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社長ブログ

社長在宅日記の記事一覧

在宅日記 第22回 最終回 長文

2020年05月06日

皆さんお元気ですか。

トリオデザイン事業部の皆さんは出張続きでご苦労様です。くれぐれも自他ともに健康で無事に帰社できますよう祈っています。

 

弊社は5月4日 「型感染症 緊急事態延長対応」(トップページ)で書いてありますように。明日7日より、トリオデザイン事業部以外の在宅を解除しますので在宅日記も今日で一度終わります。

 

社員のどれだけの人が読んでくれていたかわかりませんが、次に在宅日記を書くようなことがないことが望ましいのですが、私の健康上の理由で いつか在宅が再開されることがあるかもしれません。(その時はブログにします)

 

最終回は22日の総括と今後の暮らしについてです。やはり人間社会というものは自宅に引きこもって成り立つものではないとつくづく感じました。健康を損ねて家にいることを余儀なくされている人々の辛さが身に沁みました。外で健康に働けること、外に出て人と交わることの尊さに感謝しなければならないと思いました。

自粛明けの推奨される暮らしについては悲しいですね。感染症対策専門家会議の「新しい生活様式」実践例貼っておくのでクリックしてみてください。会食も宴会もできなくなってしまうでしょう。少なくともワクチンが開発されるまで守らなければならないし、ワクチンができてもインフルエンザがなくならないのと同じく、もう元の世の中には戻らないのです。

 

日本だけ例外ならよかったのですが。現実には外国人が来日するとき或いは日本人が海外に行くとき予防接種をすることが推奨されています。現在でも国々によって特定の感染症(例えば日本脳炎)があるのです。感染症は勝手に広まるのではなくグローバル化や環境破壊によって自らが感染症に近寄って行ってしまっているのでしょう。

適度な距離というものが国々や人、動物や自然界の間になければならないということでしょう。

 

韓国や台湾、ベトナム等がコロナの封じ込めに成功したと言われています。SARSやMERSの経験があったからとマスコミは言いますが、そうではなくて戦時の緊張感が残っているからです。

地域的な災害なら日本国民の倫理観で持ちこたえられても国中が災害地域になった場合、リアルな戦争体験が活きるのです。前にも書きましたが韓国は戦時中なのです。徴兵制があるのです。いつ戦闘再開されても良い備えがあるのです。平和ボケ日本人と比べては失礼というものです。

 

考える機会としては良かったかもしれません。個人としてはどうですか。韓国ではマイナンバーに様々な情報が紐(ひも)づけされ国家が個人を監視できます。情報を開示することも可能です。それを望みますか。国家として食糧自給率、産業のグローバル化をどう考えますか。原材料の禁輸から大東亜戦争が始まったこと知っていますか。今は、外国の圧力で日本の経済を止めることができる時代です。何かあったら要求に屈せざるを得ない社会です。日本は自主独立がもうできない(大同亜戦争後できない)ようになっているのです。あなたはどうやって家族を、地域を社会を国家を守りますか、国が守ってくれるのではないことが分かったでしょう。国民が自助、共助、公助を作るのです。

 

会社も同じ、会社に何かしてもらうんじゃない。自分たちが会社を育てていくのです。そんなことを考える機会になったのではないですか。昨夜も緊急地震速報がありました。いろいろなところが揺れています。そろそろ大きな地震が来るかもしれません。地域的な災害ではなく、もっと広い範囲の災害に備える。国家的な災害について考えておく、それに興味を持って参加していくということが これからの日本人には必要です。

 

自分でいうのもなんですが、我々の世代は少子化という選択をしました。人口を減らすという道を選びました。国が悪いのではありません。自分たちが今の社会を作った。(自分たちの前の世代の影響は当然うけています)のです。日本人がその道を選んだのですから他人のせいにしてはいけません。では、これからの世代の日とはどういう世の中を選択していくのでしょうか。大げさではなく国のことを個人が真剣に考えなければ、今の日本のようなことになってしまいます。

 

私は今の日本がみんなが望んだ社会だとはどうしても思えません。健全な社会だと胸を張って言えないと思います。いえるようならコロナの影響がこんなに長引かないでしょう。マスコミは毎日政治対する不満を取り上げています。自分たちがやれば良いだろうと思います。関東圏は2局のみ他は自主休業とか、やってみなさいと。今(感染症対策期間)の東京にあんなにテレビ局が必要でしょうか。ネットだけで充分。ネット見られない人のためにいくつかの局があればいい。

 

一人一人が未来の社会を日本を真剣に考えましょう。それができないのなら韓国のように全てを国にお任せして管理してもらいましょう。その人の感染ルートが完全に追えます。いつどこで何をしたかを把握されるのです。問題は私は嫌だというのはダメということ、全員がやるかやらないかです。戦時国家とはそういうもの、全員が協力するのかしないのか、協力しない人はスパイ扱いしないといけない社会です。さあ、どちらを望みますか。戦後日本型社会にお別れしなければなりません。全員が高徳を持った国民になるか、国家統制された国民になるか、中間はないものとして考えないといけない時代になります。

 

最終回 すごく長くなってしまいました。

でも 若い人に自覚してもらいたいから書きました。

皆さんの健康と繁栄を常にお祈りしています。

 

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在宅日記 第21回 こどもの日

2020年05月05日

皆さんお元気ですか。

 

今日は、こどもの日、祝日法では

「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」とあります。そう、父がない。

 

お母さんが命懸で産むというのは尊いことではありますが占領ど真ん中の日本(昭和23年)で定められたことと関係あるのか。などと私は思ってしまいます。

 

もともと、奈良時代にChinaから渡った端午の節句。つき端(はじめ)の午(馬です牛ではないです)の日と云う意味だったらしいですが午と五の音が同じだから5月5日になったとか、子供に限った日ではなかったのですが、季節の変わり目に無病息災を願う。子供の生存率が低かった昔。子供の成長を祈るのはとても大事なことだったのでしょう。

戦国時代を経てだんだん勇ましいものになっていって ひな人形と同じく上級武士の風習で男の子の日になり、その後 町人まで広がって大東亜戦後に「こどもの日」になったとか、桃の節句が祝日ではないのだから、子供の日でよいけれど、せめて父母に感謝にしましょうよ。と言いたいでところです。

 

