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e)日本神話 古事記 やさしい解説の記事一覧

日本神話(21)神やらひ 穀物・お蚕の祖

2020年04月19日

さて、天照大御神が天の岩屋戸からお出ましになり、高天原(天上界)も葦原中国(地上界)も明るさが戻りました。今のコロナ禍の世界も早く天照大御神のお出ましが待たれます。一方の須佐之男命はどうなったのでしょう。

 

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是(ここ)に八百萬(やおよろず)の神、共に議(はか)りて、速須佐之男命(はやすさのおのむこと)に千位置戸(ちくらおきど)を負(お)おせ、亦鬚(またひげ)を切り手足の爪をも抜(ぬ)かしめて、神(かむ)やらひやらひき。又食物(また おしもの)を大氣都比売神(おおげつひめのかみ)に乞(こ)ひたまひき。爾(ここに)に大氣都比売、鼻口また尻より、種種(くさぐさ)の味物(たなつもの)を取り出でて、種種(くさぐさ)作(つく)り具(そな)へて進(たてまつる)る時に、速須佐之男命、其(その)の態(しわざ)を立ち伺(うかが)ひて、穢汚(きたなき)もの奉進(たてまつ)ると爲(おも)ほして、乃(すなわ)ち其(そ)の大宜津比売神を殺したまひき。故殺(かれ ころ)さえたまへる神の身に生(な)れる物は、頭(かしら)に蚕(かいこ)生(な)り、二つの目に稲種(いなだね)生り、二つの耳に粟(あわ)生り、鼻に小豆(あずき)生り、陰(ほと)に麦(むぎ)生り、尻(しり)に大豆(まめ)生りき。故是(かれここ)に神産巣日御祖命(かみむすびみおやのみこと)、茲(これ)れを取らしめて種(たね)と成(な)したまひき。

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須佐之男命 御被避(みやはらえ)のくだり

一般的に須佐之男命は高天原から追放されたとされています。「ひげを切りて足の爪を抜かれて神やらいされた。」と書かれているのですからそう受け取られますが、これはある意味卒業というものに近いと私は考えます。もう髭も爪も必要ないので「海原を知らす」ために旅立たせた。ということです。

 

そして大氣都比売神に食べ物を乞うのですが書き下しにあるように殺してしまうのです。しかしそこから日本人にとっても大切なものが次々生まれてくるわけです。ここのとろこも日本人以外は到底理解不能な、ただの残酷物語にしか聞こえないと思います。

しかし、日本人には死して尚生きる(死以上に価値のあるものを生む)という死生観みたいなものがあるのです。去ってもっと貴いものが新たに生まれる。造化三神である神産巣日神(かみむずびのかみ)が、そこから生まれたものを種となした。(すべてのものの元と成した)ということで、ここから主に穀物と、御蚕様(おかいこさま)が生まれたのです。稲作や養蚕等 農業のはじまり。日本の生活分化の素です。

 

私の地元では昔、それは養蚕が盛んで家の周りじゅう桑畑だったものです。農家の皆さんは本当に「お蚕様」と呼んでいました。人のために命を投げ出してくれるということと、天上界から伝えられたという意味が込められていたのですね。今になってわかります。それが外国の安価な絹に押されてあっという間に廃れてしまいましたが、上皇后陛下が養蚕を古来種で行っておられたように日本人にとって養蚕とは利益に関係なくやっていかなけれなならないことなのではないですか。それを簡単に捨ててしまうことは畏れおおいことだと私は思います。ある意味、日本そのものの一部を捨てたといってもよいくらいです。

 

伊邪那美命が神避り坐(ま)したときも吐瀉物や排泄物から神々が生まれました。その時生まれた和久産巣日神(わくむすびのかみ)の子(みこ)が豊宇氣毘売神(とようけびめのかみ)。天照大御神をお祀りする伊勢神宮の外宮に鎮まります。

 

食物を司る神という意味の御饌都神(みけつかみ)であり、外宮のみにある御饌殿(みけでん)では、(みけ=御食=食べ物のこと)毎日午前8時から午前9時までにかけての朝大御饌。午後3時から午後4時までにかけての夕大御饌の毎日2回、天照大御神をはじめ、豊受大御神、各相殿神(あいどののかみ)、各別宮の神々に大御饌(おおみけ)を捧げています。
このお祭りは「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)」といい、禰宜(ねぎ)1名、権禰宜(ごんねぎ)1名、宮掌(くじょう)1名、出仕2名により奉仕されています。1500年以上も欠かすことなく、太古の方法で火を熾し土器を使って調理してお供えします。

 

大氣都比売神(おおげつひめのかみ)と豊宇氣毘売神(とようけびめのかみ)は古事記にのみ書かれている(外国向けの日本書紀には書く必要がなかった)穀物神です。大切な日本の生活文化・食文化の祖の神なのです。

 

本日はここまでと致します。

 

 

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日本神話(20)天の岩屋戸隠れ 本当は天の岩屋戸籠(こも)り

2020年03月21日

天の岩屋戸隠れのくだりは、隠(かく)れるという言葉が定着してしまっている感がありますが、これは本来の意味は籠(こも)るです。天照大御神が驚いて隠れたというのは間違いというより少し理解が浅いと思います。闇は闇というものがあるのではなく光の不在だというのは、谷口雅春先生の言葉ですが、天照大御神は自らのお考えで岩屋戸にお籠りになったのです、これは光の不在、闇の中で様々な禍(わざわい)が出現します。今もコロナ騒ぎでだんだん世の中が暗くなっており光が遮られようとしています。光の不在の状態に近づきつつあります。さて、神々はどんな方法で この危機を乗り越えたのでしょうか。参考になります。

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是(ここ)を以(も)て八百萬(やおよろず)の神 天安之河原(あめのやすのかわら)に神集(かむつど)ひ集(つど)ひて、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)の子(みこ) 思金神(おもいがねのかみ)に思はしめて、常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり)を集(つど)へて鳴かしめて、天安之河の河上(かわら)の天堅石(あめのかたしわ)を取り、天金山(あめのかなやま)の鐵(かね)を取りて、鍛人天津麻羅(かぬちあまつまうら)を求(ま)ぎて、伊斯許理度賣命(いしこりどめのみこと)に科(おお)せて鏡を作らしめ、玉祖命(たまのやのみこと)に科(おお)せて、八尺勾璁(やさかのまがたま)の五百津(いほつ)の美須麻流(みすまる)の玉(たま)を作らしめて天児屋命(あめのこやねのみこと)布刀玉命(ふとたまのみこと)を召びて、天香山(あめのかぐやま)の眞男鹿(まおしか)の肩を内抜(うつぬき)きに抜きて、天香山(あめのかぐやま)の天波波迦(あめのははか)を取りて、占合(うら)へ麻迦那波(まかなわ)しめて、天香山の五百津眞賢木(いほつまさかき)を根許士(ねこじ)に許士(こじ)て、

上枝(ほつえ)に八尺勾璁(やさかのまがたま)の五百津(いほつ)の美須麻流の玉(みすまるのたま)を取り著(つ)け、中枝(なかつえ)に八咫鏡(やたのかがみ)を取り繋け、下枝(しずえ)に白丹寸手(しろにぎて)青丹寸手(あおにぎて)を取り垂(し)でて、此(こ)の種種(くさぐさ)の物は布刀玉命(ふとたまのみこと)布刀御幣(ふとみてぐら)を取り持たして、天児屋命(あめのこやねのみこと)布刀詔戸言祷(ふとのりとごとね)ぎ白(もう)して、天手力男神(あめのたじからおのかみ)、戸(みと)の掖(わき)に隠(かく)り立たして、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)天香山の天之日影(あめのひかげ)を手次(たすき)に繁(か)けて天之眞拆(あめのまさき)を鬘(かづら)と為(し)て、天香山の小竹葉(ささば)を手草(たぐあ)に結(ゆ)ひて、天之岩屋戸(あめのいわやど)に汙気伏(うけふ)せて、踏(ふ)み登抒呂許(とどろこ)し、神懸(かむかがり)為(し)て胸乳(むなじ)を掛(か)き出で、裳緒(もひも)を番登(ほと)に忍(お)し垂(た)れき。爾(かれ)高天原(たかあまはら)動(ゆす)りて、八百萬神(やおよろずのかみ)共(とも)に咲(わら)ひき。

 

於是(ここに)天照大御神(あまてらすおおみかみ)怪(あや)しと以為(おも)ほして、天岩屋戸(あめのいわやど)を細めに開きて、内より告(の)りたまへるは、「吾(あ)が隠(こも)り坐(ま)すに因(よ)りて、天原自(あまはらおのず)から闇(くら)く、葦原中國(あしはらなかつくに)も皆闇(みなくら)からむと以為(おも)ふを、何由以(なにとかも)天宇受賣(あめのうずめ)は楽(あそび)し、亦(また)八百萬神(やおよろずのかみ)諸咲(みなわら)ふぞ」とのりたまひき、爾(すなわ)ち天宇受賣(あめのうずめ)、「汝(な)が命(みことに)に益(ま)さりて貴(とうと)き神(かみ)坐(いま)すが故(ゆえ)に、歓喜(よろこ)び咲楽(えら)ぐ」と言(もう)しき。如此言(かくもう)す間(あいだ)に、天児屋命(あめのこやねのみこと)布刀玉命(ふとたまのみこと)其(そ)の鏡(かがみ)を指(さ)し出(い)でて、天照大御神(あまてらすおおみかみ)に示(み)せ奉(まつ)る時に、天照大御神(あまてらすおおみかみ)愈奇(いよいよあやし)しと思(おも)ほして稍戸(ややと)より出(い)でて臨(のぞ)み坐(ま)す時に、其(そ)の隠(こも)り立てる天手力男神(たじからおのかみ)、其(そ)の御手(みて)を取りて引(ひ)き出(いだ)しまつりき。即(すなわ)ち布刀玉命(ふとたまのみこと)尻久米縄(しりくめなわ)を其(そ)の御後方(みしりえ)に控(ひ)き渡して「此(ここ)より内(うち)にな還(かえ)り入(い)りましそ」と白言(もう)しき。

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天の岩屋戸のくだり

あらゆる神々(八百萬)が天安之河原に集まって対策会議を開き、ここは造化三神(一番初めにご登場の姿のない神様)高御産巣日神の子(みこ)知恵の神でもある思金神(日本書紀では思兼神)(おもいがねのかみ)に御指導いただこうということになりました。その内容とは。

 

