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2020春 『武漢コロナ禍の中の日本』

今年も桜が咲いた。写真は昨年アップした場所と同じく伊弉諾神社前の道。しかし今年は見え方が違う。
自分の心が違うからだ。春から初夏にかけては最も生き生きして好きな季節だが、今年は今一つ明るい気持ちになり切れない。そういう人は多いだろう。

外出を控えている機会に 渡辺 京二 (著)『逝きし世の面影』を読まれることをお勧めする。幕末から明治にかけての日本人が外国人にどう映ったか。現在日本人とは明らかに違う日本人がそこにいる。それを私は劣化として捉えるが、ある人から見ると(市民の権利を優先する人)進化なのかもしれない。しかし当時の多くの外国人が予言したように日本人は滅んだ。その結果がこの『武漢コロナ禍の中の日本』なのだ。

そんな折、インターネット上で魔魔嘎嘎さん(@MOGAooo)さんの漫画を台湾史.jp(@TaiwanHistoryJP)さんが紹介しているものをみた。

この漫画が平生私の言っている
『明治日本人最高説』を云い得ていると思ったので引用させていただいた。

日本は1895年(明治28年)に清から台湾を割譲され統治した。(ちなみに朝鮮併合は1910年(明治43年)から)教育・医療・行政・金融・社会インフラを日本経済の身の丈以上にお金をかけて整備した。強い志を持って取り組んだ幕末-明治人がいたのだ。例として教育において

  1. 東京帝国大(明治19年)

  2. 京都帝国大(明治30年)

  3. 東北帝国大(明治40年)

  4. 九州帝国大(明治44年)

  5. 北海道帝国大(大正7年)

  6. 京城帝国大(朝鮮)(大正13年)

  7. 台北帝国大(台湾)(昭和3年)

  8. 大阪帝国大(昭和14年)

大阪帝国大学の前に 朝鮮と台湾に帝国大学を設立したことでもわかる。初めは日本人有利の教育制度であったむきもあるがやがて教育の機会は平等に近いものになっていく。

 愛国行進曲にある『四海の人を導きて 正しき平和うち建てん』という気持ちが確かにアジア唯一の5大国に名を連ねた明治日本人にはあったのだが、特に現代の朝鮮、韓国の人には大きなお世話だったのだろう。本当に大きなお世話してしまった。こればかりは当時の日本人に反省してもらいたい。

家庭・学校・職場 全てに於いて劣化した日本人が溢れている。(もちろんその中に私自身も含めなければならない)嘗ての日本人が範たる人々だったため劣化してもアドバンテージがあったのだ。しかしそれも使い果たした。

『マニュアルがないと何もできない』『マニュアルを作るのが仕事になっている』という言葉をあちこちで聞く。
実際、政治に要請されても法律で縛られないと行動も改められないではないか。だから現代日本人には『緊急事態宣言』を発令しても何も変わらないだろう。法的強制力がないからだ。憲法を変えなければ自発的に行動を改められないところまで人心が劣化しているではないか。

明治人が今のインフラを持っていれば武漢コロナも国内では終息したはず。法的な縛りがあっても現代の日本人は公の意識があまりに欠けている。個が増大して国家より市民が上のような意識が一部の人間(多くかもしれない)にあるのがいけない。公共や道徳が優先される時があってもしかるべきと悟るべき。時として自己犠牲も甘受しなければならないと皆が考えるべき。それが有機体としての国家国体の護持に必要。

残念ながら日本国(精神)はすでに何度か絶滅している。でも続いているかのように錯覚しているのは皇室が存続しているからだろう。それも女系(女性ではない)継承で滅びる。そんな日本は見たくないが幸いにして滅びる日本を見ることなく今世を終えるだろう。美しいと思える日本で生きられた事を幸いに思う。(過去形)

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