私が生まれたとき祖父母とも40代前半、両親は20代、今の自分を考えるとびっくり。祖父は嬉しくて私がお腹にいる間に平屋を2階建てに改築して出産に間に合わせたと生前言っていました。12月生まれなので白黒写真は昭和40年の5月でしょう。この飾りも、祖父が買ってくれたんだろうと思います。子供の頃は、鯉のぼりが羨ましかったけれど。下町のことだから近所にも鯉のぼりを立てられる家などありませんでした。昔の写真を見ると父も母もニコニコしています。

(二人ともお陰様で生きています)

最近、5月5日に兜だけ出すようにしています。子供は娘ですが、両親祖父母のこと、先祖のことを想うために。

 

今、子供がいる家庭が生活が苦しいとか貧困格差だとか言って「子供のいるリスク」なんてマスコミでよく取り上げられていますが、個の増大極まるということでしょう。家族制度を破壊し家庭を分断し、個としてバラバラにすると国がまとまらなくなる。という目的にすっかり乗せられていること。気づかないといけません。

 

端午の節句のような風習も、だんだん薄まってやがて廃れるのでしょう。出生数も毎年最低を更新ですからね。偶然かもしれませんがオレンジ計画とは100年前のアメリカ人も、

よく考えたものです。日の丸がオレンジ色に変わった。

 いつも言いますが、黄泉の比良坂で伊邪那美命が一日に千人殺すと言い、伊邪那岐命は一日に千五百の産屋を立てる(子供を産む)と返す。その心に背いているでしょう。日本が。経済が発達しても人の魂が向上しないのはなぜか、向上しているから少子化だ。という人もいるかもしれませんが、国に何かしてもらうことを望むより。もっと小さい喜びに感謝できないものか。

 

「親に孝養・先祖に供養」を実践すれば見えてくる。自分が幸福だったと思えば、「親の恩を子に返す」という思いも生まれるのですが物質に恵まれた現代人は、自分の幸福度のハードルが上がってしまって、昔の人が喜べたことが喜べなくなっているのです。

 

親のいない人もいる人も、ふた親がいないはずはない、生まれてきただけで感謝しましょう。

今日は父母に感謝しましょう。ほら電話、Web帰省。もういなければ想い祈ればよいです。

 

将来を担う子が幸福になれるよう導きましょう。

ハードルを上げてはいけません。どんな生活の中にも喜びや感謝がたくさんある。見方が悪いから見えないだけです。子供を自分と同じ見方の人間に育てては、子供が不幸です。なんにでも喜んで感謝できる人になったほうが幸せに生きられるでしょう。

 

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在宅日記 第20回 小さくても生きてます

2020年05月04日

皆さんお元気ですか。

ハイビスカスの最後の蕾は、やはり黄色でした。これから夏にもう一度花をつけると思いますが赤は咲くでしょうか。

初めは赤と黄色 半々だったのですが。

 

この木も、クレマチスも10年以上経ちますが鉢植えでは大きくなれないですね。

その点、紫陽花(あじさい)は たくましく、鉢なんか関係なく根を地面に張っていきますから、1~2年で大きくなりすぎて、大剪定が必要になります。大きく選定した次の年は花は期待できませんが、庭が狭いので仕方ありません。

 

もう一枚の写真、メダカの赤ちゃん見えますか?100均のバケツが巨大に見えます。昨日は卵だっとのに今朝生まれていました。親が食べてしまうので卵のうちに別にします。

しばらくはエサなしでも。親(天)から与えられた栄養で生きていきます。

そこから先は、やはり100均のすり鉢で餌を粉状にして与えます。

 

初めはヒメダカ(黄色)と黒メダカ半々でしたが 自然の力でしょうか生まれてくるのは黒が多いです。写真にも一匹 白っぽいのが写っています(写真クリック)が、こういったのを集めて品種を作るのでしょう。我が家では放置飼育です。

自然のものは逞しい、勝手に育っていきます。餌をやらなくたって一定数なら苔や落ちてくるもので育つでしょう。毎度言っていますが、生かそうという見えざる力がはたらいているのです。もがき苦しまなくても生きていけるのです。本来は。暴れなけらば水に浮く。慌てて泳ごうとするとかえって沈んでしまう。力を抜きましょう。

 

 

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在宅日記 第19回 亀失踪

2020年05月03日

皆さんお元気ですか。

 

今日は祝日法では「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」という日ですが、敢えて日章旗を掲揚しないことにしました。今の内閣には期待しましたが、安倍首相でさえ屈してしまう何らかの力が働いているようです。保守・中道・革新・リベラル・無関心の皆さん(私は中道)に総じて評判が悪い内閣になってしまいました。

 

さて、そんなことより本日大変ショックで仕事が手につきません。(宿題が溜まっていて6日までに提出できない焦りが・・・)というのも、11年間共に暮らしてきた最後の亀。亀吾郎が失踪してしまったのです。

 

写真のように島を槽の中央に置いて出られないようにしていたはずなのに、誰かが誘拐したのでしょうか。大きくなっていたので動物ではもっていけないと思うのですが。

300件以上、空き巣に入って関西で御用になった犯人も、取り調べで我が家に来て一周ドアや窓が開いてないか確認したそうです、ただ亀は持っていっても何もならないでしょうし。

 

下の写真は、11年前の写真、一番大きいのが亀吾郎です。大きいと言っても子供の時はゼニガメと呼ばれるくらいですから、500円玉より少し大きいくらいです。亀吾郎は、お祭りのペットショップのくじ引きの景品、断ることもできたのですが娘が責任をもって買うといったのでもらってきました。もう一匹のクサガメは沼で拾ってきた亀太郎、私が昨年不注意で亡くしてしまいました。ミシシッピーの亀吉は甥が縁日で買って飼育放棄したものです、もう何年も前に これも水槽の作りが悪く溺死してしまいました。偶然 亀を3匹飼うようになったのですが、最後に残った亀吾(呼びかた)。一週間前に外に出したばかりだったのに夜蓋をし忘れた私のせいか。冬の間部屋にいるときは毎朝話しかけ、家にいる日は声をかけ、日曜日には必ず水槽を掃除して。何もリアクションはないですが、エサが食べたいときだけ寄ってきて手からエサを食べる。そんな関係でした。人懐こかった亀太郎、臆病だった亀吾郎。亀にも性格があります。

 

亀は案外俊足であっという間に遠くまで行ってしまいます。誰かが飼ってくれるとよいのですが、この陽気では一日外にいたら水が飲めなくて死んでしまいます。こんな形で お別れになってしまうとは とても悲しい日になってしまいました。どこかで生きていけますように。