  • ①常世の長鳴き鳥を集めて鳴かせる(夜明けをおもわせる)
  • ②天金山の鐵(かね)で鏡を作る(八尺鏡 皇室の三種の神器現代に伝承)
  • ③八尺勾璁の五百津の美須麻流(みすまる)の玉(たま)を作る(八尺勾璁 皇室の三種の神器現代に伝承)
  • ④天香山の五百津眞賢木(いほつまさかき)を根っこから持ってくる
  • ⑤上枝に美須麻流の玉 中枝に鏡 下枝に白・青の和幣(にぎて)を垂らす
  • ⑥鹿の肩甲骨を焼き割れ目の模様で占なう(答え合わせと確認の儀式)
  • ⑦天児屋命布刀詔戸言祷(ふとのりとごとね)ぎ白す(祝詞をあげる)
  • ⑧天手力男神を岩戸のわきに隠れ立たす
  • ⑨天宇受賣命が小竹葉を手に天之眞拆を鬘に神懸りし胸もあらわに踊る
  • ⑩八百萬神がそれを見て愉快に笑う

 

天照大御神は外の様子がおかしい、高天原(天上界)も葦原中國(地上界)も光の不在の状態なのにこのにぎやかさは何。とお思いになります。お籠で御自らの御立場についても整理がついたのでしょう。ちょっと戸を開けて聞いてみます。「天上開も地上界も暗いはずなのに天宇受賣は楽しそうに踊り八百萬神は笑っているのか」と、天宇受賣は答えます「天照大御神様に遜色ない貴い神様が お出ましになったので歓んでいるのです」その時、天児屋命、布刀玉命が鏡を差し出します。どんな神様だとさらに戸を開いて覗こうとしたとき天手力男神が御手を取り岩屋戸よりお出ましになったのです。岩屋戸は天手力男神が放り投げて戸隠山(長野県)に当たって山が今の形になったという伝説があります。尻久米縄を引き渡したことが注連縄(結界縄)の起源とも言われています。

 

ということで、天上界、地上界とも光が差し込んだことで闇が駆逐され、すべてが明るく生き生きと復活した次第です。思金神、天宇受賣命は後でまた御出ましになります。

 

中村天風先生の言葉にも「人生あまり難しく考えなさんな。暗かったら窓を開けろ、光がさしてくる」というのがあります。光は元々射しているのです。それにカーテンや戸を立てているのは私たちのほう。暗い時こそ明るく前向きに取り組むことの必要性がこの神話によって諭されていると思うのは私だけでしょうか。

 

新型コロナウィルスの影響が世界中で大変なことになっています。これからの状況読めませんが、私たちは今回紹介した神話を戴き、日清・日露・大東亜、隠忍自重・臥薪嘗胆の先祖を持つ民族であることを忘れているでしょう。思い出しましょう。こんな時こそ天照大御神の御出ましを待ちましょう。ちょっと日が陰っていますが、その上には常に燦燦と太陽が照り輝いているのです。明けない夜はないのです。

 

 

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日本神話(19)かちさび/詔(の)り直(なお)し/天の岩屋戸隠れ(序)

2020年03月07日

建速須佐之男命は清明心(せいめいしん)が手弱女(たわやめ)=たおやかな三女神を生んだので私の勝ちだとお考えになったのですが、そこに天照大御神のお力もあるということには思いが到らなかったのです。

 

一般的に 須佐之男命に起ったこの御心を勝佐備(かちさび)として慢心のような意味にとられがちですが、私は自信(確信)をもったというニュアンスだと思います。その確信がその後の行動を過激にするのですが、元々、御名の通り力強く行動力のある神様ですから、その探求心が自信を持った場合、高天原の神々には大変乱暴な行いに見えたのです。

 

建速須佐之男命の探求は、父神、伊邪那岐命から授かった「汝が命は、海原を知らせ」という御言葉に通じます。海原とは地上世界である葦原中国(あしはらのなかつくに)のことです。地上界で役に立つ研究をなさっていたということです。

 

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爾(ここ)に速須佐之男命 天照大御神に白(もう)たまわく 「我が心清明(こころあか)きが故(ゆえ)に、我が生めりし子(みこ)手弱女(たわやめ)得つ。此(これ)に因(よ)りて言(もう)さば、自(おのづか)ら我勝(われか)ちぬ」と言ひて、勝(かと)ちさびに、天照大御神の営田(みつくだ)の阿離(あはな)ち、溝埋(みぞうめ)、亦其(またそ)の、大嘗(おおにえ)聞(きこ)し看(め)す殿(との)に屎(くそ)まり散(ちら)しき。

故(かれ)然(し)か為(す)れども、天照大御神は、とがめずして告(の)りたまわく、屎如(くそなす)は、酔(よ)いて吐(は)き散らすとこそ、我(あ)那勢命如此爲(なせのみことかくし)つらめ。又田の阿離(あはなち)溝埋(みぞう)むるは、地(ところ)をあたらしとこそ我(あ)那勢命如此爲(なせのみことかくし)つらめと、詔(の)り直(なお)したまえども、猶其(なお)その悪(あ)しき態(わざ)止あ(や)まずて、轉(うた)てあり。

天照大御神、忌服屋(いみはたや)に坐(ま)しまして、神御衣(かむみそ)織(お)らしめたまう時に、其(そ)の服屋(はたや)の頂(むね)を穿(うが)ちて、天斑馬(あめのふちこま)を逆剥(さかは)ぎ剥(は)ぎて、堕(おと)し入るる時に、天衣織女(あめのみそおりめ見驚(みどおどろ)きて、梭(ひ)に陰上(ほと)を衝(つ)きて死(みう)せにき。

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須佐之男命 荒備(あらび)のくだり

 

天照大御神の営田の畔を壊したり用水路を埋めたり、お食事処である大嘗殿に屎尿を撒くという行いに出ます。

それでも天照大御神は咎(とが)めることをせず、各々の行為は場所と時期が異なれば有益あったかもしてない、今回のことは きっと事情があってのことだと御自らも詔(の)り直(なお)しによって、起きた現象の正しいところを観ようとされるのです。

 

建速須佐之男命のここまでは主に稲作についての探求でしたが 天斑馬を逆剥ぎにして神様に献上する神御衣を織る服屋の屋根から放り込み、それに驚いた織女(おりめ)の陰上(ほと)に 機織りの際、横糸を通す道具である梭(ひ)が刺さって死んでしまいます。

 

ここに及んで天照大御神は自らの御心も反省してみようと、お考えになり天岩戸にお籠りになるわけです。

(伊邪那美命も機織女も陰上の傷が元でお隠れになる事が興味深いです)

天斑馬を逆剥ぎについては、地上の生活に於いての肉食或いは、動物の毛皮の利用等の研究ということが当たると思います。我々人間は、自分では手を下さずともそれ等を自然に利用しています。神々に使命を託された人が、現代に於いてもその役目を果たされているわけです。

 

多くの解説書(者)は、須佐之男命の乱暴にびっくりして、天照大御神が逃げ隠れてしまう。としていますが、

私の解釈ではそうではありません。古事記は日本人の理念が書かれていると信じていますから、天照大御神が逃げ隠れるなど信じるわけには参りません。そんな弱い心からの行いではないのです。

日本人には、どんな局面においても事物の明るい面を観、自らを反省し前向きにとらえ、進歩向上の力に変換するという力を持っている(た)のです。思い出しましょう。それが光明思想ともいうのです。

 

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故是(かれここ)に天照大御神 見畏(みかしこ)みて天岩屋戸(あまのいわやど)を閇(た)てて、刺しこもり坐(ま)ましましき。

爾(すなわ)ち、高天原(たかあまはら)皆暗く、葦原中國(あしはらのなかつくに)悉(ことごと)に闇し。

此(こ)に因(よ)り常夜(とこよ)往(ゆ)く。是(ここ)萬神(よろずのかみ)の聲(おとない)は、狭蠅(さばえ)なす皆涌(みなわき) 萬(よろず)の妖(わざわい)悉(ことごと)く發(おこり)き。

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天岩屋戸のくだり 序文

 

太陽神 天照大御神が天の岩屋戸に お籠りになったことで、天上界の高天原だけでなく、地上界である葦原中国も暗闇になり、騒がしく様々な災いが起こるようになりました。さて、こてからどうなりますでしょうか。

 

本日はここまでと致します。

 

 

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日本神話(18)宇気比/誓約/受霊(うけひ)

2020年02月15日

宗像三女神は思い入れのある方も多いのではないでしょうか、玄界灘に一直線に鎮まる お宮に祀られる神は、現代人の目から見ても至極神秘的な地で神意というものを強く感じます。私は古事記派ですが日本書紀でも三柱の神は特別に尊いご存在であるとされています。

 

「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群として平成29(2017)年に世界文化遺産に登録されましたが、信仰のある人にとっては、そんなことはどうでもよいでしょう。この海路がどれほど大事なものであったか、それを鎮め守ることが日本にとってどれほど大きな意味を持つものであったかは現在でもどんな戒律があり祭祀が行われているかをみれば明らかです。

 

神宿る島はキャッチフレーズではなくて真実なのです。日本人はもっと神の御前で謙虚でなければなりません。私は特に沖ノ島などは旅や観光気分で訪れることには反対だったので一般人の上陸や女人禁制が貫かれていることに安堵しています。誰が何と言おうと信仰上曲げられないことがあって良いのです。

 

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故爾(かれここ)に各(おのもおのも)天安河(あまのやすかわ)を中に置(お)きて、宇気布(うけぶ)時に、天照大御神、先ず建速須佐之男命の佩(みはか)かせる十拳剣(とつかのつるぎ)を乞(こ)い渡して、三段(みきだ)に打ち折りて、奴那登母母由良(ぬなとももゆら)に天之眞名井(あまのまない)に振り滌ぎて、佐賀美迦美(さがみにかみ)て吹(ふ)き棄(う)つる気吹(いぶき)の狭霧(さぎり)に成りませる神の御名(みな)は、多紀理毘賣命(たきりびめのみこと)。亦(また)の御名(みな)は、奥津島比賣命(おきつしまひめのみこと)と謂(もう)す。
次ぎに市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)。亦の御名は狭依毘賣命(さよりびめのみこと)と謂す。次ぎに多岐都比賣命(たぎつひめのみこと)三柱。

