追悼 横田 滋 様

ここでしか発言できない私。この記事が会社のブログに載せることが相応しいのかはご容赦いただきたい。

いつかこの日が来るとは思っていたが6月5日に横田めぐみさんの父、滋さんが亡くなった。
心よりご冥福をお祈りします。全く無縁の身だが申し訳ない気持ちになるのはなぜだろうか。

横田めぐみさんと私は同じ歳、中学一年生の部活帰りに北朝鮮によって拉致された。
昭和52年(1977年)11月15日の事だ。

他にも拉致被害者は多く存在するが当時13歳の少女は他の被害者の証言から同じように袋に入れられて小型船で異国に運ばれ、2度と肉親に逢えぬ身となった。
13歳の自分が同じ状況だったら、どれほどの恐怖と絶望に陥るか。想像するだけで恐ろしい。そして申し訳ない。

当時日本国内では単なる行方不明の扱いだった。必死に探しても見つかるはずはない。北朝鮮に拉致されていたのだから。

拉致の可能性を初めてスクープしたのは昭和53年(1978年)の産経新聞だ。 この年は田口八重子さん地村さん夫妻、蓮池さん夫妻、増本恵子さん、曽我ひとみさん、他が拉致された年でもある。

産経の記事は日本海で男女が相次いで失踪する事件を報道したものだ。めぐみさんの拉致から1年しかたっていない。お母さんの早紀江さんが新聞社に問い合わせるものの少女単独の失踪は条件に合わないと言われてしまう。実際には拉致されていたのだが世間的に見過ごされてしまったのだ。

昭和55年(1980年)には同じく産経新聞が外国諜報機関関与の疑いとして北朝鮮を意識した報道をする。昭和62年(1987年)には大韓航空機爆破事件が起こり金賢姫は日本の偽造パスポートを用い、教育を受けたのは日本から拉致された李恩恵(田口八重子さんといわれている)だと証言している。

平成9年(1997年)同じく産経新聞が横田めぐみさんの拉致の記事を報道する。この時点で拉致から20年。拉致を疑っていたご家族の心中はいかばかりだったか。20年前に予想していた通りだったのだ。拉致被害者家族連絡会が発足し平成14年(2002年)首脳会談にて北朝鮮は日本人拉致を認めた。

この間の出来事を私はテレビでリアルタイムにみていた。多くのジャーナリストや政治家は、国家が他国民を拉致するはずがないと言っていた。調査も追及もしなかった。私を含め世の中も所詮他人事だった。私も今は娘がいる。同じ境遇にならなければ想像できないようでは人間ではない。恥ずかしながら自分の娘が、めぐみさんと同じ境遇だったらどうだろうと思うと、ご家族の戦いの40年はあまりに長い、しかも未だ続行中ある。

記者会見で息子さんが言った。「安倍政権が問題なのではなく、40年以上も何もしてこなかった政治家や『北朝鮮が拉致なんかしているはずない』と言ってきたメディアがあったから安倍政権が苦しんでいる」「安倍首相は動いてくださっている。何もやっていない方が政権批判するのは卑怯(ひきょう)だ。的を射ていない発言をするのは、やめてほしい」という言葉。安倍首相を攻める気持ちがあった私も反省することにした。

他国でこんな状況が起きたらどうだとよく言わる。
アメリカは本土で自国民が他国の侵入者に拉致され他事がわかったら「遺憾です」で済ませるはずがない。一人の命は地球より重いと言ってテロリストを釈放した政治家が日本にいた。本当に命が地球より重いなら。殺人よりも残酷なこの拉致問題に対して「遺憾です」とは何なのか。

他国は見ている。日本国は、日本国民は何をしても「遺憾です」で済ませるのだと。そんな人に国民の命と領土を預けたくはない。
幕末の西郷南洲のように命を捨てる覚悟で訪朝する政治家はいないのか。死んでもいいじゃないか。実を結ばなくても殺されても国内で負け惜しみを言っているより立派だ。個人的な意見だが、そんな政治家が一人くらい出てきてもよさそうなものだが、日本人は情けなくなったものだ。政治が機能しない以上せめて国民の総意は拉致被害者奪還で一致したいものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?