 

本間拝

 

 

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在宅日記 第18回 お仕事ご苦労様

2020年05月02日

クレマチスの蕾がだいぶ開いてきました。今日は30℃を超えるそうです。しかし湿度は低いので爽やかな暑さになるでしょう。

 

季節は例年のごとく進みますが世間は暗くなりがちです。東京の感染者も また100人越えですし、埼玉も多いです。地方は総数は少ないですが、減少傾向の地域と増加が混在しています。正確な数字なのかも不明。せめて気持を明るく持つしかありません。

 

こんな中、我がトリオデザイン事業部は、

九州に出張に行くわけですが(既に一部行っていますが)飛行機が欠航となってしまい全員、自動車移動です。ご苦労様とともに、事故や病気にはくれぐれも注意してください。

 

昨日、神棚の お世話で各所を回りました、

昼時のコンビニは仕事をする車で満車です。

東京や大都市中心の情報が多いので皆、在宅や休業しているかのようですが、地方の土木やモノづくりを担う人達は、お仕事をしているのです。「皆さん お疲れ様、お互い頑張りましょう」という気持ちになります。

 

埼玉、神奈川の感染者が多いのも東京との行き来が多いからです。一極集中は良くないということでしょう。集落という程度の規模は助け合いの観点から人間本来の姿だと思いますが、東京やニューヨーク、その他の国々の感染が爆発しているところの人間の数と密度は、本来の人間の姿からかけ離れているということでしょう。

 

人間らしい、ちょうど良い感じの暮らしが私たちの住む地域なのではないかと思っています。

地震や火山のリスクにも、政治家をはじめ一般市民の皆さんも備えることが必要でしょう。感染症も含め、いろいろなリスクに対応して生きていかなければならないのですから。必ずまた来る

(感染症を含めた災禍)ということを認識して、今回の反省を活かさなけれなりません。

 

 

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在宅日記 第17回 月初め

2020年05月01日

月初めは神棚の清掃と榊や お供えを替えます。水は毎日替え参拝しますが、榊は月2回、米酒塩は月1回、水は毎日ということにしています。神棚が3ヵ所なので毎日は厳しいです。

 

在宅で留守部隊に水替えをお願いしておきましたが、水が涸(か)れていました。榊にしても水にしても枯れるのはよくありません。(気枯)ケガレに繋がるからです。

 

現 寄居本社の、お隣は八幡大神社(応神天皇・神功皇后) お参りのあと神棚の清掃と、お手入れをいたしました。

今年は春季例大祭も内々で行われ、神事でさえも新型コロナ禍の影響を受ける。まさに戦時という感じですね。

 

案外こういうリスクがあるということを、ビルゲイツはじめ口にする人は多かったのですが、だれも準備していない(一般人は特に)ことで非常の大きい影響を受けました。教訓として同じような疫病が起こったとしても社会生活が維持できるようにしておかなければなりません。少々脱線しますが、韓国が戦時下である(停戦中ではあるが今だ戦争中だということ)ことが、対応が早く、終息も早かったということは事実だと思います。

 

次に行田工場に向かいました。車で一時間の距離です。

新規採用のメンバーの中には訪れたことがない人がいるかもしれません。

 

工場の お向いは河原神社 お参りのあと同じく神棚の清掃をいたしました。ここは、水替えをしてくれる社員が常駐していないので、榊はお供えしていません。造化は意味がないと思うのです。形ではなく そこに生命がないといけないので。

 

自宅でも本社と同じ手順ですが神棚が先、氏神様である大雷神社の お参りは最後になってしまいます。

どの氏神様も今日は参拝の人を見かけましたが、少ないですね。風習でやっているというか、むしろこちらが生活の中心(柱)ではないかと思うのですが、そう考えている人はもはや少数なのでしょう。

 

クリスマスやハロウィンと初詣が同じイベントと考えられているように。元を知らないのですから信仰心など 起る訳がありあません。しかしそれでは動物と一緒です。日本人として自分の元がどこにあるのか。外国でも他教でもいいのですが、元を知らないと根無し草になってしまうのです。

 

畏敬の念がない人が多いです。自他双方に畏敬の念がないということ。自分の存在も小さく考えすぎている人が多いです。

神仏と心が離れている人が多い。同様に仏壇や墓参り。行動しなくてもいいので祖先を想う。先祖に心を寄せるという習慣がなくなっていますね。そうであれば当然そういった祖先や先人に対する感謝の念も起こりません。どちらが先かはわかりませんが、元を知って感謝する。感謝することから元を知る。

 

どちらにしろ知らねばなりません。

 

知識としての勉強より、そちらの方が大切です。知っていくとだんだんいろいろなことが繋がっていることに気づくはずです。腑に落ちる(なるほどな)と思うはずです。

 

目にみえないことの中に本当のことがある。我々は守られている。「あれは社長が勝手にやっていることだ」と視ている者がいるとすると私は非常に残念です。最後にもう一度言いますが、そちらの方が仕事や個人の生活より元にあるということ

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在宅日記 第16回 4月最終日

2020年04月30日

皆さんお元気ですか。4月最終日です。

 

製品の出荷前 寝る間も惜しんで仕事をしたということですが、「お客様に迷惑を掛けてはいけない」それは素晴らしいことだけど。誰も望んでいないでしょう。

 

遠回しに語ります。

昨年3月のブログに書いた聖書マタイ伝の

「野の百合を見よ労(つと)めず紡(つむ)がざるなり」

春に花が咲くというもこの言葉を思い出します。(百合は春じゃないですが)猫の額の庭に1cmにも満たないような花が咲いていました。こんな小さな一輪の花、頑張って必死じゃなくても「咲かせよう、生かそう」という力が働いているということ。

人間も本当は自分に鞭打って必死にならなければ生きられないような存在ではない。ということを、この小さな花にさえ・・・・なのだから萬物の霊長である人間にはもっと大きな力が働いているに決まっている。ということですね。 花から学ぶんじゃなくて、その後ろにある大きな力について考えてみなさいということ。

 

特にトラブルがあった時はね。何か邪魔しようとして不都合が起きるように思いますけれど、何らかの示唆と捉えることが大切です。何か大きな力から(ご先祖さんかもしれませんよ)連絡が来ている。自分の何かが間違っていたのではないか。と反省することが必要です。心を静めて反省する時間がないでしょう。現代人は特にね。ある学校で授業を始める前の5分間。目を閉じてじっと心を落ち着かせてから勉強に入ったら。集中力が上がって成績が伸びたということです。これをやるとトラブルは減ります。その前に気づくから。