速須佐之男命、天照大御神の左の御(み)美豆良(みづら)に纏(ま)かせる八尺勾璁(やさかのまがたま)の五百津(いほつ)の美須麻流珠(みすまるのたま)を乞(こ)ひ渡して、奴那登母母由良(ぬなとももゆら)に天之眞名井(あまのまない)に振り滌ぎて、佐賀美迦美(さがみにかみ)て吹(ふ)き棄(う)つる気吹(いぶき)の狭霧(さぎり)に成りませる神の御名(みな)は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかあかつかつはやひあめのおしほほみのみこと)。また右の御(み)美豆良(みづら)に纏(ま)かせる珠を乞い渡して、佐賀美迦美(さがみにかみ)て吹(ふ)き棄(う)つる気吹(いぶき)の狭霧(さぎり)に成りませる神の御名(みな)は天之菩卑能命(あめのほひのみこと)。亦(また)御鬘(みかづら)に纏(ま)かせる珠(たま)を乞(こ)ひ度(わた)して佐賀美迦美(さがみにかみ)て吹(ふ)き棄(う)つる気吹(いぶき)の狭霧(さぎり)成りませる神の御名(みな)は天津日子根命(あまつひこねのみこと)。亦(また)左の御手(みて)に纏(ま)かせる珠(たま)を乞(こ)ひ度(わた)して佐賀美迦美(さがみにかみ)て吹(ふ)き棄(う)つる気吹(いぶき)の狭霧(さぎり)に成りませる神の御名(みな)は活津日子根命(いくつひこねのみこと)。亦(また)右の御手に纏かせる珠を乞ひ渡して佐賀美迦美(さがみにかみ)て吹(ふ)き棄(う)つる気吹(いぶき)の狭霧(さぎり)に成りませる神の御名(みな)は熊野久須毘命(くまぬくすびのみこと)。井(ならびに)に五柱。是(ここ)に天照大御神、速須佐之男命に告(の)りたたまはく「是(こ)の後(のち)に生(あ)ませる五柱(いつはしら)の男子(ひこみこ)は、(ものざね)汝(あ)が物(もの)に因(より)て成(な)りませり。故自(かれおのずか)ら吾(あ)が子也(みこなり)。先(さき)に生(あ)れませる三柱(みはしら)の女子(ひめみこ)は、物實(ものざね)汝(みまし)が物(もの)に因(よ)りて成(な)りませり。故乃(かれすなわち)汝(みまし)の子也(みこなり」如此詔(かくの)り別(わ)けたまひき。

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下表はクリックしてください。

さてこの受霊(うけひ)をもって自(みずから)の心の清明(あか)きことを証明したはずの須佐之男命でしたが「果実をみてその樹の真価を知れ」ということを勘違いしてしまいます。確かに自らの清明き心によって、尊い三柱の女神が誕生されたのですが、それが自分だけのお働きだと思ってしまったのです。

 

思い起こせば私たちの周りにも必ずこういう人間がいますね。自分一人で成し遂げたと錯覚している人。神様ではなく人間の話ですけれど、自分一人でできることなんて何一つありません。そもそも生まれてきたのが自分一人の力ではないし、心臓や胃や腸を動かしているのは自分だと思ってますか。だったら部分的に止めたり動かしたりできますか。

 

須佐之男命は自分だけの力(清明き心)が三女神を誕生させたと思い込んで、高天原でまた事件を起こしてしまうのであります。

 

本日はここまでと致します。

 

 

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日本神話(17)天照大御神・建速須佐之男命  宇気比/誓約/受霊(うけひ)

2020年02月08日

あなたは自らの心(清く正しきこと)を証明しなければならない局面で、どんな方法でそれを示しますか。

 

古来、日本人は「穢(きたな)き心」「清明(あか)き心(きよい心)」というものを非常に大事なこととして生活してきました。(穢(けが)れ(汚れ))というものを忌み嫌い、清いということを好む民族なのです。

 

身を清める、手を清める、建築物はシンプルな白木で作る。悪いことをしたら(していなくても)切腹。生き方も、経済も清きを求め汚き行いを最も軽蔑しました。

 

今はどうでしょう。お金持ちの方が特権を持っていたりしませんか。もちろん世のため人のため(神のため)に努力をした結果、お金持ちになったのなら結構ですが、自己の利益の追求や他を犠牲にしての成り上がりは古来最も軽蔑されたのです。江戸時代の藩主(殿様)も食事は一汁三菜の質素なものが多く、外国人はびっくりしたとか。とにかく世を治めるのは『徳』なのだ。という大変うらやましい価値観の社会だったのです。脱線が長くなってしまったので本題に戻ります。

あなたが自らの清き心を証明しなければならないときどうしますかという問いですが、

神の世ではいみじくも キリスト教のルカ福音書6章にあるように「悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない」⇒「果実をみてその樹の真価を知れ」ということを実践されるわけです。

 

これは、神様だからできるのであって、私たち人間はどうするのでせうか。はい、日頃の行動の上でしか果実を見せられませんね。時間をかけて結んだ実を神に見ていただくしかないのですから、その場で証明しようとしても無理なのです。

日々が大切なのです。片時も忘れてはなりません。

天照大御神・建速須佐之男命のお話に戻します。

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「何故(など)上(のぼ)り来ませる」ととひたまひき。爾(ここ)に速須佐之男命(はやすさのおのみこと)の答白(もお)し給(たま)はく 『僕(あ)は邪(きたなき)心なし、ただ大御神の命以(みことも)ちて、僕(あ)が哭き伊佐知(なきいさち)流事(ること)を問ひ賜(たま)ひし故(ゆえ)に、白(もう)し都良久(つらく)「僕(あ)は妣(はは)の國(くに)に往(まか)らむと欲(おも)ひて哭(な)く」とまおししかば、大御神「汝(みまし)はこの國にはな住(す)みそ」と詔(の)りたまひて、神夜良比夜良比賜(かむやらいやらいたま)う故(ゆえ)に、罷(まか)なむとする状(さま)を請(まお)さむと以伊為(おも)ひてこそ参上(まいのぼり)つれ。異(け)しき心無し』とまうし給(たま)へば天照大御神 「しからば汝(みまし)の心の清明(あか)きことは何以(いか)にて知らまし」と詔(の)りたまひき。於是(ここに)速須佐之男命「各(おのもおのも)宇気比(うけひ)て子生(こう)まむ」と答白(もお)し給(たま)ひき。 

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天照大御神が弟神、建速須佐之男命を武装してお迎えしたのは、真剣な姿勢をお見せになる謂わば『正装』です。ここで、参上(まいのぼり)の理由をお聴きになったあと「あなたは自(みずから)の心の清明(あか)きことをどうやって証明しようと考えていますか」と問われます。

建速須佐之男命は「各(おのもおのも)宇気比(うけひ)て子生(こう)まむ」とおっしゃいます。

 

これが「果実をみてその樹の真価を知る」という意味です。

(絵は 出雲井晶先生の建速須佐之男命の受霊(うけひ)の場面、内容は次回です)

 

本日はここまでと致します。

 

 

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日本神話(16)建速須佐之男命  高天原に参上(まいのぼり) 騒動へ

2020年01月25日

高天原の天照大御神は不信感の下 須佐之男命を迎えます。その姿は御髪(みかみ)を解(ほど)いて左右に御美豆羅(みみづら)を結います。これは本来男的武装、左右の手にも八尺勾璁之五百津美須麻流珠(やさかのまがたまのいほつのみすまるたま)を巻き、背に千本、脇に五百本の矢が入る靫(ゆぎ)を付け、大きな音を立てる鞆(とも)を身に着け、弓を振り立て、堅い地面を腿(もも)がめり込むくらいに踏みしめ、沫雪のように土を蹴り散らかして、荒々しく地面を踏み込み、威勢よく雄々しく勇猛に振る舞い。と完全武装でなかなかの覚悟を示されています。そのお気持ちを量るのは畏れ多いですが、真剣に対峙する覚悟が伝わります。

 

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彌(ここ)に天照大御神 聞き驚ろかして。「我那勢命(わがなせのみこと)の上りきます由(ゆゑ)は。必(かなら)ず善(うるは)しき心ならじ。「我國を奪はむと欲(ほ)ほすにこそ」とのりたまひて、即(すなは)ち御髪(みかみ)をとき御美豆羅(みみづら)に纏(ま)かして、左右(ひだりみぎり)の御美豆羅(みみづら)にも御鬘(みづら)にも、左右の御手(みて)にも、各(みな)八尺(やさかの)勾璁(まがたま)の五百津(いほつ)の美須麻流(みすまる)の珠(たま)を纏(ま)きもちて曾比良迩(せびらに)は千入(ちのり)の靱(ゆぎ)を負い、ひらには五百入(いほのり)の靱(ゆぎ)を附(つけ)また伊都(いつ)の竹鞆(たかとも)をとり佩(おば)して。弓腹(ゆみはら)振りたてて。堅庭(かたにわ)には向股(むかもも)に蹈(ふ)なづみ、沫雪如(あわゆきなす)蹶散(くえはらら)して。稜威(いつ)の男建蹈(おたけびふ)み建(たけ)びて。待ち問ひたまひしく。

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今回は区切りの都合でここまでです。さあ皆さん、この後 二柱の姉弟神はどうなると思いますか。

天照大御神は須佐之男命の本意を計りかねておられます。またまた騒動の予感です。

 

本日はここまでと致します。

 

 

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日本神話番外 『ことよさし』(言依さし・事依さし)

2020年01月25日

私がブログを書いているのは いずれ遺稿となることを考えてのことです。

読み主の対象は不特定多数の若人、最も読んでほしいのは弊社社員社員諸君です。

その想いは残念ながら僅か20名足らずの社員にさへ伝わらないのです。

 

本稿では「ことよさし」を取り上げます。「言(事)依さす」とはなんでしょうか。

私の古事記解説解説では(4)地球誕生の段で『天津神が伊邪那岐命、伊邪那美命 二柱の神に国を固め成せと言依さし賜いき』と(14)三貴子誕生の段で各々の神に『○○を知らせ」と事依さしたまひき』とあるように神の勅命(詔(みことのり))というべきものです。

この「ことよさし」に対して前記事、建速須佐之男命は「なきいさち」で応えてしまったのですから、今でいう仕事から外されてしまってもしようがありません。

 

では、現代人である私たちに「ことよさす」のは親御さんや上司なのでしょうか。もっとも、直接声に聴く、形を見るのは人間なのだと思いますが、あなたが今ある位置や立場に導かれて何かをしなければならない状況の全てが神(目にみえないもの)の「ことよさし」なのかもしれません。(本当はなのです。と書くべきところですが、ブログなので、かもしれませんにしておきます)

 

自分で選択した、していないにかかわらず自らの置かれる状況はすべて「ことよさし」(神託)であるということになれば、何気ない一つ一つの行動、仕事で直面する困難や喜びの全てが、重い意味のあることだということがわかると思います。

 

ですからどんな小さな一つ一つの行いや所作も疎(おろそ)かにしてはいけないのです。そんなに重く考えなくても良いです。日本の神々は、かたちのない天之御中主神(中心を貫く中道の理念)を通して、現在も天皇に顕現するところの神(国民を大御宝(おおみたから)と呼びその安寧と平和を祈ることを仕事とされている)に表れている優しい柔らかい大慈悲の神(理念・理想・秩序)ですから。

 

