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3月の花

2018年11月10日にアップした晩秋のハイビスカスでしたが、今日また咲いてくれました。外では沈丁花も花をつけました。本当は全ての木々を直植えしてあげたいのですが、庭が狭いので、みな鉢植えです。でも全ての木々が鉢の底を抜けて地面に根ざしていますから移動させようと思っても簡単には動きません。たくましいものです。

通勤途中の伊弉諾(いざなぎ)神社の桜も、今遠くから見ると枝がピンク色に見えます。これは実際にそうなのか私がそう思っているからそう見えるのかはわかりません。でも2月になると色が出てきて3月にはいるとそう見えるのです。桜には毎年挨拶しています。花が咲いているときは「今年もきれいに咲いたね」 散り際には「来年もまた逢おうね」と、相手も期待を裏切らず。しっかり咲いてしっかり散ります。そういう目に見えない力が働いているのですね。

「野の百合を見よ労(つと)めず紡(つむ)がざるなり」(聖書マタイ伝)これも私の解釈だと、何の努力もしなくても野原の1本の百合さえ「生かそう生かそう」という何らか(神=定義は大生命とかサムシンググレートにしておきます)の力が働いている。それに気づきなさいという事でしょう。あんなに力づよく開花する桜、そして短くして散った後は青々とした葉が出てきます。生命を感じます。花咲爺さんの「枯れ木に花を咲かせましょう」というのは桜のことだと思います。一瞬にして全力を出す桜。見習うべきところが多い木です。冬、枯れたかのような姿を見せておいて一気に力強く燃えるように咲く。桜の力か、神の生かす力か。野の百合1本にも与えられているのだから私たちにもあるのでしょう。

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