 

皆にやってみなさいと言っても。やってくれるかわからないですが、仕事に入る前の数分でいいから心を静める時間を作ってみなさい。 どうするかというと「瞑想」まではいかないですが、リラックスして息をゆっくり吸う、普通に吐くという、呼吸だけに意識を集中するのです。「吸う~・吐く/吸う~・吐く・・・」

 

もうちょっと上級になると中村天風先生(日本初のヨガ行者といわれる)は、お尻を締めて丹田(おへその下あたり)に意識を集中して、と言っています。息を吸うときに良いイメージ(幸福・喜び・健康など)が入ってくるよう感じて、吐くときは悪いものが出ていくと感じるようにするとさらに良いです。

 

一日の中の数分、出来れば朝夕とか、電車や移動の最中(運転してるときはお勧めしない)いつでも、このような呼吸を整えて気持ちを落ち着ける。こういうことをして自分の魂を鎮(しず)めると、直観力が上がって気づきが増えます。気がしてるだけかもしれないですが、ご先祖様の声は聞こえないけれど、私は目に見えない何かが教えてくれているような気持にります。

 

皆さんもやってみるといいです。神仏に祈る、心を寄せていくということは、近くなるんだから、そういうこともあるでしょう。一つ気をつけなければならないことがあります。自分の心を鎮めるとき、何も考えないでポカーンとしてはいけません。呼吸する意識、良いものを吸い込む意識をもっていないと、心を空っぽにするのは隙ができて別のものが入ってくる可能性もあるのでいけないのです。その点はご注意を。

 

 

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在宅日記 第15回 昭和の日

2020年04月29日

皆さんお元気ですか。

 

今日は昭和の日です。 祝日法では、

「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。」

となっています。

 

いつの御代(天皇の時代)も「国民の平和と安寧を祈る」御心は一緒です。大東亞戦争があったのに。と信じられないという人もあるかもしれませんが事実です。

 

昨日は主権回復の日でしたが、そんなことはどこでも報じられていないようです。昭和はもう昔の出来事になってしまったのでしょうか。激動の昭和、世界中が大変だったのでしょうけれど124代 裕仁天皇(ひろひとは 諱(いみな))は最も心を傷めたであろう お一人です。

昭和天皇の教育係は日露戦争陸軍の立役者、乃木希典大将。明治天皇が迪宮裕仁親王(みちのみやは称号)のため学習院院長に任ぜられ、

「雨の日も(馬車を使わずに)外套を着て徒歩で登校するように」と言われた話は有名です。

幕末にうまれ明治に軍人として生きた乃木希典。

 

明治人最強を信ずる私としては、明治人の教えを受けた昭和天皇(実際にはいろいろな人が教育係であったわけですが)その人となり(当時は神にさせられてしまったが)は、私の知る範囲では畏れながらとても温かいお人柄です。

 

さて、令和。きっと今上陛下も心を傷められているでしょう。祈られていることでしょう。だから我々は負けてはいけないのです。日本は天災が多い国、そのたびに心を傷められる天皇。今回は世界中が苦しんでいます。天皇は日本人のことだけ祈っているわけではありません。天皇の祈りが天に通じ、やがては安寧な世が訪れることを信じて、私も祈り昭和を思う日にします。

 

 

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在宅日記 第14回 ワンコ入浴で考える

2020年04月28日

皆さんお元気ですか。

 ワンコを洗ってやりました。水が怖いので抱きながらシャワーです。

鼻ぺちゃ犬(短頭種)は、かわいそうだから飼ってはいけないという人がいるくらい。人間が作り出した一種の奇形です。いろいろな犬種は人間の好みで近親交配によって作ったもの。特に鼻ぺちゃは頭の長さを短くしたのに舌の長さは変わっていない。気道も狭くなるし常に呼吸困難な状態です。

 

遊ぶことが大好きですが遊ばせすぎると危険。高所(空気が薄い)ではしゃぎすぎて死んでしまった悲しい話も聞きました。

 

飼い主(私)も呼吸困難な人種なのでよくわかります。 この犬種は皮膚が弱くアレルギーもちのワンコが多いことも特徴です。花粉症にもなります。外が大好きですが春に外出すると花粉症がひどくなるので控えています。毛もよく抜けるので毎日ブラッシングと塗薬、飲み薬が欠かせません。

皮膚炎とかゆみには私自身も悩まされています。かゆみは辛い、寝ている間に掻き壊してシーツに血がつくこともあります。ワンコも、よく見てあげないと一年中かゆそうで掻き壊してあちこち傷になり可哀そうです。

 

人間が作り出したある意味被害者(犬)ですね。 この人間中心の近代社会というのは特に産業革命以降 急速に発達、発展したものなので まだ何万年中の数百年という短期的な繁栄ですが、物質的繁栄が人間(動物も含め)を幸福にしたのか、疑問に思えてきます。

 

特にこの疫病禍に文明の無力を感じると、人間の歩んできた道が正しかったのか。と思えてなりません。 確かに美味しいものをたくさん食べていろいろなところに行って自由に暮らせる、しかも多くの人が。という世の中にはなったのですが心が追いついていかないような気がします。これからの世の中、文明と一緒に人間の心(思想にしておきましょう)も発展して変わっていくのでしょうか。すべての人や物、動物にとって幸せな世界なんて無理だとは思いますので、調和した皆が そこそこ幸せで充分満足といえるような社会になるでしょうか。なるといいですね。我々は感性を磨かないといけません。

 

何で勉強なんかしなければならないの?という子供に私はこう言います。

「あらゆる種類の勉強は、人に騙されない(たとえです)ようにするのだ。いろいろなことを知っていて自分で考える能力がなければ人間は誰かの言いなりになるしかない、特に危機の場合は。」 自分で考える癖をつけておかないと。人に従うしかなくなるよ。得られる情報から自分で判断するには普段の勉強が役に立つんだよ。ということです。

 

 

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在宅日記 第13回 アフターコロナ(1)

2020年04月27日

皆さんお元気ですか。

私たちが社会人として、そろそろ考えなければならないことはアフターコロナです。

新規感染者が国内で100人を下回ったら、徐々にではありますが社会活動を戻していくでしょう。

その時の世の中は、この問題の前と後で変わっていなければ感染が再び同じように広がるに決まっています。

ワクチンや治療薬ができても、根絶することはないでしょう。新型コロナ共存することになります。

 