吾々人間は、嗅覚(物質)で集まる線虫ではないのです。創世記でいうところの神は自らの姿に似せて人間を造ったところの人間なのですから、自らが置かれた場所が「ことよさし」によって与えられた場所であり、為す仕事も「ことよさし」によって与えられた仕事なのです。

 

私も零細企業の社長として、たまたまそこに置かれました。そこで天の声に基づいて事業を進めさせていただいています。どう進めばよいか、何が正しい道であるかは日々の祈りや行動を正して導かれる(毎日の祈りで正しい方向にお導きをお願いしています)ままに進んでいます。かの大実業家、稲盛和夫京セラ名誉会長の「動機善なりや、私心なかりしか」は敬愛する西郷南洲先生の遺訓からのものかもしれませんが、私も経営者の端くれとして、知行一致の現実では遠く及ばずながら、「正しい導きに正しく乗って正しい道を進みたい」と心がけ実践しているつもりです。

 

回りくどくなりましたが、私の元に神縁によって集った社員にはせめて私の考えを理解して、その後を追っていただきたいと思います。せめて私が経営者として存在している間は、欲を言えば創業の理念である社是『感謝の心』『和の心』は私の入社前に定まっていたことでありますが、奇しくも、その意味は現在私が説く経営の理念と同じですので会社が存在する限り、その理念を持つ集団であり続けていただきたいと思います。

 

だから改めて社員諸君に言います。『ブログ特に神話の部分をよく読んで自分の仕事の羅針盤にしなさい』

 

本日はここまでと致します。

 

 

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日本神話(15)建速須佐之男命 「なきいさち」

2020年01月18日

新年初の「やさしい古事記解説」本年もよろしくお願いします。

一人でも多くの日本を愛する人が國の始まりの物語を知る機会になれば幸いです。令和2年の初めは

建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)の『なきいさち』の物語から。

しかも、書き下し文をなくし、物語で説明すると昨年末に言いながら、今回は書き下し文を引用します。父神であらせられる伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、姉神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)との関係性が書かれている大切な部分だからです。今回の書き下し文は特に漢字の意味を追わずに読んだ方が良いと思います。

 

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故(かれ)各々依(おのおのよ)さし賜(たま)へる命(みこと)の随(まにま)に知(しろ)し看(め)すがなかに、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)命(よ)さし給へる國(くに)を治(し)らさずて八拳(やつか)須心前(ひげむなさき)に到るまで啼(な)き伊佐知伎(いさちき)。其(そ)の泣きたまふ状(さま)は、青山(あおやま)を枯山(からやま)如(な)す泣き枯らし、海河(うみかわ)は悉(ことごと)に泣き乾(ほ)しき。是(ここ)を以(も)って悪神(あらぶるかみ)の音(おとない)。狭月蠅如(さばえな)す皆涌(みなわ)き、萬(よろづ)の物の妖悉(わざわひことごと)に發(おこ)りき。故(かれ)伊邪那岐大御神(いざなぎのおほみかみ)、速須佐之男命(はやすさのおのみこと)に詔(の)りたまはく「何由以(なにとかも)、汝(みまし)は事依(ことよ)させる國を治(し)らさずて、哭(な)き伊佐知流(いさちる)」とのたまへば、答白(まう)したまはく「僕(あ)は妣(はは)の國(くに)根之堅洲國(ねのかたすくに)に罷(まか)らむと欲(おも)ふが故(ゆゑ)に哭(な)く」とまうしたまひき。彌(ここ)に伊邪那岐大御神(いざなぎのおほみかみ)大(いた)く忿怒(いか)らして「然(しか)らば、汝(みまし)は此(こ)の國にはな住みそ」と詔りたまひて、乃(すなわ)ち神夜良比(かむやらひ)に夜良比(やらひ)賜(たま)ひき。

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三貴子は父神であらせられる伊邪那岐大御神の神勅(しんちょく)に従って、それぞれの務めを果たすために。

 

・天照大御神(あまてらすおおみかみ)は高天原(天上界)

・月讀命(つくよみのみこと)は夜之食國(よのおすくに=夜の世)

・建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)は地球(地上界)

 

に赴きました。が。地上担当の須佐之男命(すさのおのみこと)だけが國つくり(国土建設)の仕事がうまくいかずに自暴自棄に陥って拳(こぶし)8個分もあるヒゲに涙を滴らせながら泣いているわけです。その様子に地上の全てのものが委縮してしまって、山々の草木や海河の水は枯れ果ててしまったのです。さらには災いの神が騒々しい災禍をもたらし地上は騒然となりました。(想像ですが上の写真のようになったのでしょうか)

 

猛々しく俊敏で荒ぶるお働きの男神という名の須佐之男命(神)も心が折れたら仕事にならないのですね。須佐之男命が立ち直るのはいつでしょう。まだまだずっと先です。

 

伊邪那岐命は地上と須佐之男命の姿を見てびっくりして詰問します。お前は何をやっているのかと。須佐之男命は泣き言で答えます「私には地上建設の仕事はできません。亡母、伊邪那美命のいらっしゃる根の堅洲國(黄泉国)に行きたいと思います。」 それは素直な気持ちでしょうけれど、当然お聞きになった父神様はお怒りになり「夜見(黄泉)の国に行ってしまえと追い払ってしまいます。

 

前にも書きましたが建速須佐之男命の無邪気なヤンチャさ、拗(す)ねたり泣き言を吐いて涙して。なんとも人間というか日本の男の子という感じ、それでいながらすごく力のある神様なのですから、一つ一つの出来事が古代人から現代人にとってさえ示唆に富んでいて日本神話は奥深いのです。

 

伊邪那岐命と須佐之男命の関係を私たちに置き換えてみると。我々に与えられた使命(誰に与えられたかは人の場合もあり神(みえざるもの)の場合もあります)を果たすため色々な試練の中、様々な工夫をして最後には使命を果たす。人生を重ねて考えるヒントが書かれている。これが日本神話です。

 

さて地上から直接、夜見の國へ行けばよかったのですが、お話はまだまだ神々に試練を与えます。建速須佐之男命は高天原の姉神、天照大御神に、ご挨拶申し上げてから夜見の國へ行こうとして先ず高天原に向かいます。

騒動の予感。

 

天上界に向かう建速須佐之男命によって「山川悉(やまかわことごと)に動(とよ)み国土(くにつち)皆振(みなゆり)き」と 須佐之男命のものすごいパワーが高天原に伝わってゆくわけです。天照大御神が、これはただ事ではないと身構えられたことは当然でしょう。さて、この後の大騒動へと続きます。

 

本日はこれまでと致します。

 

 

 

 

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日本神話(14)伊邪那岐命 御身滌(みみそぎ)のくだり 三貴神誕生 4/4

2019年12月31日

住𠮷大神の宇宙浄化の おはたらきのあと 三貴神のご誕生となります。伊邪那岐命の御喜びと、御子の戸惑いの物語へと続きます。

 

戸惑いは今回はまだ出てきません。戸惑います。この神様の葛藤というものが私たちに示唆するものがたくさんあるわけです。

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於是左(ここにひだり)の御目(みめ)を洗いたまひし時に成りませる神の名(みな)は天照大御神(あまてらすおおみかみ)。次に右の御目(みめ)を洗いたまひし時に成りませる神の名(みな)は月讀命(つくよみのみこと)。次に御鼻(みはな)を洗いたまひし時に成りませる神の名(みな)は建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)。此の時 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)大(いた)く歓喜(よろこ)ばして詔(の)りたまわく、「吾(あれ)は子生(みこう)み生(う)みて、生みの終(はて)に、三(みはしらの)貴(うず)の子得(みこえ)たり」とのりたまいて、即(すなわ)ち其(そ)の御頸珠(みくびたま)の玉緒(たまのお)母由良邇(もゆらに)取り由良迦志(ゆらかし)て、天照大御神に賜(たま)ひて詔(の)りたまはく、「汝(な)が命(みこと)は高天原(たかあまはら)を知(し)らせ」と事依(ことよ)さし賜(たま)ひき。

故、其の御頸珠(みくびたま)の名を御倉板挙之神(みくらたなのかみ)と謂(もう)す。次に月読命(つくよみのみこと)に詔(の)りたまはく、「汝が命は、夜之食國(よるのおすくに)を知らせ」と事依さしたまひき。次に建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)に詔りたまはく、「汝が命は、海原(うなはら)を知らせ」と事依さしたまひき。

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後半は 三柱(みはしら)の貴(うず)の御子(みこ)御事依(みことよさし)のくだり。

 

 

令和元年、やさしい古事記解説(私なりの)は三柱貴の御子御事依の段で終わりたいと思います。

伊邪那岐命は御身滌(みみそぎ)の最後で三貴神を お生みになります。大変なお悦びで勾玉(まがたま)の連なった首飾りをユラユラさせながら御子(みこ)一柱一柱に役割をお命じになりました。

 

三貴神がどこから生まれてどのような役割を委任されたかが非常に重要です。

天照大御神   = 左(火足)の御目  = 「高天原(天上界)を治めなさい」

月讀命     = 右(水極)の御目  = 「夜之食國(夜の世)を治めなさい」

建速須佐之男命 = 御鼻        = 「海原(地上界)をを治めなさい」

 

月讀命の御働きは その名(みな)のごとく太陰暦を用いて農業や漁業に役立てていた日本人にとっては大変重要なものですが、のちにほとんどお出ましになりません。この後の主役は天上界の天照大御神地上界の建速須佐之男命なのですが、物事はそんなに簡単には進みません。来年のお楽しみですが、建速須佐之男命の行いは本当に神様なのか?と思えることばかり。いろいろな試練を経て、大人になっていく破天荒な男の子そのものです。

 

ここから物語は、この二柱の神を中心に進んでまいります。ご登場になる神も増えますが、ここから物語を紹介する方法を変えたいと思います神様は少なく、書き下し文を少なくします。ここからは、お話を中心にしていきます。いつか聞いたお話ばかりになると思いますが、今の子供たちはそういった物語を伝え聞くことが少なくなっているのではないでしょうか。昔は誰でも知っているお話を紹介ししながら、その物語に隠れている意味について私なりの解説をしていきたいと思います。

 

本日はこれまでと致します。 皆様、良いお年をお迎えください。

 

 

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日本神話(13)伊邪那岐命 御身滌(みみそぎ)のくだり 海神 3/4

2019年12月22日

いうまでもなく日本は6,852島から成る海洋国家です。今も昔も海の大切さは変わりません。

 

「海」とは「生み」の象徴 命の根源。海に囲まれた日本に生まれてよかったと思います。

 

『われは海の子』という大変良い唱歌もありますがGHQにより7番ある歌詞の4番以降が伏せられていることを知っている人がどれくらいいるでしょうか。

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次に水底(みなそこ)に滌(そそ)ぎたまふ時に成りませる神の名(みな)は、底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)。次に底筒之男命(そこつつのをのみこと)。中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)。次に中筒之男命(なかつつのをのみこと)。水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、上津綿津見神(うわつわたつみのかみ)。次に上筒之男命(うわつつのをのみこと)。

