字に求めても概ねの意味は読めても一文字一文字にこだわるのはナンセンスなのではないでしょうか。そこで研究者ではない素人の私は戦前の教育を受けていた人、或いは各家庭で常識的に語り継がれていたことを現代の若い人にも知ってもらいたい。そして日本人というもの(血統や出自でいっているのではありません)がどのような理念で生まれ、どのように繋がって、どう生きていけばよいのかということのヒントが、ここに書かれていますよ。ということを、お知らせするという趣旨でブログにアップさせていただきます。

少し戻りますが、谷口先生は、始めに鳴り響いた『天之御中主神』は天の真ん中を貫く神という意味で名詞ではなく、その名の之は「天の〇〇」の之、「身を隠したまひき」とは、姿形が無いから、それらの神の之は同じく説明の之、以降の神の之は名詞(之まで入れて名前)と云われています。その中でも『天之御中主神』は特別です。この唯一絶対神は、初発の一番初めにお出ましに鳴られるだけで後には出てきません。逆に申しますと天之御中主神の理念が後の神話の中心を貫いているから天の真ん中の本源神とも云えるのです。


《2》 『古事記』 2回目は 『神世七代』 までを紹介します。
----------
次に成りませる神の名(みな)は、国之常立神(1)(くにのとこたちのかみ)、次に豊雲野神(2)(とよくもぬのかみ)。此の二柱の神も独神成(ひとりがみな)り坐(ま)して、身をかくしたまひき。次に成りませる神の
名は宇比地邇神(3-1)(うひぢにのかみ)、次に妹須比智邇神(3-2)(いもすひぢにのかみ)
次に角杙神(4-1)(つぬぐいのかみ)、次に妹活杙神(4-1)(いもいくぐいのかみ)
次に意富斗能地神(5-1)(おおとのぢのかみ)次に妹大斗乃辨神(5-1)(いもおおとのべのかみ)
次に淤母陀琉神(6-1)(おもだるのかみ)次に妹阿夜訶志古泥神(6-1)(いもあやかしこねのかみ)
次に伊邪那岐神(7-1)(いざなぎのかみ)次に妹伊邪那美神(7-1)(いもいざなみのかみ)
----------

ちなみに日本書紀では国之常立神が初めの神様です。
( )カッコに1から7までの数字が入っていますが、その1から7が何代目の神様かを表しています。つまり3から7までは二柱一対の神様であるということです。神様に性別は無いのですが妹とついているのは、ベアでおはたらきになる陰陽の『陰』の役割を持つ神様ということで、一般的に陽が男性神、陰が女性神ということになります。こういうと現代のジェンダーフリーの価値観からは男尊女卑と云われてしまうのですが、日本では陽が偉くて陰が下位であるということは、突き詰めていくと無いことがわかります。ただ、理解が浅いと、これから続く物語が男尊女卑に見えてしまうでしょう。このあたりは、納得がいかなければ自分で調べていただくしかありません。

このペアを含め7代の神様を『神世七代』(かみよななよ)と申しまして、「別天つ神」の最後に天之常立神が、『神世七代』の初めに国之常立神が出現されていることからわかるように、物語はこれから高天原(天上)から葦原中国(地上)へと続いていくきっかけとなる伊邪那岐命(いざなぎのみこと)伊邪那美命(いざなみのみこと)が神世七代の最後に登場されるわけです。 本日はここまでといたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?