そしてまた新しい未知のウィルスが発生します。このサイクルが短くなっているのです。

SARS MERSを経験しなかった我が国と、他国の差が今回顕著にでました。

日頃の準備や社会システムの違いも浮き彫りになりました。

 

監視社会や国家に強制力のある国のほうが封じ込めが上手くいきました。

では我が国も同じように、国家の強制力を強くして国民を指導することを望むのですか。

否、日本はそうであってほしくないです。国家を作るのは国民。国民が政治を指導してあげるくらでないと。

 

政治の質は国民の質なのです。

会社も社員の鏡なのです。 今日の格言。中村天風先生。

 

『人間が人間として生きていくのに一番大切なのは 頭の良し悪しではなく 心の良し悪しだ』

難しいです。心が良いとはどんなことだ。頭を超えた心じゃないと誤ってしまいますからね。

 

ちょっと前にブログに書いた事があるんですが、法治国家の限界って、法治国家というのは法律に書いてなければ何をしても良い。という解釈が生まれてしまいますが、日本がかつて徳育が優れていたように徳治国家にならないと。各人が徳に基づいた行動ができないと、何をして良いのか悪いのか分からないということになってしまいます。それにはいろいろな知識が必要です。ブログに書きましたが、国家の成り立ち、神道や武士道、偉人伝等々。

 

時間がかかるでしょうね。今となっては。でも考え直す良いきっかけじゃないでしょうか。環境破壊も未知のウィルスの対応も人間のエゴと地球の関係の問題ですから。人間か変わらないと地球が変わってはくれません。

 

仕事もそうです。自らが変わらないと。今までの自分でよいのか。といつも問うて行動しないとなりません。世の中が私たちに合わせてくれる訳ないのですから。私たちが変わらなくてはならないのです。私たちの心が。

 

 

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在宅日記 第12回 麗らかな日曜日

2020年04月26日

皆さんお元気ですか。

 

麗(うら)らかな日曜日です。

もう寒くなることもない(自然界ではとっくに冬眠から覚めているでしょう)ので亀吾郎を本宅に戻しました。これからまた寒くなるまで、ここで過ごします。一緒にハイビスカスも外に出しました。やはり日が強くあたる姿が似合います。

 

これだけの作業で、もう息が上がってしまいます。情けないことですが、これが基礎疾患である心不全の症状。

 

今思えば体を壊した時、何故か絶対にやってはいけないことを自ら進んでやっていました。皆さんは気を付けて自分では判断しないことが重要です。安易に自己診断してはいけません。

 

私の場合はこうでした。

①なんだか息が上がるなあ → 運動不足だな → 苦しいながら歩く → 逆効果で悪化。

②何故か そうだ水分とろう → 毎日2リットルの水を飲む → 心不全に水は禁忌 → 肺に水がたまる → 最悪の対応で悪化

①+②拡張型心筋症からの うっ血性心不全進行 手遅れ。

 

これを知らずにやっていたのですから何という運命でしょうか。最近、新型コロナで「陸で溺れる」という言葉を聞くようになりましたが正にこれ。陸で溺れるとパニックになります。息ができないと余計吸います。過呼吸に近い状態にもなります。余計パニクります。 何度救急車を呼ぼうと思ったことか。

 

まさかこんな時代が来るとは思いませんでした。今具合悪くなったら救急車呼んでも受け入れ先がないのではないか。と思っただけで血の気が引く感じ。まあ、その時はその時。

 

皆様におかれては今の時代だから一日一日を大切に、家族とのご縁も大切にした方が良いです。ネットやスマホが発達しているから すぐ声が聴ける良い時代ですね。

 

 

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在宅日記 第11回 萬物の霊長

2020年04月25日

皆さんお元気ですか。クレマチスの花が咲きました。今年も蕾をたくさんつけています。これから夏に向けて楽しませてくれる美しい花です。

スイレンも水草も大きくなってメダカも水面近くで餌を待つようになりました。

 

心弾む季節ですが、残念なことにウィルスは依然収束の兆しを見せていません。夏に収束しないとなると脅威のレベルが高まります。一般的に風邪のウィルスは夏にはおとなしくしていますから。

自然界の生き物から、ウィルスが人に感染するとしたら、人間がその原因を作ったのでしょう。環境破壊や乱開発で野生動物との距離が近くなった。人間の数が増えすぎたのは確かですが、「萬物の霊長」と云われる人間が、霊長の資格を失いつつあるのではないでしょうか。

 

2018年に閉館した犬吠埼マリンパークの1頭のイルカ、引き取り先がなく今年死にましたね。今、埼玉の与野公園では飼育したバラ3000株の蕾を切っている作業をしているとか。花が咲くと人が集まってしまうからだということですが、果たしてこれが「萬物の霊長」の行いなのか。

甚だ疑問であります。

 

本能の趣くままに行動するのが良いこと、のような風潮があります。個人主義というか個性の尊重しすぎというか、私は節度ある行動のほうが人間らしい行動だと思います。人間だから我慢する。人間だから他者(動物や物を含む)を気づかう。人間だから老人や弱者を大切にする。のではないかと思います。

 

人間と人間の都合と人間と人間以外の都合、そういったものを熟慮して正しい行いをするものが「萬物の霊長」と呼ばれることを許されるんじゃないでしょうか。「萬物の霊長」って自ら言っておいて、この行動はないなぁ。と思われないように自省を込めて考えました。

 

 

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在宅日記 第10回 免疫力アップ

2020年04月24日

皆さんお元気ですか。昨日の女優さんが亡くなったこと。ショックを受けた人も多いでしょう。私もその一人ですが、今日は皆さん大変興味がある免疫力アップの話です。

 

罹患しない、しても抵抗力を上げるというのは、運動やら食べ物やら薬やら、何か外から施すものと考えがちですが、実は心の影響も大きいのです。心と言ってしまうと実体のないものと思われてしまうかもしれませんので思考としても良いです。

 

今日の私の写真は、皆さんを笑わせようと思って貼ったのですが、今日は服着ているし案外マトモに映ってしまい笑いの要素が足りません。私の優れたる人格が影響しているのでしょうか。

 

左側の文字は「和顔 愛語 讃嘆 絶対感謝 無我の愛」と書いてあります。

 