此(こ)の三柱(みはしら)の綿津見神(わたつみのかみ)は、阿曇連等(あづみのむらじら)が祖神(おやがみ)と斎(いつ)く神なり。故(かれ)、阿曇連等は、其(こ)の綿津見神(わたつみのかみ)の子、宇都志日金拆命(うつしひがなさくのみこと)の子孫(すゑ)なり。其(その)の底筒之男命(そこつつのをのみこと)、中筒之男命(なかつつのをのみこと)、上筒之男命(うわつつのをのみこと)、三柱の神は、墨江(すみのえ)の三前(みまえ)の大神なり。

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大綿津見神(おおわたつみのかみ)は 伊邪那岐命・伊邪那美命の神産みの段で生まれた神ですが、このくだりの三柱の綿津見神とは別の神です。ワタは海、ツミは御霊(みたま)のことであるとされます。

底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神 この三柱の神は阿曇連等の祖神=氏神様(うじがみさま))と考えられています。重要なのは次の三柱の住吉大神です。お名前がたくさんあっていろいろな形でお出ましになります。私なりの解説をします。

 

底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命 = 潮筒之男命(しおつつをのみこと)= 塩椎神(しおつちのかみ) = 水土火大神(しほつちおおかみ)= 墨江(すみのえ)の大神 = 住吉大神(すみよしのおほかみ) = 塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)等々たくさんの名(みな)の神様です。 「海」とは「生み」の象徴 命の根源と書きましたが住吉大神は祓神(はらいの神)であり「浄化」「秩序」「生産(再生)」「航海」の神としてのお役目をもって この後もお出ましになられます。このタイミングでのお出ましは、次項『三貴神』ご誕生前の宇宙浄化の お役目と考えられるわけです。住吉大神は『古事記』のことを書くきっかけとなりました。八幡大神社様の神功皇后、応神天皇、仲哀天皇に所縁の深い神様であります。次回は御身滌(みみそぎ)の段のクライマックス、ようやく私がフォーカスする神ご誕生の場面となります。

 

そういえば私事ですが誕生日でした。二親に感謝申し上げます。ありがとうございます。

 

本日がこれまでと致します。

 

 

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日本神話(12)伊邪那岐命 御身滌(みみそぎ)のくだり 2/4

2019年12月08日

『禍(わざわい)が清められるには手順がある』

 

伊邪那岐命は身に着けたものを脱ぎ捨て罪迷いを流し去ったのち、

自らのお清めをされます。

 

今回は、次回が重要なので短めです。

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於是(ここに)「上瀬(かみつせ)は瀬速(せはや)し、下瀬(しもつせ)は瀬弱(せよわ)し」と詔(の)りごちたまひて、初めて中瀬(なかつせ)に堕(お)り迦豆伎(かづき)て滌(そそ)ぎたまふ時に、成り坐(ま)せる神の名(みな)は、八十禍津日神(やそまがつひのかみ)。次に大禍津日神(おおまがつひのかみ)。此(こ)の二神(ふたはしら)は、其(そ)の穢(きたな)き繁国(しげくに)に到りましし時の、汚垢(けがれ)に因(よ)りて成りませる神なり。次に其(そ)の禍(まが)を直さむと為(し)て成りませる神の名(みな)は、神直毗神(かむなおびのかみ)。次に大直毗神(おおなおびのかみ)。次に伊豆能賣神(いずのめのかみ)。

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清めには場所が重要です。上瀬でも下瀬でもなく中瀬で身を清めた。どこでもいいわけではないのです。物事にはそれをなすにふさわしい場所があるでしょう。中瀬での清めの時、けがれから鳴った神が二柱、それぞれ『禍』がついていますが、これは漢字の意味を考えてもよいですね。禍の読みは『わざわい・か・まが』などです。いったん悪いものが出てきます。これも出てくるところに意味がある。出てこないで消えてしまえばいいのにと思われますが、悪いものが現れてから消える(現れるから消える)のです。ですから貴方(あなた)に何か悪いことがあってもあわててはいけません。それは消えるための現れなのです。

 

悪いことが現れたら、神直毗(かむなおび)大直毗(おおなおび)のハタラキで良くなる始まりだと思いましょう。慌てるのは良くありません。「ああ、これは」と気づいてください。過去の業が消えて良くなっていく神のハタラキの前段階です。伊豆能賣神(いずのめのかみ)も清めの神。神だけに頼ってはいけません、自らの心も反省し、明るく清く積極的な心持で禍を払いましょう。焦ってもいけません物事が成るには時が必要です。

やがてよくなる。きっとよくなる。

 

本日はここまでと致します。

 

 

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日本神話(11)伊邪那岐命 御身滌(みみそぎ)のくだり 1/4

2019年11月30日

『御身滌(みみそぎ)のくだり』

 

この段(くだり)は重要だと思っているので刻んで書いていきます。

しかし書き下し文の神の名(みな)にとらわれず、さらっと読んでください。

大切なのは今回の章ではありません。ここは真実を淡々と読みましょう。

 

伊邪那岐命は黄泉國での穢(けが)れを清める為お祓(はら)いをされます。

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是(ここ)を以(も)て伊邪那岐命 詔(の)り給(たま)はく「吾(あ)は伊邪志許米志許米岐穢(いなしこめしこめききたなき)國(くに)に到りて在り祁理(けり)。故(かれ)吾(あ)は御身(みみ)の禊為(はらひせ)な」とのり給ひて、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘小門(たちばなのをど)の阿波岐原(あはぎはら)到(い)で坐(ま)して、禊祓(みそぎはらひ)給(たま)ひき。

 

故(かれ)投げ棄(う)つる御杖(みつえ)に成りませる神の名(みな)は、衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)。次に投げ棄つる御帯(みおび)に成れる神の名は、道之長乳歯神(みちのながちはのかみ)。次に投げ棄つる御嚢(みも)に成りませる神の名は、時置師神(ときおかしのかみ)。次に投げ棄つる御衣(みけし)に成りませる神の名は、和豆良比能宇斯能神(わづらひのうしのかみ)。次に投げ棄つる御褌(みはかま)に成りませる神の名は、道俣神(みちまたのかみ)。次に投げ棄つる御冠(みかがふり)に成りませる神の名は、飽咋之宇斯能神(あきぐひのうしのかみ)。次に投げ棄つる左の御手の手纏(たまき)に成りませる神の名は、奥疎神(おきざかるのかみ)。次に奧津那藝佐毘古神(おきつなぎさびこのかみ。次に奥津甲斐辯羅神(おきつかひべらのかみ)。次に投げ棄つる右の御手の手纏に成りませる神の名は、邊疎神(へざかるのかみ)。次に邊津那藝左毘古神(へつなぎさびこのかみ)。次に邊津甲斐辯羅神(へつかひべらのかみ)。 右の件(くだり)船戸神(ふなどのかみ)より以下(しも)、邊津甲斐辯羅神(へつかひべらのかみ)以前(まで)十二神(とまりふたはしら)は、身に著(つ)ける物を脱ぎ棄(う)てたまひしに因(よ)りて生(な)りませる神なり。
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日向(ひむか)については実在する場所、象徴的な地、等 諸説ありますが、場所はそれほど重要ではない、というより実在の地上と考えない方が良いのではないかというのが私の考えです。(写真は宮崎県のみそぎ池ですが)何処でより何をどうしたほうが大切だからです。

 

伊邪那岐命は海辺で身を清めますが初めに身に着けているもの全て、穢れを払うように投げ棄てます。そのものからは悉く神が生まれ各々意味もあるのですがそれを掘り下げると気力が失せますので読み飛ばしましょう。少しだけ言うと(あきぐひのうしのかみ(食うのに飽きる))や(わづらひ(煩い)のうしのかみ)などの言葉から良くないものだということはわかるでしょう。

要は身に着けていたものには黄泉國の棄てた方が良い観念みたいなもの(欲望や迷い)が付いていて生まれた神によって洗い流れ捨て去られることが書いてあります。

 

現代の私たちにも頃の生活で罪や迷い穢れが知らず知らずに蓄積していくものです。この伊邪那岐命の禊祓いを起源として現在でも6月に「夏越(なごし)の祓い」12月の「年越の祓」(大晦大祓(おおつごもりおおはらい))が各神社で行われています。昨年末のブログにも書きましたが我が家の氏神様で年末にお札のセットを買うと人形代(ひとかたしろ)が入ってきます。我が家は他の神社にお願いしてしまうのですが家族全員、人形(紙です)に名前と年齢を書き、身体の各部を人形の紙で撫でて息を吹きかけます(罪や迷い穢れを移す)。神社でこれをお祓いしていただきます。リセットした後には、神社に参って新たに誓いを立てる。その繰り返しです。大変良い風習です。

 

せっかく日本人に生まれたのなら、この伝統的なリセット方法を体験してみたらいかがですか、地元の氏神様(神社に)聞けば教えてくれるはずです。

 

本日はここまでと致します。

 

 

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日本神話(10)黄泉の国のくだり 言止め

2019年11月10日

本日は「祝賀御列の儀」でした。今は勤労感謝の日である新嘗祭は皇尊(すめらみこと)が即位して最初の祭りだけ特別に大嘗祭として営まれる大変重要な祭祀です。しかし宮内庁は大嘗宮の規模を前回の2割縮小し建物の一部をプレハブ化し中心の悠紀殿、主基殿を茅葺(かやぶき)から板葺に改めたうえ、招待者も減らすという。この宮内庁という機関は何のためにあるのか。はなはだ疑問だし、このタイミングで女性宮家の話も出てきていて「サラミ戦術」で皇国を貶めることを目的として存在しているとしか思えません。しかし私は信じています。皇祖神が許すはずがないと。

さて、今回は 夜見の國のくだり クライマックスです。

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最後(いやはて)に其(そ)の妹伊邪那美命(いもいざなみのみこと)、身自(みみず)から追い来ましき。

爾(すなわ)ち千曳石(ちびきいわ)を其(そ)の黄泉比良坂(よもつひらさか)に引き塞(さ)えて、その石(いわ)を中に置きて、各對(あいむ)き立たして、事戸(ことど)を渡すときに、妹伊邪那美命(いもいざなみのみこと)の言(もう)したまわく「愛(うつく)しき我(あ)が那勢命(なせのみこと)如此爲(かくし)たまわば、汝(みまし)の國(くに)の人草(ひとくさ)一日(ひとひ)に千頭絞(ちがしらくび)り殺(ころ)さむ」ともうしたまいき。爾(ここ)に伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の詔(の)りたまわく、「愛(うつく)しき我(あ)が那邇妹命(なにものみこと)、汝然爲(みましし)たまわば、吾(あれ)は一日(ひとひ)に千五百(ちいほ)の産屋(うぶや)立(た)てむとのりたまいき。

