「海の日」と「スポーツの日」に想う

令和2年は東京オリンピック開催のため例外的に、7月23日(東京五輪開会式前日)が「海の日」7月24日(開会式当日)が「スポーツの日」になりました。

「海の日」は雨だったので久々の国旗掲揚です。

以前も書き、最近Twitterというものをやっているのでそこでも書いたのですが、全く反響のない #海の日 について再度お話しておきたいと思います。

Twitterの仕組みがよくわかっていませんが コメントが何処に挙がっているのか理解していないし読まれた形跡もないので、「こんなのコメントして意味があるのか」と思い始めた今日この頃です

「海の日」は平成8年施行された比較的新しい祝日で「海洋国家日本」にとっては重要な日です。元は明治天皇が明治丸で東北巡幸の航海をした「海の記念日」です。日本には6,852の島があるのです。人口が減っても島は減りません。この島もその周辺も国土領海なのです。それを守るっていうことがどれだけ大変なのかわかりますよね。
旧文部省唱歌に「われは海の子」という、とってもいい歌があります。7番まで歌詞があるのですが殆どの人が知りません。何故でしょう。7番の歌詞は「いで大船を乘出して 我は拾はん海の富。いで軍艦に乘組みて我は護らん海の國」です。軍艦で海を護るという決意が書かれていますが日本を占領したGHQに禁止され復活した時は3番までになっていました。占領が解かれても憲法同様、この歌の扱いも現在に至るまで占領期のままです。China海警の接続水域航行が100日を超えました。日本人は国土や領海が守れるのでしょうか甚だ疑問です。

「紫陽花」の記事で咲き誇っていた花(実は紫陽花は花ではなく「がく」ですが)も終わって、来年を期待せずに刈り込みました。鉢植えですから狭い庭では可哀そうですが2年に一度リセットします。今年は雨が多くキアゲハの姿もほとんど見られませんが、柑橘の枝も育ち待っています。
鬼百合.百日紅.沈丁花も元気です。

こんなに狭い庭にもヤモリやカナヘビの他、いろいろな生き物がいます。今日は小さなアマガエルがいました。どこから来るのか不思議です。この小さな生命も領土領海を守りたいという気持ちの中に含まれます。小さな命をも紡いでいくことに関わっているという 人間としての自覚。
国防を他人任せにしてきた75年。今の日本人には誰かが助けてくれると思っています。

コロナ対策でも同じ。誰かに指令をもらわないと防げない他人任せで他人のせいにする。自他を守る行動ができない理由は国防や自分の命を他人に預けた75年の結果なのです。日本人は幼い。守られる子供のままで良いと思っているから。国難に遭うとき教育の大切さがわかります。自らどう行動するか、国語・数学・歴史・地理・科学全ての要素が絡んできます。義務教育の基礎の知識があれば一致した正しい方向性の選択は個人でも可能なはずですが、日本の公教育は一致させることを嫌ってきました。だから一致できません。多様性を尊重するのは他の時にやってほしいのです。ここは多様でなく一致する場面です。「人類の歴史は感染症との歴史」こんなことは判っていたことです。国民一致で国難に臨まないとアフターコロナに対応できません。

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