穏やかな笑顔・愛と思いやりを含んだ言葉・褒めたたえあう行ない・すべての物ひとへの感謝・見返りを求めない愛、言い直すとそんなようなことです。

これがなんだというと和顔愛語は仏教用語、絶対感謝無我の愛はクリスチャンサイエンスやニューソートという以前全体会議でも説明した19世紀のキリスト教分派の考え方を引いているのですが、そちら追及すると宗教になってしまうので、今日は免疫力の話です。

 

平たく言ってしまうと最近の科学でも、笑うと免疫力が上がるということは通説となっています。そのメカニズムは私は詳しくはわかりませんが、常々申しておりますように、「明るく・前向きに・他者のために尽くす」ということは、「和顔 愛語 讃嘆 絶対感謝 無我の愛」の実践ということなんです。

こういった心は、(いや思考でいいです)運命を開くものでもあるし、免疫力も上がる作用があるということです。免疫力アップは一部に過ぎないのです。病気をすると心(思考)が暗くなります。弱気になります。当然心(思考の)免疫力も下がります。これが一番大きいと思います。亡くなった女優さんがのことは無責任なことは言えません。ただ、どんな状況でも、「明るく前向きに他者のために尽くす」「和顔 愛語 讃嘆 絶対感謝 無我の愛」を実践するということは、生活に沢山メリットがありますよ。その一部で免疫力アップも期待できます。ということを 理解してください。

 

テレビの放送は暗いことばかりです。見るだけで落ち込んでしまう。そこが免疫力低下のピンチだということ。暗い思考が浮かんだら、ただ呪文のように「ありがとうございます」と何百回も言ってみるとなんだか ありがたい気持ちになってきます。クーエの法則憶えていますか、「これから毎日あらゆる面で一層よくなります」朝晩20回。気持ちだけでどうにもならないときは、言葉の力を借りるのですよ。

 

会長や部長の笑いは頭の表面の事ばっかりだとか、品性が足りないとか。A君が芸人を目指していた割には、笑いにセンスを感じないとか、そんなことは言ってはいけません。ああいう人たちが知らず知らずに幸福を呼んでいるのです。「笑う門には福来る」は真理の言葉だったのです。

 

あと最後に言っておかなければならないのは、「感謝」。どう考えたって生きているってことだけで感謝です。あらゆる人に、あらゆる物に感謝。我々にはこれが不足していると思います。あらゆる物にですよ。感謝感謝。そういう思考が運命を開くということだけは本当のことだと言い切れます。ではお元気で。

 

 

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在宅日記 第9回 業(ごう)

2020年04月23日

皆さんお元気ですか。今更ですが人間健康が一番です。心身というように、心と体は引き離すことができません。心の影響を身体が受けるのです。だから心を健康にしておかないと身体が健やかにならないのですね。遺伝病というのはもちろんDNAで説明できてしまうのですが、私は遺伝というのも業の流転(霊的な因縁)の影響があると考えています。家族が似るのはDNAだけでは説明できないものもあるでしょう。

 

私生活が体に及ぼす影響も、心や性格の問題も大きいでしょう。自分が腎臓を悪くしたのは遺伝ですが心臓のほうは性格や生き方が原因の一つだと思います。昔から非常に急(せ)く事の多い性格でした。何をそんなに急いでいるのか自分でもわからないくらい生きることさえ急いでいました。ゆっくり確実にというのができない。早く正確にを常に求める、いつも心臓ドキドキです。

 

今ましなのは、それを人に強要することが少なくなったことですね。若いころは許せなかったのですが、今はこれでも許せるようになったのです。これでもね。

 

今は歳のせいでしょうか。身体のせいでしょうか。急ごうと思ってもできないのです。在宅になってから特に、また急く性格が出てきてしまいます。ストレスでしょうか。

昔から不整脈波や動悸はあったのですが、定期的に強くなります。これは一種のサインで、また急いてるぞってことなのですが、サインが出たことにはかなり進行してしまっていて、治るのに月単位でかかるときもあります。

 

昔からそんな時は『救心』を飲んでいました。これは私の精神安定剤。不整脈や動悸が治るわけじゃないんですが、安心はします。そして入院中に聴くようになったボーカロイドの『文部省唱歌』や国民的な歌。私の心酔する明治人が聴いていた歌。もちろん最近の歌にもいいのがあります。そういったものをダウンロードして聴いています。心が落ち着きます。歌っているのは人間じゃないですけど上手に歌うもんです。唱歌は歌詞が良いです。当時その歌が生まれた背景とか国民の感情とかが感じられるから。これも私の精神安定剤。

 

入院中のベットの上でもヘッドホンで音楽を聴きながら、パソコンを広げて仕事をし、テザリングでメールをする。在宅じゃなくて 「在院勤務」してましたよね。

 在宅は一人ですから、やっぱりストレスが溜まります。追い込むもう一人の自分と常時一緒にいるわけですから、追い立てられて、サインが出で「いかんいかん」となるわけです。

 

皆さんも、長く生きている人はとくに自分の癖がわかっていると思います。良い癖もあるし悪い癖もある。魂レベルのその癖が『業』(ごう)といわれるもので、死んでも業は持って逝って同じグループの人は同じような業を持って生まれてくるのです。これを業の流転といいますが、悪い業は修正していくことができるのです。もう自分の性格は直らないと思わないで、いつからでも気づけば直していけるので、『良い業を積んで生きませう』(旧仮名づかい)

 

 

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在宅日記 第8回 セルフ散髪

2020年04月22日

今朝は早く起きて食事の前にセルフ散髪をしました。見たくない人もいるでしょうが、写真を貼っておきます。

 

右利きなのに、自分の左側のほうがいつもうまくいきます。右手で右側は、やりやすいので雑になってしまうのです。そんなに時間を掛けずにやるし久々なので部分的に切りすぎてしまいますが、そのうちに生えてくるから(生えてこない人には失礼だが)気にしないことにしています。

さて本日の格言は本田宗一郎

「私は若い社員に、相手の人の心を理解する人間になってくれと話す。それが哲学だ。」

弊社に若いと言える人間はどれだけいるのかと思うかもしれないが、神道(しんとう)には常若という考え方があるのでネットで調べてみるとよいでしょう。

 

相手の心を理解する。相手というのは自分以外全て、人間だけではなくて物に対しても理解する人になってほしいものです。理解というのがまた簡単に書いてあるけれども、「深く思いを尽くす」ということであって欲しい、さらに言うと意識しなくても自然とそういうことができるような習慣を持った人間になってほしいということ。