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しまいに妹伊邪那美命が自ら追ってこられたので千人で引かなければ動かないような巨石を黄泉平坂に置きます。伊邪那美命側の闇国、伊邪那岐命側の光国が仕切られました。その岩を境として二柱の神は「事戸(言止)を渡す」乃ち離縁を申し渡します。

 

黄泉の国のくだりで私の一番のツボです。おっしゃっていることは「あなたの国の人草(人間)を一日に千人殺してやるから覚悟して」「それなら私は一日に千五百の産屋を立ててみせる(産屋を立てる=子を産む)」ということで、なんともドロドロですが、ここに二つの感動を覚えます。

 

伊邪那美命は死の世界を司る黄泉津大神(よもつおほかみ)となりました。その大神が一日に千人 黄泉の国に連れていくと宣言したことに対し、光の国の神は一日に千五百人を産むと返す。なんとも心強いではないですか。自然災害が多い日本、今年もたくさんの悲報がありました。しかし、そんな災害の中でも産まれる命があり、それは全日本人の希望です。希望があるから生きてける、子供のことを考えたら頑張れる。少なくとも昔の日本人はそうだったということです。『貧乏人の子沢山』とは日本人にとって嘆きの言葉ではなく希望の発露だったのです。

 

では今の日本人、少子化とはまさに黄泉津大神の言葉に対し、光明の伊邪那岐命が押されている世界、神の理念に適っていない、いけない状態なのです。日本人。負けてはいけないのです。金がなくて育てられないとか、虐待して殺してしまうとか神の理念に背いていては個人も国も栄えるはずがないではないですか。

 

もう一つ事戸(言止め)の際の二柱の神の御言葉が共に「愛(うつく)しき我(あ)が・・・」で始まる。「美しい愛おしい私の・・・」という語り掛け。このような局面でも美しい言葉を使う。日本人独特の行動が神の行いとして書かれている。外国人にはわからないでしょう。戦国武将が お互いに名乗りを上げてから1対1で戦う作法にも通じる。元寇の乱で名乗っている途中で射られた武士の絵が残っていますが名乗っている間には攻撃しないなんて、殺し合いの前の流儀なんて、外国人に通じるわけがないし彼らには理解できないでしょう。でも日本人は違うのであります。堂々と戦うのです。

「我は兵を以(もっ)て戦ひを決せん。塩を以て敵を屈せしむる事をせじ」宿敵、武田の困窮時に塩を送った上杉謙信。経営者として謙信に学ぶこと大いにあり。その基は日本の神話と信じます。現代に於いては人殺しではない戦いをしてください。堂々と楽しんで。

 

「愛しき我が那勢命」「愛しき我が那邇妹命」たとえ離縁であっても、こう言い合える人でありたいものです。

自分の言葉の粗さに恥じ入るばかりの私です。

 

本日はここまでと致します。

 

 

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日本神話(9)伊邪那岐命 逃げ還る

2019年10月27日

なぜ見るなと言われると見たくなってしまうのか。神様でも見てしまうのですね。人間が我慢できないのも無理はないかもしれません。大変おぞましいものを観ました。愛しい美しい神の変わり果てた姿。伊邪那岐命は現実を見て逃げ出します。さすがにあきらめがついたのでしょう。

 

 

今回は書き下し文の前に注釈を記します。

 

伊邪那美神は「見たからには還すわけにはいかない」ということで予母都志許賣(よものしこめ)に追いかけさせます。黄泉の国の醜い女ということで「よもつしこめ」幽霊の原型みたいな集団に追いかけられて、伊邪那岐命は黄泉の国の出口を目指します。逃げながら頭の被り物(黒御鬘)を投げ捨てると山ぶどうが生(な)り、これを醜女が食べ時間を稼ぐ、次に美豆良という古代の男性の髪型(長い髪を左右に結いつけた形)に挿してあった櫛を撒いたて生(な)ったタケノコを食べさせて時間を稼ぎます。

最後は千五百の黄泉軍(黄泉の国からの大軍の意味)に追われ、いよいよ黄泉比良坂

(黄泉とひら(昼)の国の境目)にさしかかったとき、そこにあった桃の実を3つ投げると黄泉の大軍はあっという間に逃げて行きました。

伊邪那岐命を追わせる黄泉の国のくだり (感じてください)

 

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於是(ここに)伊邪那岐命 見畏(みかしこみ)て逃げ還ります時に、其の妹伊邪那美神「吾に辱(はじ)見せたまひつ」と言したまひて、即ち予母都志許賣(よものしこめ)を遣はして追わしめき。爾(かれ)伊邪那岐命 黒御鬘(くろみかずら)を取り投げ棄(う)て給いしかば、乃(すなわ)ち蒲子生(えびかずらみな)りき。是を摭(ひり)ひ食む間に逃げ行でますを、猶追(なほお)ひしかば、亦其の右の御(み)美豆良(みづら)に刺させる湯津津間櫛(ゆつつまぐし)を引き闕(か)きて投げ棄(う)て給(たま)ひしかば、乃ち笋(たかむな)生(な)りき。是を抜き食(は)む間に、逃げ行でましき。且後(またのち)には其(か)の八(やくさ)の雷神(いかづちかみ)に千五百(ちいほ)の黄泉軍(よもついくさ) を副(そ)へて追はしめき。爾(かれ) 御佩(みは)かせる十拳剣(とつかつるぎ)を抜きて、後手(しりえで)に布伎都都(ふきつつ)逃げませるを、猶追(なおお)ひて黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に至る時に、其の坂本なる桃子(もものみ)を三箇取(みつと)りて、待ち撃ちたまいしかば、悉(ことごと)に逃げ返りき。爾(ここ)に伊邪那岐命 桃子に告(の)りたまわく、汝吾(いましあ)を助(たすけ)しが如(ごと)、葦原中国(あしはらなかつくに)の所有(あらゆる)うつくしき靑人草(あおひとくさ)の、苦瀬(うきせ)に落ちて、患惚(くるし)まん時に、助けよと告(の)りたまひて、意富加牟豆美命(おおかむづみのみこと)と號(い)う名を賜(たま)いき。

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逃げ切った伊邪那岐命は桃の実に告げます。葦原中国のうつくしき靑人草(人間界の大切な人々)が苦しんでいるとき今私にしてくれたように助けなさいとおっしゃり、桃に意富加牟豆美命(おおかむづみのみこと)と名を与えたということです。そう、桃の実は「おおかむづみ」(大神の実) という神の実だったのです。桃の実は生命の象徴。具合が悪い時、桃缶が食べたくなるのはそういう事なのでせうか。山ぶどうやタケノコも強い生命力を示したものです。既に神様が葦原中国の全ての民(吾々)を大切に想ってくださっていることが伝わるくだりですね。

次は対偶神 伊邪那岐命・伊邪那美命最後のお別れに続きます。

 

 

本日はここまでと致します。

 

 

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日本神話番外 『反省とお詫び』

2019年10月27日

ブログを読んでくださるかたから、古事記の話が始まってから内容が難しくなったという声を多くいただき大変反省しています。なぜかと言えば『古事記』が面白いと一人でも多く興味をもってほしいと書いているのに真逆の感想をいただいたからです。

 

私の文章能力が乏しいのと、自分でいうのもなんですが真面目に書きすぎているのでしょうか。読んでいただいている方にもう一度申し上げます。

『もっと気楽に読んでください』

 

書き下し文に、たくさん「かな」が振ってありますが漢字の意味を追わないで、さらっと読んで感じてください。

日本人ならそこから何かを汲む。そのヒントは私個人の解釈が書き下し文の後に書いてある。そんな感じです。

何しろまた真面目になりますが 1300年前の人(稗田阿礼(ひえたのあれ))が その時すでに古文だった本や言い伝えを口述したものを(太安万侶(おおのやすまろ))が聞いたままに漢文で書いたのですよ。後世の人に読めるはずないのです。それを江戸時代に本居宣長(もとおりのりなが)先生が35年かけて日本語を翻訳したのです『古事記伝』として、だからその時点で本居宣長先生の注訳書なのです。ただその正確性は折り紙付き、本居宣長という人物を知る人ならわかります。

 

写真の本「宣長にまねぶ」(本居宣長記念館館長 吉田悦之さん著)の帯に「志は、忙しかったら今日は休みというようなそんな軽いものではない」とか、自分が歩んだ人生を振り返り、宣長は「心力を尽くした」と言う。とあります。本居宣長先生は一生に一日でも無駄にしなかった人だと思います。毎日真実とは何か、源氏物語、万葉集など様々な古典を研究し尽くし、35年かけて古事記を現代人(江戸から現代人含む)が読める形にした。その執念は恐ろしささえ感じます。

 

古事記の書き出しは、ブログにも書きましたが『天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原(たかあまはら)に成りませる神の名(みな)は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)』でしたね。本居宣長先生は「天地」の読みを「あめつち」に決めるのに5年半かかったそうです。この一文字にさえずっと思いを巡らしていたわけです。

 

あら、また難しくなってしまいましたか?そうではなくて、稗田阿礼の口述を聞いた時代の人に匹敵する正確性が古事記伝にあるはずだから、書き下し文を読めば間違いなく古事記の神髄に触れることができて、触れさえすれば日本人なら何か感じる。『先ずは 感じるだけで充分』と言いたいのです。

 

神々の名前を全て覚える必要はないです。一つ一つの出来事を楽しんでみてください。私たちにはこんな素晴らしい『神話』を持つ民族なのです。『即位礼正殿の儀』を拝見し、感動した人がたくさんいたはずですが、もっともっと壮大な『神から連なる大和民族の神話』が身近にあるのに、なぜ興味をお持ちにならないのか。私は不思議でなりません。

 

「神話を失った民族は滅ぶ」ということがばあります。これが本当か嘘かはどうでもよいです。でも神話を知らされなくなったのはなぜでしょう。そこは考える必要がありそうです。皇室の行事と言いますが、天皇陛下の御勤めが国事行為と私的行為に分けられてしまっているのは異常事態です。私心のない天皇(すめらみこと)には私は無い、すべては大御宝(国民)と神のための行為なのです。大和民族の神話を知るとそういったこともやがて感じることができるようになります。

 

結局難しかったでしょうか。反省反省 頓首合掌。

 

 

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日本神話(8)伊邪那岐命 黄泉国訪問

2019年10月20日

本筋に入る前に場所(空間における位置ではない)の確認です。いろいろな場所の言葉が出てきます。神の名(みな)も場所も読み方もいろいろです。読み仮名は私の解釈の読み方を選択して書いています。

 

・高天原(たああまはら)=天上界

・黄泉国(よもつくに)=夜見ノ国(よみのくに)

 =根堅洲国(ねのかたすくに)=根国(ねのくに)=霊の世界

・葦原中国(あしはらなかつくに)=人の住む現象界

 

大きく分けてこの3つですが、黄泉国については諸説あります。読み進めばわかりますが 黄泉国=夜見之国=夜見(闇)これらは同じだと思いますが根堅洲国=根国と前記の闇の国は分けなくてはいけないと思います。私の感じるところでは黄泉(闇)は「物質の死」を表している場所(神は物質ではありませんが)根堅洲国は「霊の鎮まる場所」というニュアンスだと思います。

さて本題の伊邪那岐命と伊邪那美命の再会と本当の最後の別れのくだりです。

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是(ここ)其(そ)の妹伊邪那美命(いざなみのみこと)に相見まく欲(おも)おして、黄泉国に追い往(い)でましき。爾(すなわ)ち殿騰戸(とのあげど)より出で向(むか)えます時に、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)語らひたまいく
「愛(うつくしき)我(あ)が那邇妹命(なにものみこと)よ、吾汝(あれみまし)との作れる国は未(いま)だ作り竟(お)えずあれば還(かへ)りまさね」と詔(の)りたまいき。爾(ここ)に伊邪那美命(いざなみのみこと)の答白(もう)したまわく、「悔しき哉(かな)、速(と)く来まさずして。吾(あ)は黃泉戸喫為(よもゆへぐいし)つ。」
然(しか)れども愛(うつくし)き我(あ)が那勢命(なせみこと)、入り来坐(きま)せる事恐(ことかしこ)ければ還(かへ)り欲(な)むを且(しばら)く黃泉神(よもつかみ)相論(あげつら)はむ。
我(あ)を莫視(なみ)たまいそ。如此白(かくもお)して、其の殿内(とのぬち)に還(かへ)入りしませる間甚久(ほどいとひさ)しくて待ち難(か)ねたまいき。故(かれ)左の御美豆良(みみづら)に刺させる湯津津間櫛(ゆつつまぐし)の男柱一箇(をばしらひとつ)取り闕(か)きて一火燭(ひとつびと)もして入り見ます時に。宇士多加礼許呂呂岐(うじたかれころろぎ)て、頭(かしら)には大雷居(おほいかづちを)り、胸(みむね)に火雷居(ほのいかづちを)り、腹には黒雷居(くろいかづちを)り、陰(みほと)には者拆雷居(さくいかづちを)り、左の手(みて)には若雷居(わかいかづちを)り、右の手(みて)に土雷居(つちいかづちを)り、左の足(みあし)に鳴雷居(なるいかづちを)り、右の足には伏雷居(ふしいかづちを)り、并(あはせ)て八雷神成(やくさのいかづちがみな)り 居(お)りき。

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伊邪那岐命はどうしても伊邪那美命に会いたくて黄泉国に出かけます。諦めようとしたけれど諦められなかったのでしょう。また一緒に国生みをしようとの申し出に伊邪那美命が応えます。「大変残念だけれど遅かった。夜見の国の食べ物を食べてしまったのでもう高天原には帰れなくなってしまった」 なぜもっと早く来てくれなかったの。ということです。「しかし黄泉神に相談してまいりますから待っていてください。そのあいだ私の姿を見てはいけません」と言い残して殿内に入ります。

 

どこかで聞いたようなお話です。私の姿を見てはいけませんと言われると。開けてしまう。開けてしまった後は書き下し文を読んでいただければわかる通り。書くのも憚られるほどの変わり果てた姿を見てしまいます。このお話はまだ途中です。最後のお別れの話の前段階です。

 

本日はここまでと致します。

 

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日本神話番外 確認 『古事記の味わいかた』

2019年10月20日

古事記を知らない人に興味を持っていただくために、これまで自分なりにブログを書いてきましたが、今ここで一度、古事記の意義について確認したいと思います。理由は意外にも身近に古事記が好き、とか古事記を何十年も研究しているというかたが多かったので、無論そういう方はご存知でしょうし説明の必要もない、というよりむしろ私が教えを請わなければならないのですが、皆さん一致しているのは古事記の中に日本人の生き方、こうするべき、こうすべきではないということが神話という形で描いてあるということを知っている。そして日本現状をみたとき、古事記を再考して知らしめなくてはいけないのではないかと皆思っているのです。

 

そこで古事記はどういうふうに味わうか。ということを一度お話ししておこうと思いました『味わう』というところがミソ。(味だから味噌ではありません)

 

カテゴリーの初めに書いたように原典は稗田阿礼(ひえたのあれ)の口伝を太安万侶が筆記したものです。

漢文で書かれて、外国向けの日本書紀の陰に隠れた存在であったものを、古事記こそ大和民族のための原書であるということを歴史学者でもある水戸光圀公が気付かれ国学者(本業は医師)の本居宣長先生に至って古い漢文の形で残っていた古事記を日本人が読める『古事記伝』というかたちであらわしたものを現代の私たちが受け継いでいるわけです。本居宣長先生が35年の歳月をかけて44巻の注釈書としてあらわしたのが『古事記伝』これに、訓読みをつけたものが『古訓古事記』さらに漢字かな交じりで書き改めて、がようやく我々が読める『書き下し文』ができたという流れです。

 

ですから古事記の原書が読める人はいないと思いますが、『古事記伝』の原文を勉強しているかたが大和民族の理念を理解するのに近いと思います。しかしそれだけではありません。学問や研究だけではないし、そんな難しくしなくてもいいと思います。もっと『古事記』は身近でいいんです。というより身近じゃなければならないのです。

 

古事記は口承されたものであるということは『音』が大事ということなのです。『音』で解釈する。逆説的ですが、大和民族なら音で、或いは書き下し文でも『解釈』できるでしょう。というものなのです。何十年も人生をかけて解釈した本居宣長先生の注釈がより正確なのは当たり前なのですが、その精髄は日本人なら感じることができると私は思っており。ブログには私なりの解釈を若干加えさせていただいていることを再度申しておきます。

 

だから皆さんにも興味を持ったらいろいろな本を読んで、それぞれに感じてほしいです。それが味わうということなのだと思います。古事記は味わうもの(自らの生活に重ね汲み取るもの)ということです。

 

 

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日本神話(7)最愛の神 お別れ

2019年09月28日

対偶神としての伊邪那岐命・伊邪那美命、神世七代の一番最後に現れた対の神は一方を、お失いになられました。

 

共に地球・国土・住居に関する神々・自然現象の神々・生産に関する神々・水・土・山・等、生きとし生けるものを生かすための基本をお産みに鳴った神。人間の夫婦という形の手本ともいうべき神。一柱になられてどうなるのでしょうか。

 

(イラストは故・出雲井晶先生の『絵で読む日本の神話』のものです。出版社には電話をしましたが故人であり許可をとることは出来ないということでしたので関係者から問題と連絡いただければ直ぐに削除します。)

《6》 『古事記』 お別れ2 迦具土神被殺(かぐつちのかみころさえ)のくだり

 

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故(かれ)爾(ここ)に伊邪那岐命 詔(の)りたまわく、愛(うつくしき)わが那邇妹命(なにものみこと)や。子の一木(ひとつげ)に易(か)えつる乎(かも)と謂(の)りたまいて、乃(すなわ)ち御枕方(みまくらべ)に匍匐(はらばい)、御足方(みあとべ)に匍匐いて、哭(な)き給う時に、御涙に成りませる神は、香山の畝尾(うねお)の木本(このもと)に坐(いま)す、名は泣澤女神(なきさわめのかみ)。故其(かれそ)の神避(かむさ)りましし伊邪那美神は、出雲國と伯伎國(ははきのくに)との堺、比婆之山に葬(かくし)まつりき。於是(ここに)伊邪那岐命、御佩(みは)かせる十拳剣(とつかのつるぎ)を抜きて、其の子(みこ)迦具土神の頸(みくび)を斬りたまふ。爾(ここ)其の御刀(みはかし)の前(さき)に著(つ)ける血湯津石村(ちゆついしむら)に走(たばし)り就きて成りませる神の名は石拆神(いわさくのかみ)、次に根拆神(ねさくのかみ)、次に石筒之男神(いわつつのおのかみ)。次に御刀(みはかし)の本(もと)に著(つ)ける血も湯津石村に走(たばし)り就きて成りませる神の名は甕速日神(みかはやびのかみ)

次に樋速日神(ひはやびのかみ)、次に建御雷男神(たけみかづちのおのかみ)、亦の名は建布都神(たけふつのかみ)、亦の名は豊布都神(とよふつのかみ)、次に御刀(みはかし)の手上(たがみ)に集まれる血、手俣(たなまた)より漏(く)き出て成りませる神の名は闇淤加美神(くらおかみのかみ)、次に闇御津羽神(くらみつはのかみ)。上の件(くだり)、石拆神より以下(しも)闇御津羽神まで、併(あわ)せて八神(はやしら)は御刀(みはかし)に因(よ)りて生(な)りませる神なり。

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このくだりは現代人の私たちには、かなりショッキングです。『十拳剣という長剣で自らの子(みこ)迦具土神の頸(みくび)を撥ねた』なんて野蛮な人種なのと言ってしまう人もいる訳です。これを大東亜戦争と結びつける人もいます。何しろ教育勅語を戦争と繋げてしまう人もいるくらいですから。

 

しかし私は思います。現代の価値観で当時の神話を語るのはナンセンスであると。大東亜戦争の時代のことでさえ現代の価値観で語ってはいけないのだと。

 

私たちの祖先が行った行為は今の価値観で蛮行と感じても当時は正義だったということで良いのです。当たり前ですが今の人が当事と同じことをやってはだめです。それと、当事あったであろう個々の人間の犯罪行為は非難されるべきでしょう。でも少なくとも、私の祖父母が行った日本国を守ろうとする行為は崇高なものであったと私は信じます。脱線しました。

 

御刀(みはかし)によって迦具土神を斬り、そこから八柱の神々が生まれます。其の中で建御雷男神(たけみかづちのおのかみ)= 建御雷(たてみかづち)は後の國譲りで大きな働きをする神ですので覚えておきましょう。

 

そして、物語は、伊邪那岐命と伊邪那美命の再会と本当の最後の別れに繋がってまいります。ここから貴方は何を汲むでしょうか。純愛の最後に訪れるもの。次のくだりは悲しくても美しい男女の物語であります。

 

本日はここまでといたします。

 

 