 

これが実際は言われなくてもできる人がいる。できる人とできない人が混ざっている。これが社会というもので個性でもあるわけですが、会社人(社会人ではない)としては、出来るだけ人のレベルをそろえたいわけです。現に松下幸之助も、本田宗一郎も、きっかけを作ったけれど今はどうでしょう?みんな故人なので、今のパナソニック・ホンダを見てどう思うでしょう、イムズを継承しているのは、かろうじてホンダか、ホンダは世襲しなかったけれど、創業者とともに苦労した人が後を継ぎ、イムズというものが残っています。トヨタも今は世襲だから伝わってくる。(コマーシャルの影響?)しかし、パナソニックは全く変わってしまった。松下幸之助は天国でどう思っているだろうか。少なくとも喜んではないでしょう。

 

そこで「相手の人の心を理解する人間」という話になる。「顧客の人の心を理解する会社」でもいい。会社は個人の集合体なんだから、個人がダメなのに会社が立派。なんてことはないのだ。私が社長だから言うのではないけれど、集団として『優秀で強く明るく前向きなチームの一員でいたい』と思わないのか不思議だ。

 

そういうチームはぶら下がってる人がいたら出来ない。みんなが同じ気持ちじゃなきゃ。一人一人がチームを引っ張る自覚を持っていないと。正社員15人くらいの会社じゃないですか。これが何千何万も社員がいたら総和逝かないでしょうけれど、我々はそうなれるんですよ。そうしようではないですか。

 

 

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在宅日記 第7回 美人薄命

2020年04月21日

「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」

 

小説家、林芙美子の詩の一部。この部分だけをよく色紙に書いたそうです。貧しい家に生まれ昭和26年(連合軍占領下)に47歳で亡くなりました。この言葉を聞くと何だか世を嘆いているように聞こえますが逆なのです。短い命の中に一生懸命に生きているからこそ咲いている一瞬に他の人にはわからない幸せを見ることができる。原文の前後から、生き方からそう思います。

 

さて、私たちが苦しめば苦しむほど幸せを感じることができるには、ただ受け身で苦しい思いをするというのではなく、自ら努力している中で苦しさと出会って克服するということでなければなりません。

今度はヘンリーフォード1世です。

「ビジネスマンは、自分がやってきた古い方法に自己満足し、 そこから変化することができないために 敗北するのです」

これは全体会議でやってきました。君たち(弊社の社員)は、いま充足しています。

でもそれは勘違いです。過去の他人の苦労で成った実を今食べているだけなのです。

 

自分で生み出したものではない。しかし、

これからは自分で生み出した実を食べていかなければなりません。自分だけでなく他人をも食べさせていかなければならないのです。世の中は変化します。

 

自動車の生産に革命をもたらした ヘンリーフォード 「変化できなければ敗北が待っている」と言っています。

昨日のニュースを見た人もいるでしょう。

歌舞伎座前の お弁当屋さん「木挽町辨松」(こびきちょうべんまつ)152年の歴史に4月20日で幕を下ろしました。電気を消して店の前で頭を下げる店主の気持ちを考えると胸が痛みます。

 

出店していた百貨店の閉店、仕出しを取る習慣の減少、後継者不在とコロナによる歌舞伎座の休演、譲渡先を探すも見つからず廃業。もっと早く何らかの手を打てなかったのか。

外野が言うのも失礼ですが、本当に惜しい。企業として150年続くには、それなりの大きな価値があったはずです。

 

我々は、まだ30年経っていません、かつて企業の寿命昔は20年と言われていました。要は世代が変わるとき、従来のままのやり方も変化しなければいけないということです。

 

私(本間)たちがいなくなった時のことを考えてください。それでも20年30年先を見据えておかなければなりません。「美人薄命」「花の命は短くて」は、いずれも、その分輝きが大きいということです。人生そのものが短い、その一瞬に輝くには、理念をもち絶えず努力することが必要なのです。

 

 

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在宅日記 第6回 月曜日 訓話

2020年04月20日

皆さんお元気ですか。元気だということは聞いているので安心しています。さて毎日コロナの話題で恐縮です。本当はこんな時こそ、もっと明るい話をしなければならないのですが希望を込めてコロナの話をします。

 

Chinaや韓国が正確な情報を出しているなら、ピークを越えて終息に向かっている。特に新規感染者が一桁なんていうのは良いニュースですが、ヨーロッパでピークを迎えていないところやアフリカなどは今後の懸念があります。アジア圏で最も封じ込めが成功したのは台湾で、その理由については指導者の決断と国民性に負うところが大きいと思います。昔の日本人的な良識ある人たちが多いのです。

一方の我が国ですが、戦後の分断工作によって一つにまとまれません。一つにまとまらないように洗脳教育されてきたのですから当たり前なんですが、一般民や芸能人、著名人などがSNSで政権批判していますが、ダメ政権でも自重して難局を乗り切れる人民じゃなきゃダメなのです。戦時になったらSNSだって機能するかわからない。何も情報なくても自分達で考えて、自分を家族を地域を国家を守らなきゃいけないんですから。

 

今我慢していることが成果を出してくれば光は見えてくると思います。いうも言うように、全員がやらなきゃ意味がないのです。一部の私だけは良いかというような行動。これは噂ですが(ネット上の)富山にコロナ持ち込んだ女子大生一家は引っ越す羽目になったとか。一人の行動が何千何万という人に影響しますから気を付けなければなりません。

5月の連休明けごろ埼玉県をはじめとする周辺地域の新規感染者が陰性になる人より少なくなっていれば、終息に向かっているということで、出勤とし、そのころトリオのGW出社組は代休を取ってもらって自宅で経過観察という予定を考えています。

 

今は世の中の行動がどちらの方向(収束か拡大か)に結びつくのか見守るしかありませんが、

くれぐれも業績は下げないように努めてくださいますよう、お願いいたします。

 

 

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在宅日記 第5回 休日 新型コロナ情報

2020年04月19日

今日はお休みさせてもらいますよ。

今までは、来客やら何やらで実務の遅れを週末に取り返す、みたいなことを長くやってきましたが、これからは土日のどちらかは完全にお休みするようにします。

 