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日本神話(6)神生み 身近なる神々の誕生 そして別れ

2019年09月28日

国産み(日本の国土)を終えた伊邪那岐命、伊邪那美命は次に『居住』『自然現象』『生産』と、人間が生きていくうえで必要な神々を産んでいきます。また、二柱の神によって産まれた神々も、それぞれに関係する神を産んでいきます。それら一柱一柱については、ここでは最低限のお名前しか触れません。あまりに多くて難しくなってしまいますから。

 

二柱の神が生んだのは 14嶋35柱とも40柱ともいわれ、正確な数はわかりません。(数えても一致しない)重複や抜けもあるのだとは思いますが数などは無意味なのです。

 

順調な神産み、しかし別れは突然やってきます。

 

《5》 『古事記』 お別れ 伊邪那美命御石隠(みいわがくり)のくだり

 

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次に産みませる神の名(みな)は、鳥之岩楠船神(とりのいわくすぶねのかみ)、亦(また)の名は天鳥船神(あまのとりふねのかみ)と謂(もう)す。次に大宣都比賣神(おおげつひめのかみ)を生みまし、次に火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)を生みましき。亦の名は、火之炫毘古神(ひのかがびこのかみ)と謂し、亦の名は火之(ひの)迦具土神(かぐつちのかみ)と謂す。此の子(みこ)を生みますに因り、美蕃登(みほと)灸(やか)えて病み臥(こや)せり。多具理(たぐり)に生(な)りませる神の名は金山毘古神(かみやまびこのかみ)次に金山毘賣神(かみやまびこのかみ)次に屎(くそ)に成りませる神の名は波邇夜須毘古神(はにやすびこのかみ)次に波邇夜須毘賣神(はにやすびこのかみ)次に尿(まゆり)に成りませる神の名は彌都波能賣神(みつはやめのかみ)、次に和久産巣日神(わくむすびのかみ)。此の神の子(みこ)豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)と謂す。故(かれ)伊邪那美神は、火の神を生みませるに因りて遂(つい)に神避(かむさ)り坐(ま)しぬ。

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伊邪那岐命と伊邪那美命による神生みでしたが、火の神、迦具土(カグツチ)を生むことで、伊邪那美命は美蕃登(みほと)灸(やか)かえる = ほと(陰部)に火傷を負い臥せた。とあります。神様が火傷し臥せる。これは象徴的に口承された伝聞なので真実であって事実ではないのです。(真実と事実の違いはブログの初めのほうに書いてあります) 臥せた状態でさらに伊邪那美命による神生みはつづきます。

 

私が、この件(くだり)で興味深い点は、『天鳥船』という空飛ぶ船の出現が予言されていること。屎や尿からも神々が生まれる、循環型社会の発想が既にあること。等です。古事記は古代日本人が口承で受け継いできた理想とする概念や発想を記したものと以前書きましたが読み聴きした人の数だけ解釈があっても良いと思います。しかし、読み聴きすれば日本人なら同じような何かを感じると思います。そう、感じるんです。

 

豊宇気毘売神は今でも伊勢神宮の外宮、豊受大神宮(とようけのだいじんぐう)に、天照大御神のお食事をお世話する豊受大御神(とようけのおみかみ)として祀られるいますね。

 

伊邪那美命は神避り坐した。消滅したのでは決してありません。天界から違う次元に行かれたという意味です。

本日はこの続きまで書かせていただきます。この件は、ここまでといたします。

 

 

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日本神話(5)国産み 日本(大八洲)誕生

2019年09月15日

伊邪那岐命、伊邪那美命が国の他、多くを産んでいきます。

「イザ」は剣術の立会いの「イザ」(二つが結び合うこと) 

「ナギ」「ナミ」は凪と波。記紀、特に古事記は口述(言葉)を表音文字(音で表す)当て字で書かれているので文字に意味が無いものもあるわけで、音のイメージが真実に近いのです。

 

この二柱の「ナギ」と「ナミ」の神は高天原(たかあまはら)での実績だけでなく、後々その心の動きや、行動等が現代の日本人の生き方に語りかけるものが沢山あるので、この項は私も心を込めて記したいと思います。 

 

「淤能碁呂嶋」古事記の時代、日本は地動説があったのではないと思いますが、「自轉島」(じてんじま)と書いてあるところに古代日本人の理屈ではない感性の一端を見る思いがします。

《4》 『古事記』 国産み 難産(みとのまぐわいのくだり)

 

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其の嶋に天降(あも)り坐(ま)して、天之御柱(あまのみはしら)を見立て、八尋殿(やひろどの)を見立てたまひき。

於是其(ここにそ)の妹伊邪那美命に 「汝(な)が身は如何(いかに)か成れる」 と問日(とひ)たまへば、「吾(あ)が身は、成(な)り成(な)りて成(な)り合はざる處(ところ)一處(ひとところ)あり」 と答へたまひき。

於是(ここ)に伊邪那岐命詔(の)りたまはく、「我が身は、成(な)り成(な)りて成(な)り餘(あま)れる處一處(ところひとところ)あり。故(かれ)此の吾が身の成り餘(あま)れる處(ところ)を、汝が身の成り合はざる處にさし塞(ふさ)ぎて、國土(くに)生成(うみな)さむと以爲(おも)ふは奈何(いかに)」とのり給へば、伊邪那美命 「然善けむ(しかよけむ)」 と答へたまひき。

爾(ここ)に伊邪那岐命、然らば吾と汝と是の天之御柱(あめのみはしら)を行き廻(めぐ)り逢(あ)いてみとのまぐわい為(な)せと詔(のり)りたまいき

 

如此言(かくい)い期(ちぎ)りて、乃(すなわ)ち汝(な)は右より廻(めぐ)り逢(あ)へ、我(あ)は左より廻り逢はむと詔(の)りたまひ、約(ちぎ)り竟(お)へて廻ります時に、伊邪那美命、先ず「阿那邇夜志(あなにやし)愛(え)袁登古袁(おとこを)」と言(の)りたまひ、後に伊邪那岐命、「阿那邇夜志(あなにやし)、愛(え)袁登売袁(おとめを)」と言(の)りたまひき。各言りたまひ竟(お)へて後に、其の妹(いも)に「女人(おみな)を言先だちて良(よ)はず」と告日(の)りたまひき。然れどもくみどに興(おこ)して、子(みこ)水蛭子(ひるこ)を生みたまひき。此(こ)の子(みこ)は葦船(あしぶね)に入れて流し去(す)てつ。次に淡嶋(あわしま)を生みたまひき。是(これ)も亦(また)、子(みこ)の例(かず)には入らず。

 

於是二柱(ここにふたはしら)の神議(かみはか)りためひつらく「今吾(いまあ)が生める子不良(みこふさわず)。猶天神(なおあまつかみ)の御所(みところ)に白(もう)すべし」とのたまひて、即ち共に参上りて、天神の命(みこと)を請(こ)ひたまひき、爾(ここ)に天神の命以(みことも)ちて、布斗麻邇(ふとまに)に卜相(うら)へて詔(の)りたまひつらく、「女(おみな)を言先(ことさき)だちさしに因(よ)りて不良(ふさわず)。亦還(またかえり)り降(くだ)りて改め言へ」とのりたまいき。故爾(かれすなわ)ち反(かえ)り降(くだ)りまして、更(さら)に其の天之御柱(あめのみはしら)を先(さき)の如往(ごとくゆ)き廻(めぐり)りたまひき。於是(ここに)伊邪那岐命先ず「阿那邇夜志(あなにやし)、愛(え)袁登売袁(おとめを)」と言(の)りたまひ、後に妹伊邪那美命、「阿那邇夜志(あなにやし)愛(え)袁登古袁(おとこを)」と言(の)りたまひき。如此言りたまい竟(お)へて、御合(みあ)いまして、子(みこ)淡道之穂之狭別嶋(あわじのほのさわけのしま)を生みたまひき。次に伊予之二名嶋(いよのふたなのしま)を生みたまひき・・・

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かなり長くなってしまったのですが、大切なところなので分割しませんでした。

伊邪那岐命、伊邪那美命が地球上に八尋殿という神殿と天之御柱を建てました。この二柱の神が我々ような物質的な存在だと考えてしまうのは私には違和感があります。生命が誕生する前の神をわかりやすく人格化して原理を説明していると理解することをお勧めします。

 

陰陽相鳴って国土をはじめ色々なものが産まれてゆくお話の始まりです。異なる働きの生きものが互いに結束して新しいものを産む。生産とはうまく云ったものです。

 

伊邪那岐命は鳴っても鳴っても収まらぬところがある。伊邪那美命は鳴っても鳴っても埋まらぬところがある。そこで伊邪那岐命が「貴女の埋まらぬところに私の収まらぬところを刺し塞ぎて国を生もうと思うがどうか?」とお尋ねになった。その答えが伊邪那美命の「然善けむ」(しかよけむ)。『それは良いことですね』です。この素晴らしい日本語はどこで無くなってしまったのでしょうか。「然善けむ」・・響きが良いですね。また、とても誠実な感じがします。また、伊邪那岐命も私がそう決めたのだから従えではなく、あなたはどう思うか?と聞いているところも日本の男神(男性)独特の矜持みたいなものを感じます。

 

次に天之御柱を伊邪那美命(女性神)が右から伊邪那岐命(男性神)が左から回ることになりますが、女性神(陰)= 水極(みぎ) 男性神(陽)= 火足(ひたり)。ちょっと前までは手相を観るときは女性が右手、男性が左手だったことも関係しているように思います。(今はどちらの手ということはないようですが)

 

さて天之御柱を廻って逢ったとき、先に伊邪那美命が「阿那邇夜志愛袁登古袁」(なんて愛おしくいい男でせう)と言った後、伊邪那岐命が「阿那邇夜志愛袁登売袁」(なんて愛おしくいい女でせう)と言ったのです。結果生まれた子(みこ)は水蛭子(ひるこ)と淡嶋(あわしま)共に不完全だったのです。

 

二柱は悩んで天神(あまつかみ)に相談に上がります。神様が悩んで相談、そう悩んだときは目上の人に相談すべき。(目上なら誰でも良いわけではないです)天神はフトマニで占い、「女性神が先に声をかけたのがいけなかった。やり直しなさい」ということで、今度は男性神から声をかけることで、淡路島を始めとし、大八島を生んでいきます。8つだけではなく後に追加もありますが地図と地域を貼っておきました。この時代(古事記が書かれた時代)、東北や北海道の情報が乏しかったことがわかります。

 

国生みがはじめ失敗したわけは、天地(あめつち)陰陽の絶対法則に反したからです。男が偉いから先、女が偉くないから後、なのではなく野球でいう投手と捕手のような役割分担、厳然たる天地の真理に反した場合、

物事が成就(鳴らない)しないということが書かれているわけです。『分担・区別ありて差別なし』であります。

 

大変長くなりましたが 大事な部分ですので繰り返しお読みください。

本日はここまでといたします。

 

 

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