今回の新型コロナをきっかけに世の中(文明)は大きく変わるでしょう。モノ作りの価値は不変ですが、もっと効率を上げて時間短縮しないと。余裕なさすぎでしたからね。

なんで昔の人のほうが仕事できたと言われてしまうのでしょうか。現代の方が生産効率上がって当然なのに。パソコン使う仕事は効率上がったでしょうけれど、モノづくり、特に手作り物は落ちていますよ。職人仕事などは典型ですね。

 

在宅勤務で会社の業績が落ちなかった企業では出勤の必要あったのか?ということになるでしょう。在宅で仕事ができる人が増えます。弊社はともかく、都内は相当数、在宅やシフト出勤みたいなものが増えるでしょう。ますます地方と都市、ホワイトカラーとブルカラーの格差ができるかもしれません。ホワイトが良いという意味ではないですよ。ブルーの誇りを持ちましょう。仕組みも変わるけれど、産業や農業のあり方も変わるでしょう。日本はついていけるでしょうか?我々も含め日本人の質がねぇ。

コロナのことで言っておきますよ。新たな感染症の発生する間隔が短くなっているそうです。2002年、中国で発生したSARSは9ヵ月でほぼ終息。2015年に中東で発生したMERSは7ヵ月、これから先も新しいコロナが次々出てくるということ。なぜかわからないけれど、人間が森林破壊や地球破壊をしたことへの野生動物の仕返しかもしれません。

 

一方、大切なことを忘れています。日本で被害が少なかったからでしょう。MERSは未だに中東でクスぶっています。SARSもMERSもワクチンがいまだにできていません。ワクチンできる前に下火になってしまったので製薬会社も本気にならないからともいわれています。

 

SARSもMERS日本では感染症例なしでしたが、MERSは韓国に教訓をもたらしました。それでも感染者186人、死者38人です。これが今回の新型での対応の速さと行動制限を受け入れる強さに繋がっているのです。(いまだに朝鮮戦争の停戦中という体制もあるが)日本人も学ばなければなりませんね。

 

SARSとMERSが止められたのに新型コロナはなぜ拡散し続けるのか。それは、SARSとMERSは下気道で増殖するので強い咳をしないと外に出にくいのでサインが出るわけです。一方の新型は上気道に留まって放出するので無症状の人が拡散するステルス方式なのです。しかも判るのは2週間後。だから「うつらない・うつさない」 自分は感染しているつもりの行動が必要なのです。知識として社員のみなさんは知っておいてください。

 

 

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在宅日記 第4回 いのち

2020年04月18日

皆さんお元気ですか。毎日行動記録書いていますね。
今日は雨です。風もかなり強くて木々が強くなびいています。 この雨がウィルスも流し去ってくれるとよいのですが、今日で日本の感染者も1万人を超えるでしょうね。
ただ、皆さんは過剰に恐れることはありません。感染者数が落ち着いたら 一度かかっておいたほうが良いくらいです。健康って大事ですね。いつも私が云う生活習慣病くらいバカバカしいものはないのです。生活変えれば予防できるのに なんでわざわざ病気の素を作るのか? 遺伝病でどうしようもない それこそ運命というものなら受け入れるしかありませんが、そうならないで済むのに、ねぇ。もったいないです。

かくいう私もコロナ感染しても、これだけベスト尽くして なるなら仕方ないというところまで予防に努めようとは思っていますが、完全に隔離して生きられるはずもなく。今日も下水のことで 水道屋さんと接触しましたが、この雨の中やむを得ず接近遭遇となってしまいました。

 

皆さんも、感染は仕方ないですが、万全を尽くしたうえで なってください。生活習慣も努力を尽くしてください。家族のため会社(チーム)のためにね。誰が欠けても、惜しい人にならなければだめです。いなくなっても影響ないようじゃ。自分が寂しいではないですか。

 

我が家では私よりワンコがいなくなったほうがダメージが大きそうですが。

昨日まで蕾だった 部屋のハイビスカスが2輪咲きました。この花の命は短いのできれいに開いているのは2~3日 すぐに落ちてしまいます。この木はもう10年くらいうちにあって黄色と赤色の花がつくはずですが黄色が多くなって赤い花はあまり咲きません。人は何で家に草花を植えたくなるんでしょうか。

 

やっぱりそこに命がある事を感じていたいんだと思います。水や光、肥料を上げたりしないと死んでしまいますものねぇ。花でさえ枯らさないように面倒みるでしょう。人間てそういうとことがあるのですよ。植物も人の話が分かるらしいし。何かで繋がっているんでしょうね。

 

頓首再拝。

 

 

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在宅日記 第3回 運命

2020年04月17日

皆さんお元気ですか。日記と言っても毎日机に向かって仕事しているだけで日記にならないですね。昨日も書いたようにメッセージです。

 

よく自分探しの旅に出るという人がいますが、自分というものは見つけるもんなのでしょか。見つけられるものでしょうか。そんなものはどこかに落ちているものではないので見つかったつもりにはなっても見つかりはしないのです。

自分の人生、思い通りに生きている人ってどのくらいいるでしょうか。誰だって1年前には寄居に勤めてるなんて思っていなかったでしょう。そういうものです。所詮与えられたところでベストを尽くすしかないのです。昨日書いた事がすべて、与えられたと言いますが輪廻転生を信じる私としては偶然というものは一つもないと信じていますので全てが必然なのです。

 

サンエイという会社に集ったことも、結婚や出産だってそうです。誰が誰のところに生まれるということでさえ自分で決めたのです、人のせいにはできません。全部必然で集っているのです。会社や結婚も残念ながら、別れなければならないこともあるでしょう。

 

それでも、その場所にご縁がある限りは、そこでベストを尽くすのです。どんなにつまらない(と思える)役割でも、誰よりその役割をうまく果たすという意気込みが必要です。

人生はスタートラインから、どのくらいハンデや実力を持っていて、それを使ってどのくらい伸ばしたかということが最終的な成績になるのです。はじめから恵まれていている人は高得点から始めなければいけないし、努力しなくてもできてしまう人は、努力しなければできない人より同じことをしても点数が低いのです。要は、最終地点からスタートの引き算に、どれだけ努力したかを掛けた結果が人生の価値というものです。そういう意味で、恵まれずに身体や心にハンディがある人が、人並みの人生を送ったら大変な高得点になるわけです。何もハンディがない人はいないと思いますが、そんなことは関係ない、むしろそれを有難く受けてバネにする人の人生は美しく価値があるってことになるのです。

 

 

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